主イエスの名によるバプテスマ

令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

メッセージ

<使徒の働き 18章23~19章7節>
牧師:砂山 智

開会聖句

このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。

<(エペソ人への手紙 1章13節>

メッセージ内容

Youtube動画

 
 メッセージ動画公開:8/7 PM 6:40
 


 メッセージ原稿を公開しました。  

<序論>
・パウロは、コリントで一年半の間、伝道した後、アキラとプリスキラとともにエペソ、エルサレムを経て、アンティオキア教会に帰って来ます(使18:18~22)。
そしてアンティオキア教会にしばらく滞在した後、第三次伝道旅行に出発するのですが、アポロがエペソの町にやって来たのは、その少し前の、パウロがまだエルサレムにいた頃ではないかと思われます。今朝の18章27節を見ると、アポロはエペソからさらにアカイア(州・コリント)へ渡って伝道したことが記されています。パウロはちょうどそのタイミングで再びエペソを訪れます(19:1~)。ですから、この時点では二人はまだ会ったことはなかったみたいですね。また、パウロは、この第三次伝道旅行では、第一次や第二次の時のように各地を巡回して伝道するということはせずに、エペソに約三年間腰を据えて、周辺の地域に伝道を拡げてゆくという方法をとっています。第二次伝道旅行の時に「神のみこころなら、またあなたがたのところに戻って来ます」(同18:21)と言って、エペソの人たちに別れを告げたパウロでしたが、まさに「神のみこころ」によってエペソの町に戻って来ることができたのです。

<本論>
1.アポロ

さて、「使徒」の著者は、今朝の箇所でアポロのことを、アレクサンドリア生まれで、雄弁なユダヤ人で、聖書に通じていた、と紹介していました。アレクサンドリアとはエジプトの都市で、現在でも首都カイロに次ぐ第二の都市なんですが、その歴史はカイロよりもずっと古く、紀元前332年に、あのマケドニアのアレクサンドロス大王によって建設されました。そして、今朝の時代の紀元1世紀頃には、世界でも最大規模のユダヤ人コミュニティー(百万人!)があって、多くの(ディアスポラの)ユダヤ人が住んでいたそうです。アポロもその一人であったと思われます。
神学の世界に本文批評という分野があって、聖書の写本を調べてオリジナルを推測するという実に興味深い学問なんですが、その分野で有名な写本の一つに「アレクサンドリア写本」というのがあります。それは、紀元5世紀に書かれた、旧約聖書のギリシア語訳の七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)の多くの巻と新約聖書からなるギリシア語の聖書写本です。そのことからも、アレクサンドリアが古くから聖書研究の盛んな町であったということが分かります。そして、特にアレクサンドリアには、旧約聖書の比喩的な解釈を信じる学者が多くいたとのことです。ですから、アポロは、幼い頃から聖書に親しみ、そのようなラビたちから学んだことで、旧約聖書のどこからでもメシアであるイエス・キリストを見出すことができたのでしょう。ただ、25節を見ると、

『この人は主の道について教えを受け、霊に燃えてイエスのことを正確に語ったり教えたりしていたが、ヨハネのバプテスマしか知らなかった』(使18:25)。

これは一体、どういうことなのでしょうか?イエスのことを正確に語ったり教えたりしていたが、ヨハネのバプテスマしか知らなかったというのは?

2.ヨハネのバプテスマ

バプテスマのヨハネという人は、四つの福音書すべてが書いているように、イエス様が来られる道備えをするために遣わされた最後の預言者でした。そんな彼のメッセージを端的に言うならば、それは「悔い改めなさい」ということだったと思います。ですから、そんなヨハネのバプテスマしか知らなかったというアポロが語っていたことというのは、恐らくなんですが、「悔い改めなさい。さもないと神の裁きがあるぞ」ということだったのかなぁ、と思うんですね。18章26節を見ると、そのことに気づいたプリスキラとアキラは、アポロをわきに呼んで、『神の道』についてもっと正確に説明したと書かれています。

25節では『主の道』、26節では『神の道』

と微妙に違っているのですが、その違いにどんな意味があるのかは分かりません。ただ、W・バークレーという聖書学者が、この時点でのアポロの信仰について、その信仰に欠けていた点について分かりやすく説明してくれていましたので、ご紹介したいと思います。

「アポロは、ヨハネの宣ベ伝えた言葉にこめられた挑戦に気づかなければならなかった。メシアとしてのイエスを認めなければならなかった。しかも、人類の救い主としてのイエスが伝えたよきおとずれを知らなかったので、力ある聖霊の来臨も知らなかった。アポロはイエスが人間に与えられた課題を知っていたが、それを果たそうとする人々をイエスが助けてくださることは全く知らなかった。過去との関係を断ち切るようにとの、あの偉大な招きを知っていたけれども、来るべき時代に生きるすばらしい力を知らなった」。ii 「使徒行伝」W・バークレー著 ヨルダン社刊 P150

続く19章の冒頭には、エペソを再び訪れたパウロが授けた洗礼(再洗礼?)の様子が描かれていて、主イエスの名によってバプテスマを授けたとありました。この箇所を読むと、アポロが宣べ伝えていたことに何が欠けていたのかということがさらにはっきりと分かります。イエス様の宣教は、先程のバークレーの説明にありましたように、福音(よきおとずれ)と呼ばれていますが、バプテスマのヨハネの宣教はそのように呼ばれることはありません。イエス様は、

『律法と預言者はヨハネまでです』(ルカ16:16a)

と言われましたが、ヨハネがなした道備えというのは、罪の指摘と悔い改めまでであって、それは本当に偉大な働きではありましたが、そこから先が無かったと言うか、彼の役割はそこまでだったのです。

<結論>

それでは、パウロは、洗礼(バプテスマ)についてどのように述べているでしょうか?

『それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです』(ローマ6:3~4)。

つまり、今朝の19章で、パウロがエペソの人たちに授けた「主イエスの名によるバプテスマ」とは、古い自分がキリストとともに死んで葬られ、キリストとともによみがえって、新しいいのちに歩む者となるためであったということですね。ただ、どうなんでしょうか?私も、約50年前に、能勢川で洗礼を受けたんですが、今朝の19章6節にあったような、異言を語ったり、預言したりというようなことはありませんでした。そんな劇的で、目に見えるような変化はなかったんですが、その時、確かに聖霊は私に臨んでくださった、と信じています。その後の自分自身の信仰の歩みを振り返ってみて、そう思うのです。
今朝の開会聖句の次の14節には

、『聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です』

とあります。保証というのは未来のことを保証するわけですが、今、それが確かであるということが分かるのは、御霊の実によってではないでしょうか。

『愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制』(ガラ5:22~23)。

ですから、私たちの信仰において本当に大切なことは、「自分には何ができる」「何をしました」というTo doではなくて、To be、「自分はどのようにありたい」「どのようにあるべきか」ということなのだと思います。

メッセージ原稿のダウンロード(PDF95KB)

会衆讃美

開会祈祷後:新聖歌38番、メッセージ後:新聖歌43番

聖書交読

詩編75篇 1~10節

2024年教会行事

8月7日(水) オリーブいきいき百歳体操 10時~11時

#56-2932

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