サウロの回心

令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

メッセージ

<使徒の働き 9章1~9節>
牧師:砂山 智

開会聖句

あなたはその方のために、すべての人に対して、見聞きしたことを証しする証人となるのです。

<使徒の働き 22章15節>

メッセージ内容

Youtube動画

 

公開が遅れて申し訳ありません。 メッセージ動画公開:6/15 PM 10:15
 


 メッセージ原稿を公開しました。  

<序論>
・「サウロ」というのはユダヤ名(ヘブル語)で、ギリシア語では「パウロス」となります。「使徒」では、13章9節から「パウロ」と呼ばれるようになります。ちなみに、英語では「ポール」ですね。

8章1節を見ると『サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた』

とありますが、それだけでは飽き足らなかったのでしょう。サウロは、なおも主の弟子たちの迫害に燃えて、わざわざ大祭司からもらった手紙まで携え、ダマスコにまで出かけて行こうとします。ダマスコというのは、現在のシリアの首都ダマスカスのことです。この町は先週のガザと同じく、世界最古の町の一つと言われ、エルサレムからの距離は100km程(大阪→姫路)。当時であれば一週間はかかったと思われます。

<本論>
1.天からのまばゆい光が

今朝の主人公のサウロ(後のパウロ)も、先週のピリポと同じく、十二使徒の一人ではありませんでした。しかし、「ローマ」以降の彼の手紙を見ると、その冒頭で必ずと言っていいほど自分のことを使徒と名乗っています。その根拠となったのが今朝の出来事です。例えば「ガラテヤ」には次のようにあります。

『人々から出たのではなく、人間を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によって、使徒とされたパウロと、』(ガラ1:1)。

最初にお話ししましたように、復活のキリストと出会い、回心する前のパウロは、教会やクリスチャンを迫害するユダヤ人の先頭に立っていた人でした。ですから、初代教会のクリスチャンの中には、彼が回心した後、「自分は使徒である」と自称することに対して快く思っていなかった人たちもいたようです。しかし、パウロは、「使徒」後半に書かれている通り、異邦人世界への福音宣教を担った中心人物であり、最低でも三度に渡る伝道旅行を行い、その際に訪れた諸教会に宛てて書いた多くの手紙を書き残しています。それらのことは、後のキリスト教の歴史に極めて大きな影響を残しました。パウロの時代から1500年程後に、あの宗教改革を指導したルターも、パウロの書簡から大きな影響を受けた人の一人です。
さて、今朝の開会聖句の「使徒」22章は、パウロが回心から何年も後に、エルサレムでローマの千人隊長に捕らえられた際に、自分が回心した時のことを大勢の民衆に向かって証ししている(回想している)場面です。そこで彼は次のように語っています。

『私は、キリキアのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しく教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。そしてこの道を迫害し、男でも女でも縛って牢に入れ、死にまでも至らせました』(使22:3)。

今朝の9章にもあったように、彼は、エルサレムから遠く離れたダマスコにまで、『この道の者』(当時はクリスチャンのことをそのように呼んでいたようです)を見つけ次第、男でも女でも縛り上げて、エルサレムに引いて来るために出かけて行ったのです。ところが、6節。

『私が道を進んで、真昼ごろダマスコの近くまで来たとき、突然、天からのまばゆい光が私の周りを照らしました。私は地に倒れ、私に語りかける声を聞きました。「サウロ、サウロ、どうしてわたしを迫害するのか。」私が答えて、「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、その方は私に言われました。「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである。」』(同22:6~8)。

パウロの信仰の原点は、この復活のキリストに出会ったという彼の個人的な体験にありました。パウロは、自身でも語っていたように、生粋のユダヤ人で、先祖たちから受け継いだ伝統を何よりも大切にする厳格なパリサイ人でしたが、この出来事を境にして180度変えられます。ある方は、そのことについて次のように書いておられました。
「パウロは、教えられる宗教から、出会う宗教へと変えられた。彼自身が考えたり教えられたのではない。神のほうから彼に近づいてくるキリストに出会ったのだ」。
確かに、考えてみれば、パウロ自身がキリストに近づこうとしていたわけではありませんでした。また、彼が、自分の過ちに気づき、悔い改めたから、キリストが現れたのでもありませんでした。それどころか、彼はクリスチャンたちを迫害しようとして息巻いていたのです。そんなパウロに、キリストのほうから近づいてくださった。それは、私たちの信仰の原点でもあるのではないでしょうか。

『私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです』(Ⅰヨハ4:10)。

これはヨハネの手紙にある「愛の賛歌」ですが、初代教会の人々の讃美となったみことばです。その結びのことばがこの10節で、決して忘れてはならないことです。

2.立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば…

そして、今朝の9章6節に戻りたいと思いますが、

「立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたがしなければならないことが告げられる。」(使9:6)。

これがパウロの聞いた最初の主のみこころでした。立ち上がって、町に入れ。このイエス様のことばに、ありのままで愛してくださった者に対して応答を求める神の姿を見ます。
私たちが救われたのも、今朝のパウロと同じように、神からの一方的な恵みです。ですから、この自分をありのままで愛してくださった神に感謝する以外にありません。しかし、それと同時に、神は私たちに応答することを求めておられるのです。先月からK姉が「創世記」から語ってくださっていますが、人間が神のかたちに造られたというのも、人間が神に応答する者として造られたということを意味していると思います。あの、同じ「使徒」3章の、生まれつき足の不自由な人もそうでした。彼も、「美しの門」で、ペテロに「ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言われ、自分の足でまっすぐに立ち、歩きだしました。そして、躍り上がって、飛んだり跳ねたりしながら、神を賛美しつつ歩き始めたのです。神への応答は、もちろん、強いられてするものではなく、戒めのようなものでもありません。あの放蕩息子のたとえに出て来る父親のように、父なる神は、そしてイエス様は、私たちが日々の生活の中でご自身との豊かな交わりの中で生かされていることを喜び、自ら応答する者となるように、願っておられるのです。

<結論>
今朝の開会聖句は、先程もお話ししたようにパウロの回想の中でのことばですが、実際にこのことばを語ったのはアナニアという人でした。彼は、幻を通して、目が見えなくなったパウロを助けるようにと命じられます。最初、尻込みするのですが、再度の促しに従い、パウロのところに出向き、彼の目を開けてやるのです。「目から鱗」。そして、その後で、アナニアがパウロに告げたことばがこのことばです。

『あなたはその方のために、すべての人に対して、見聞きしたことを証しする証人となるのです』(使22:15)。

確かに、これから後のパウロの生涯は、この一点に尽きています。彼は、何か教えられたことや学んできたことを証しする証人ではなく、自分自身が見聞きしたこと、つまり、復活のキリストと出会ったことを証しする証人となるのです。
そして最後になりますが、パウロがそのような使命を果たせたのも、その背後にあって、地味なんですが、今、お話ししたアナニアや、パウロを弟子たちにつないでくれたバルナバの愛の奉仕があったからなんですね。私たちにも、それぞれにふさわしい賜物が与えられています。その賜物を用いて主に応答する者でありたいですね。

メッセージ原稿のダウンロード(PDF97KB)

会衆讃美

開会祈祷後:新聖歌146番、メッセージ後:新聖歌366番

聖書交読

詩編63篇 1~11節

2024年教会行事

6月12日(水) オリーブいきいき百歳体操 10時~11時

#56-2924

Comments are closed