ヨシュアの相続地

令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

メッセージ

<ヨシュア記 19章49~51節>
牧師:砂山 智

開会聖句

ただし、私と私の家は主に仕える。」

<ヨシュア記 24章15節後半>

メッセージ内容

Youtube動画

 
動画公開をいましばらくお待ちください。

  

 メッセージ原稿を公開しました。  

<序論>
・前回は8章からでしたが、「ヨシュア」1~12章は、モーセの死後5~6年ほどの出来事で、特に後半の6章以降は、カナン征服のための戦いの記録と言えます。ただ、その12章の最後の時点でも、 イスラエルが征服できたのは、いくつかの町と山地の地域だけでした。
13章1節には次のように書かれています。

『ヨシュアは年を重ねて老人になっていた。主は彼に告げられた。「あなたは年を重ね、老人になった。しかし、占領すべき地は非常にたくさん残っている』(ヨシュ13:1)。

さらに言うと、そのような状況は「ヨシュア」の次の時代の「士師」の時代になってもほとんど変わらず、パレスチナの全ての土地がイスラエルに服したとは到底言えない状況が続いたんです。「士師」1章を読めばそのことがよく分かるんですが、恐らくイスラエルは、その頃になっても、山地の地域を征服し、ようやく先住民の攻撃を受けずにカナンの地に定住できる基礎ができた、というような段階だったと思われます。

<本論>
1. くじ引き

さて、ヨシュアに率いられたイスラエルの民がヨルダン川を渡った後、最初の拠点としたのはギルガルという所でした。それはヨルダン川とエリコの中間地点にあった
と思われます。イスラエルの民は、このギルガルで新しい世代の人々に割礼を施し、最初の過越のいけにえを献げます。そして、その翌日には、今まで荒野で彼らを養うために神が降らせてくださったマナがやんで、そこからカナン攻略のための本格的な戦いが始まるのです。それは先程もご説明したように、すんなりとはいかなかったのですが、ある程度進んだ段階で、イスラエルは拠点をギルガルからエフライム族の相続地にあったシロという町に移します。その町に会見の天幕(幕屋)を建て、自分たちの政治と宗教の中心地とするのです。それは、あのダビデ王がエルサレムを都と定めるまで続くことになります。18章1節をご覧ください。

『イスラエルの子らの全会衆はシロに集まり、そこに会見の天幕を建てた。この地は彼らに服していたが、イスラエルの子らの中には、相続地を割り当てられていない七部族が残っていた』(ヨシュ 18:1~2)。

だいたい相続といのうは揉めることが多いのですが(争族)、日本の歴史においても、あの本能寺の変の後、「清須会議」というのが行われ、事前の根回しで、秀吉が信長の後継者として、 天下人への道筋をつけたことがよく知られています。「シロ会議」では、そんな根回しはなく、ヨシュアがくじを引いて、それぞれの部族に相続地が割り当てられます。聖書では、他の箇所でも、たびたびくじ引きが出てきます。なにかいいかげんな決め方のように思われる方もいるかもしれませんが、それは人間的な思惑や駆け引きを一切排除して、全てを神のみこころにお任せするためでした。ただし、だからと言って、今の私たちも、何か大切なことを決める際に、くじ引きで決めればいい、ということにはならないのでが・・・。イスラエルには全部で十二の部族がありましたが、ルベンとガド、マナセの半部族は、すでにモーセによってヨルダン川の東側の土地を相続地として割り当てられており、ユダとマナセの残りの半部族、さらにエフライムも相続地を割り当てられていました(主に南部地域) 。ですから、このシロの会議では、残りの七部族の相続地が決められることになります。

2. ヨシュアのリーダーシップ

そして、18 章以降に記されているその内容を見てゆくと、第一番目のベニヤミン族から第七番目のダン族まで、実に様々な相続地が割り当てられ、 「日々のみことば」もそうですが、多くの注解書で、それぞれが過去の出来事や預言と関連づけて解釈されています。ただ、「隣の芝生は青い」とよく言われるように、人間的には、それらの相続地を見た時、色々と不平不満もあったのではないかと思うのですが、この18章、そして続く19章にも、不思議と、各部族からのクレームや不平不満などは記されていません。主から「うなじを固くする民」とまで呼ばれたイスラエルが、なんでかなぁ?と思ったのですが、そこで、この直前にあった17章の出来事を思い出しました。それは、ヨシュアが自分の出身部族であったヨセフ族とやり合ったという記事です。厳密に言うと、ヨシュアはヨセフの二人の息子の内の一人エフライム族の出身でしたが、17章14節以降には次のようなやり取りが記されています。

『ヨセフ族はヨシュアに告げた。「あなたはなぜ、私にただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらないのですか。これほど数の多い民になるまで、主が私を祝福してくださったのに。」ヨシュアは彼らに言った。「あなたが数の多い民であるのなら、森に上って行きなさい。そこでぺリジ人やレファイム人の地を切り開くがよい。エフライムの山地はあなたには狭すぎるのだから。」ヨセフ族は言った。「山地は私たちに十分ではありません。しかし、平地に住んでいるカナン人はみな、ベテ・シェアンとそれに属する村々にいる者も、イズレエルの平野にいる者も、鉄の戦車を持っています。」ヨシュアはヨセフの家、すなわち、エフライムとマナセに言った。「あなたは数の多い民で大きな力がある。あなたには、くじによる割り当て地が一つだけではいけない。山地もあなたのものとしなければならない。それが森だとしても切り開いて、その隅々まであなたのものとしなさい。カナン人が鉄の戦車を持っていても、強くても、あなたは彼らを追い払わなければならない。」 』 (ヨシュ17:14~18)。

私たちは、普通、身内には甘くなりがちです。もしかしたら、この時、ヨシュアは、あえて、自分の身内であるヨセフ族に対して厳しく対処したのかもしれませんが、他の部族は、そのことをきっと覚えていたのでしょう。このヨシュアの姿に、リーダーとしてのあるべき姿を見るような思いがしました。そして、それは、今朝のテキストにありましたように、ただことばだけのことではなかったのです。

<結論>

あのカレブもそうでした。カレブは「ヨシュア」14 章で、ヘブロンという土地を自分の相続地とすることを願い出ます。しかし、そこは山地であり、おまけにアナク人が城壁のある大きな町々を築いている土地でした。けれども、彼は、かつてカナンの地に偵察に行った時と同じように、 「主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができます」と言って、そこを自分の相続地とするのです。
今朝の箇所で、ヨシュアも、エフライムの山地にあるティムナテ・セラフという町を相続地としたとありました。その町は「士師」 2章9節を見るとティムナテ・へレスと呼ばれ、ヨシュアはその町に葬られたと書かれていますが、ある本によると、そこは太陽(へレス)崇拝が盛んな町であったようです。ヨシュアもすでに高齢となり、自分に課せられた役目をすべてなし終え、もう引退しても誰からも文句を言われることのない年齢に達していたと思います。しかし、彼は、そのような年齢になっても、また新しい幻を抱き、偶像の町に挑戦していったんですね。そのヨシュアの遺言が今朝の開会聖句です。

「ただし、私と私の家は主に仕える」(ヨシュ24:15) 。

メッセージ原稿のダウンロード(PDF169KB)

会衆讃美

開会祈祷後:新聖歌384番、メッセージ後:新聖歌385番

聖書交読

詩編107篇 1~9節

2025年教会行事


2月5日(水) オリーブ・いきいき百歳体操 (10時~11時)

#57-2958

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