愛からの創造

令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

メッセージ

<創世記 1章3~23節>
信徒:K

開会聖句

愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。

<ヨハネの手紙第一 4章7節>

メッセージ内容

Youtube動画

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メッセージ原稿を公開しました。
 

<はじめに>  
・初に読んだのが高校の書道クラブを題材にしたもの。袴姿の高校生が大きな紙に大きな筆で創作の字を書くパフォーマンスをご覧になった方もあるかと。この漫画がブームの火付け役になったのかな?今は朗読をテーマにしたものを読んでいます。先ほども聖書を朗読していただきましたが、朗読は一人で読むものですから、説明部分もあれば、台詞もあり、それを意識して読みます。ある程度、文章の流れがわかって、誰のことばかがわからなければ読みづらい。この漫画を読んで、そういう読む前の事前の作業は大変奥が深く、高度なテクニックを必要なことがわかってきました。俳優の読む朗読聖書が素晴らしいのはだからですね。しかし、一番聴衆に感動が届く朗読はテクニックが拙くても、朗読者の伝えたいという情熱が伝わったときだそうです。漫画の中で「Say it,with frowers」花を持って語りなさい、というイギリスのことわざが出てきます。「想いをこめて語りなさい」という意味で、それが一番朗読に大切だそうです。
ご存じのように聖書は神のことばです。キリスト教の神について説明している本ではなく、神さまがご自分の思いを伝えたいと、人間に語られる神のことばです。語られたと過去形で言わないのは、今の私たちにも語られているからです。今日も創世記から、神さまの私たちへの熱い思いを受けとりたいと思います。熱い思いをパッションと言います。主題は「神のパッションとは」。

<本論>
I.神のパッションは 私たちを混沌から救う

先月は聖書の神はカオスな世界を秩序だてることで生き物が住める世界にされたという話でした。「天地創造」と言うと、「無からの創造」の教えが伝統的だけれど、2節はそうではなく、「混沌からの創造」が強調されていると。今日は3節からの創造の記事を読み進めながら、その両方にふれたいと思います。

創造のみわざは、5節の一日目、8節の二日目、13節の三日目、19節の四日目、23節の五日目、そして31節の六日目までです。そして、その六日間に行われたわざは一日目と四日目、二日目と五日目、三日目と六日目が関連したセットの内容になっています。はじめにあったものは闇と水、そこに働きかける神の霊でしたね。まず一日目に神は光をつくられ、闇と光を分け、闇を「夜」、光を「昼」と名づける。二日目には大空をつくられ、水と水を上下に分け、大空を「天」と名づける。三日目には天の下の水を一所に集め、乾いた所を「地」、水の集まった所を「海」と名づけ、地には種や実のできる植物を生えさせる。これが一段階め。闇と水であった世界が私たちが知っている世界に近づき、青色の空と海、緑色の草木と土色の陸地が広がります。そして二段階めです。四日目に、一日目の昼と夜に対応して、大きな光る物、小さな光る物がつくられ、昼と夜を分け、日と年のためのしるしとされる。大きい光る物を太陽、小さい光る物を月とあえて言わないのは、太陽と月が近隣の国々で偶像の神として拝まれているからです。光る物と呼ぶことで、それらは神が造られた被造物であることを言いたいのです。五日目は二日目の大空に対して、空を飛ぶ鳥と、水の中にすむ生き物がつくられる。海の巨獣、これはレビヤタンという詩篇やヨブ記に登場する生き物で、カナン人の神話では神格化された恐ろしい怪物。しかし、これも海の巨獣と呼ぶことで、神の被造物に過ぎないと言われます。六日目には三日目の陸に対して、陸の生き物がつくられる。このような対になった記事の構成、また、3~5節で「神は仰せられた。『光あれ。』すると光があった。・・・良しと見られた。・・・夕があり、朝があった。第一日。」という文章スタイルが二日目以降も繰り返されることで、神がカオスを押しやり、時と空間という秩序を設定されたことで、快適な生き物が育つ環境をつくられたということを表しています。

聖書は神さまからのラブレターだと言われます。なんといっても、私たちの救いについて書かれているからで、私たちは救いと聞くと、裁きや地獄からの救いを思い浮かべます。でも聖書の救いの概念はもっと広いのです。そもそも、旧約の世界観は観念的なものはなく、人は死んだら終わりでした。つまり、彼らにとっての救いとは生きているときのものです。神の民は周りの大国に脅かされて、不安で見通しのたたないカオスな状況を収め、救ってくださる神のことばを必要としていました。栄華を極めたソロモン王は、神から知恵も富も誉れも、その時代の他の王と比較にならないほど与えられましたが、外交の不安から多くの異教の女性と婚姻関係を結び、道をあやまりました。イエスさまは空の鳥を見なさい、野の花を見なさい、天の父はそれら以上にあなたたちによくしてくださいますというたとえの中で、このソロモンに言及されてます。ソロモンのような心境に陥ることは、私たちも同じです。私たちは神の民として聖書を信じていても、悪いことはなくなるのではなく、相変わらず問題があり、色々な救いを必要とします。人それぞれ病気、経済的困窮、抑圧、喪失、孤独や不安からの救いを求めます。人間は生きているかぎり、何かの問題を抱え、神さま救ってくださいと祈る存在です。生きることは、旧約の民と同じように、繰り返し押し寄せてくるカオスとの戦いです。神のパッションこそが、カオスを押し返し、私たちを悩ます現実から救うのです。ですからパウロはこう言いました。

ローマ人への手紙8:28「神を愛する人たち、すなわち神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを私たちは知っています。」

神が私たちのために働いてくださる、その神のパッションに信頼しましょう。

II.神のパッションは、他者を存在へと招く

では、先には記事の構成に注目しましたが、次はもう一つの特徴、「ことば」によってつくられたことに注目します。創造のわざの一番最初は、神がことばを発せられることから始まります。どの日も、神のことばがあって、そのようになるのですね。空も海も草も生き物も。これは不思議な光景です。ヘブル人への手紙の著者はその驚きをこう言いました。

11:3「信仰によって、私たちはこの世界が神のことばによってつくられたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのはないことを知るのです。」

ここは「無からの創造」を支持する聖句の一つです。私もここを読んで、神さますごい。神さまは全能の方だ、この方に不可能なことはないと思いました。ただ、今は少し感じ方が変わりました。科学が進歩して、目に見えないけど存在するもの(原子、分子、粒子)が次々発見されました。日本人も多くその分野に貢献していて、ノーベル物理学賞とか化学賞とか授与されてます。ですから、目にみえないことは何もないことではない、と現代人は知っています。むしろ、神がことばでこの世界を造られたということを考えるなら、また別のことに気づかされるのではと思います。

はじめに、朗読のことを話しました。ただ読むとは違い、ことばで思いを届けるものでした。「光あれ」「大空あれ」という神のことばは、神の強い思いがこもっています。神は自分以外の他者を存在させる場所をつくる意志を持たれました。それなら、神の全能というのは、ご自分の場所に他者の存在をゆるす能力と言えるのです。それがどれほどのすごい能力かと言いますと、私たちの現実を見ればいいのです。民族と民族、国と国とが相手の存在をゆるさないと戦っています。共存という選択肢はないようで、なかなか和解になりません。先週、旧優生保護法の下で本人の意志を無視した強制的な不妊手術の裁判がありました。その人たちの子孫の存在を社会が許さなかったということです。その前には選挙がありました。民主主義の劣化ということがよく言われますが、民主主義というのは、多数決で物事を決める方法ですが、そもそも、それは最後の手段で、違った意見を持つ人、少数派とされる人たちも含めて、お互いの意見を表明し、理解を深め、共に生きていこうという生き方のことです。しかし、今はかたちは似ていても、鼻から自分に不都合な人の存在を無視するかのような風潮があります。意見を聞く気がなく、自分の主張だけを繰り返す。私たちも、心の中で簡単に相手の存在を消したく思うことがあります。

他者の存在を積極的に喜んでゆるすこと、それはとても難しいことなのです。神さまはそのことにご自分の全能の力で取りかかられました。自由意志を与えられた人間の過ちによって、それは最初からつまづき、とても困難な状況になっていますが、今も継続されています。神さまのパッションは自分と違った他者の存在を許し、それとの信頼関係を育んでいくことです。

<おわりに>

神の創造について、混沌(カオス)からの創造、無(ニヒロ)からの創造についてお話しましたが、自分とは違った他者の存在をゆるすという神の全能から、こう言った方がいます。神の創造とは「愛(アモーレ)からの創造」。今日のタイトルです。この世界は「愛からの創造」なのです。私たちはみな、神の愛によって存在します。ですから最後にこの開会聖句を読んで終わりたいのです。

ヨハネの手紙第Ⅰ4章7節「愛するものたち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。」

メッセージ内容のダウンロード(PDF97KB)

新聖歌

開会祈祷後:38番、メッセージ後:222番

聖書交読

詩編74篇 1~11節

2024年教会行事

8月7日(水)オリーブ・いきいき百歳体操 10時~11時 

#56-2931

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