なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<使徒の働き 13章26~41節>
牧師:砂山 智
開会聖句
『見よ、嘲る者たち。驚け、そして消え去れ。わたしが一つの事をあなたがたの時代に行うからだ。それは、だれかが告げても、あなたがたには信じがたいことである。』」
<使徒の働き 13章41節>
メッセージ内容
Youtube動画
公開が遅れて申し訳ありません。 メッセージ動画公開:7/14 AM 0:39
メッセージ原稿を公開しました。
・今朝の箇所はパウロの第一回目の伝道旅行での説教の場面です。少し前の13章1節をご覧ください。
『さて、アンティオキアには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどの預言者や教師がいた。彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われた。そこで彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いてから送り出した』(使13:1~3)。
最初の異邦人伝道はこのアンティオキア教会から始まりました。
<本論>
1.第一次伝道旅行
アンティオキアというのはシリア北部の町で、当時のローマ帝国においては、ローマとアレクサンドリアに次ぐ第三の都市として栄えていました。ですから、そこに集っていた人たちも多士済々と言うか、様々な人がいたようです。バルナバというのは、あの「慰めの子」と呼ばれたバルナバのことですが、ニゲルと呼ばれるシメオン。ニゲルとは「黒い」という意味のラテン語ですので、彼はアフリカ出身の黒人であったと思われます。もしかすると、イエス様が十字架につけられるためにゴルゴダの丘まで向かう途中で代わりに十字架を背負わせられたというクレネ人シモン(マル15:21)と同一人物であったかもしれません。また、クレネ人ルキオは、恐らく11章20節のクレネ人たちの一人かと思われます。そして、領主ヘロデの乳兄弟マナエンですが、この領主ヘロデとは、ヘロデ大王の子ヘロデ・アンティパスのことで、あのバプテスマのヨハネの首をはねるようにと命じた人物として知られています(マタ14章他)。マナエンはそのヘロデの乳兄弟ということですから、当時の社会では上流階級に属する人であったと思われます。このように、アンティオキア教会には、生まれも育ちも全く違う様々な人たちが集まっていました。まさに、世界宣教のための基地に相応しい教会であったと言えるでしょう。
そして、この第一次伝道旅行には注目すべき点がいくつかあります。まず一つは、
13章13節に『パウロの一行は』
と書かれてあることです。実は、それまでは
『バルナバとサウロ』(12:25、13:2)
となっていたんですね。これは、宣教チームのリーダーシップがバルナバからパウロに移ったということを意味しています。また、同じ13節には、理由は書かれていませんが、ヨハネ(マルコと呼ばれる)が一行から離れてエルサレムに、つまり自分の家に帰ってしまったと書かれています。実は、このことが、後の第二回目の伝道旅行を始める際に、パウロとバルナバとの間に激しい対立を引き起こすことになります(使15:37~)。その結果、二人は喧嘩別れのような形で別行動をとることになるのです。
2.まずユダヤ人、そして異邦人へ
さて、この第一次伝道旅行で、パウロ一行はピシディアのアンティオキアという町にやって来ます。聖書にはまぎらわしい人名や地名が多いのですが、このピシディアのアンティオキアとは、パウロたちを派遣したアンティオキア教会のアンティオキアとは別の町なんです。この町は、その前に通ったペルゲの北方180キロ程のところにある、今のトルコ中部の標高1100m程の高原にある町でした。ペルゲはトルコ南部の地中海沿岸の港町ですので、ペルゲからピシディアのアンティオキアまでは上り道で、非常に険しく、危険な道であったそうです。パウロたちがなぜ、この道を通ったのかは分かりませんが、学者の中には、パウロがペルゲでマラリアに罹ったので、その療養も兼ねて、高原の町アンティオキアにやって来たのではないかと推測する人もいます。そのピシディアのアンティオキアで、パウロはまず、ユダヤ人の会堂を訪れ、同胞であるユダヤ人に福音を語ります。もちろん、そこには異邦人もいたのでしょうが、パウロは先に自分の同胞に福音を伝えたかったのでしょう。それは同じ民族ということもあったでしょうが、(旧約)聖書を知っている彼らのほうが伝道しやすいと思ったのかもしれません。このパターンはこの後の伝道旅行においても踏襲されますが、皮肉なことに、パウロの伝道によって救われたのは、ユダヤ人ではなく異邦人の方だったんです。そして、ユダヤ人たちは、異邦人たちがどんどん救われる様子を見て、妬みに燃えて、益々、福音を拒絶し、パウロたちを攻撃するようになります。
3.信じる者はみな義と認められる
さて、今朝の説教の場面で、パウロはイスラエルの長い歴史を紐解くことから語り出します。それはもちろん、先程も申し上げましたように、聴いている相手がユダヤ人だからなんですが、その最終的な目的はイエス・キリストを証しすることでした。私は、このパウロの説教を読んでいて、同じ「使徒」7章にあった、ステパノの説教を思い出しました。キリスト者になる以前のパウロも、その説教を聞いていました。もしかしたら、パウロは、その時のステパノの説教を覚えていて、参考にしたのかもしれません。ステパノも、イスラエルの歴史を通して示された神による救いの物語と、その救いの物語を完成された方がイエス・キリストであるということを証ししました。今朝のテキストはその最後の部分ですが、締めくくりの41節は旧約聖書の「ハバクク」からの引用です。
『見よ、嘲る者たち。驚け。そして消え去れ。わたしが一つの事をあなたがたの時代に行うからだ。それは、だれかが告げても、あなたがたには信じがたいことである。』」(使13:41)。
このハバククの預言は、直接的には、紀元前6世紀に起こった、南ユダ、つまりイスラエルの国が滅ぼされたバビロン捕囚と、その捕囚からの解放について預言したものです。パウロは、このみことばを引用してユダヤ人たちに警告しているのですが、彼らにとって信じがたいことというのは、その少し前の38節後半からのことです。
『このイエスを通して罪の赦しが宣べ伝えられているのです。また、モーセの律法を通しては義と認められることができなかったすべてのことについて、この方によって、信じる者はみな義と認められるのです』(同13:38b~39)。
<結論>
「この方によって、信じる者はみな義と認められる」。これは、自分たちこそ選ばれた民族だと固く信じていたユダヤ人にとっては、まさしく信じがたいことであったわけです。今の私たちは、もちろん違います。聖霊の助けによって、その信じがたいことを信じているわけですが、ただ、どうでしょうか?罪赦され、義と認められた喜び、希望が、ともすれば、「イエス様を信じたら永遠のいのちが与えられ、死んだ後、天国に行けますよ」という、死後のことだけになってはいないでしょうか。
私たちの教団の信仰告白の第二部には「日本MB教会はいかに神の目的に応答するか」とありますが、それが本当に、今、私たちに、そして自分に問われているような気がしています。宣教は神の業であり、あくまでも主役は神、聖霊なんですが、私たちは、信じがたいことを信じる者とされたという喜びをもって、応答してゆきたいですね。
会衆讃美
開会祈祷後:新聖歌156番、メッセージ後:新聖歌220番
聖書交読
詩編71篇 1~9節
2024年教会行事
7月10日(水) オリーブいきいき百歳体操 10時~11時
#56-2928
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