非常に良かった

令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

メッセージ

<創世記 1章26~31節>
信徒:K

開会聖句

息子は父に言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。』ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。

<ルカの福音書 15章21~22節>

メッセージ内容

Youtube動画

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メッセージ原稿を公開しました。
 

<はじめに>  
・先週は北海道に行きました。旭川と聞いて、三浦綾子記念文学館が頭に浮かび、旅行準備として数冊小説を読みました。8月に読んだのが「天北(てんぽく)原野」。大正から昭和の戦後を、旭川よりさらに北の稚内から樺太に渡った人たちの話でした。厳しい自然の中で生きる人々の人間模様も興味深かったのですが、私は樺太を地名以外ではじめて知りました。中国大陸へ渡った人たちが終戦の頃、命からがらで引き揚げた話は知ってましたが、樺太もそうでした。戦時中は本土のような空襲もなく、厳しい生活統制も少なく、むしろ豊かな木材やニシン漁で財を築く人たちがその豊かさを謳歌していたのが、終戦で一転します。終戦の1週間後に、引き揚げ船3隻が攻撃を受けて沈みました。三船殉難事件と言われ、約4千人が犠牲になったそうです。25日に樺太は占領され、地上戦は終結しました。8月という時期でもあって、私は北海道のそういう歴史が心に残りました。神さまは天地創造のわざを終えて「非常に良かった」と言われました。人間がそれを壊したことはわかっていますが、このことばと世界の現実とにはあまりにもギャップがあることを感じさせられます。今日はこの神の評価について考えます。主題は「創造のわざの完成」。

<本論>
I.創造のわざは人間の創造で完成

人間の創造は地上の生き物と同じ六日目ですが、26節「さあ、人をわれわれのかたちとして…造ろう」ということばや、他の被造物よりも26~30節と多くの節がさかれていることで、創造者の関心の深さがわかります。地上の完成に向けての創造者の意気込みが伝わります。他の被造物の場合のように、「地よ、人間を生じよ。」と一言では終わっていません。特別な存在として、創造主である神は深い熟慮の上、人を造られるのです。

その熟慮とは?1つはモデルがあること。植物や動物は種類に従ってとありますが、人間は「われわれのかたちとして」(26)とモデルがあります。2つめは役割があること。他の生き物には「増えよ、満ちよ」と言われましたが、人間にはそれ以外に「支配せよ」(28)と言われてます。3つめは「あなたがた」(29)と語りかけておられること。他の生き物もことばで造られましたが、人間の場合はことばで神の意思が伝えられる、そういう親密な関係を持つ生き物なのです。その関係は主従関係のような一方的服従ではなく、自由に応答できる余地が与えられた特権がついています。
4回も繰り返されている「神のかたち」については色々な説明がされてきました。外観、能力。26節脚注の「像」は昔の領主がここは私の領地だという目印に立てた銅像のようなもの、そこから神の代理人という説明もあります。いずれにしても、人は神をモデルとして造られた!これは私たちが思う以上に驚くことです。十戒の2番目(出20:4、p134)は偶像禁止の戒めです。「あなたは…上の天にあるものでも、下の地にあるものでも…いかなるかたちをも造ってはならない。」他の神々と違い、聖書の神は決して何にもご自分を刻ませない神です。刻むという行為は、人間の小さな考えのなかに人が計り知ることができない神を閉じ込めること、限定すること、神さまを引き下げることです。パウロはローマ1:20~23(p298)で、人間の堕落についてこう嘆きます。「神の目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ…朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥…替えてしまいました。」人間は拝むための目に見える対象を求めます。しかし、聖書の神はそれを嫌われます。それなのに、神は人間を神のかたちに造られました。人間の尊厳、それは受精の神秘でも、オンリーワンだからでもなく、基本的人権があるからでもなく、人が神のかたちに造られたところにあるのだと思います。その神の懐の広さを褒め称えているのが詩篇8:3~4(p939)「あなたの指のわざであるあなたの天、あなたが整えられた月や星を見るに…あなたが心に留められるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。」私たちはこのことを心から喜びたいと思います。

次に「支配せよ」ですが、人間が神の代理人として全被造物を支配するという責任が、最近重要視されています。新しいMB信仰告白にもこうあります。「宣教は、神を信頼しない、神に反逆するこの全世界(被造物)を対象にする。創造の神はこの世界を支配しつつ、この世界が神の意思に適って変革されるように願っておられる。」 28節後半「海の魚、空の鳥、・・・すべての生き物を支配せよ。」とあるように、生き物のケアは人間に任されたのですが、長年人間に都合よく理解され、生態系を乱したり、動物の不適切な飼育が行われてます。人は物言わぬ動物を劣ったものと考え、自分都合の扱いをしてきましたが、動物たちの研究が進むにつれ、私たちと同じように考え、感じ、会話し、秩序を守り、弱いものをいたわることもわかってきています。神が造られた地上の全ての被造物には神の栄光があらわされています。イエスさまは上に立つ者はこの世の支配者のようであってはならないと弟子たちに口酸っぱく言われましたが、これが任された被造物への態度でしょう。「神の意思に適った支配」とは、物言わぬ被造物のために、神の祝福が届くように(いのちを喜ぶ)ふさわしい配慮やケアをし、共に地に満ちていくことだと思います。

次に「あなたがた」と声をかけられたことを考えます。28節「男と女に創造された」ともありますから、人間は神と、また他者と関わって生きるということです。よく信仰生活には神との縦の関係、他者との横の関係の両方が大切だと言われるように。神のことばを聞き、他者にも耳を傾け、そうして世界に仕えていくこと。そして最後29~30節は人間とすべての生き物の日々の糧についてのことばです。「見よ。わたしは地の全面にある…今あなたがたに与える。」人間と他の生き物とは違うのですが、この時点では、全員ベジタリアンですね。そうしてこの世界は完成しました。

II.人間の創造は非常に良かった

そして、いよいよ最後の評価です。31節「神はご自分の造ったすべてのものを見られた。それは非常によかった。…」です。今までも「良しと見られた」は繰り返されましたが、完成したとき、「非常によかった」と言われました。それは混沌とした世界に、時間と空間が定められ、生き物の住み処として多様で調和のある世界になった。そして、神の代理人である人間が全被造物に仕えることによって、これから繁栄していく地上の世界が完成したからです。

アポロ15号で月に行ったジェームズ・アーウインは、宇宙から地球の姿を見て、美しい創造のみわざに感動し、神を信じ牧師になったそうです。天北原野の主人公貴乃(きの)の人生は、耐えることばかりの苦難だらけだったのですが、大好きなエゾカンゾウという花が一面に咲く原野で、利尻富士が夕日に美しく染まっていく様をみて、あの山は以前からあんなに美しかったのかと感動し、自然が美しく造られているように、人間もまた美しくあるように造られているのではないかという境地に至ります。「良かった」には道徳的な良い悪いよりも美しいという意味があります。アーウィンが地球を見て生き物の住処として美しいと感じた心も、貴乃の人間は美しく生きるように造られているのではないかという思いも、神の「非常によかった」という評価と重なるものがあるかと思いますが、最後にもう一つ、「非常に良かった」と言えることについて考えてみたいのです。

先月、神の全能は他者の存在を喜んで許す力で、他者との信頼関係を育むことを望まれていると話しました。人が神のかたちに造られたとき、ある先生は天使が見て驚くほどだったと言われました。「こんなにそっくりでいいの?」という天使の驚きの意味は、そんな自由と権限を与えても大丈夫?ということだったと思います。神の懐の深さに驚き、心配をしたのでしょう。でも、神はよく考えられたあと、これでよいとゴーサインを出されました。
開会聖句はルカの放蕩息子の話です。15:20~22節(p149)「こうして…『お父さん、私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。…』ところが父親はしもべたちに言った。…」この弟は自分の判断で生前贈与を要求し、受け取り、出て行って乱費し、食うに困り、父の家にいたときの幸いに気づき、雇い人でいいからと実家へ戻りました。すると、父は大喜びで彼を迎え、最高のもてなしを用意し、子として受け入れてくれました。彼が悔い改め、方向転換すると、父は赦してくれて、父と子の信頼関係が回復しました。本当の信頼関係は、自由に選ぶ力と失敗を赦す力があって育ちます。それは一回きりのことではありません。放蕩息子の父のような神は、歴史の中で、人間の反抗を数え切れないほど体験し、悲しみ、嘆き、一人子という大きな犠牲も払いました。神さまは決して諦めず、今も私たちともっと信頼関係を深めたいと願っておられます。

<おわりに>

もし神様が天使の心配の声を聞いて、人を神のかたちに造らず、自由と権限を与えなかったら、聖書は書かれることはなかったでしょう。でも神のかたちにしてしまった。それを神は非常に良かったと思われたのではないでしょうか。それが神と人とが信頼関係を築くための最善だからです。

メッセージ内容のダウンロード(PDF101KB)

新聖歌

開会祈祷後:20番、メッセージ後:176番

聖書交読

詩編78篇 1~8節

2024年教会行事

8月28日(水)オリーブ・いきいき百歳体操 10時~11時 

#56-2935

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