イエスの御名で

令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

メッセージ

<使徒の働き 3章1~16節>
牧師:砂山 智

開会聖句

このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが今見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです。

<使徒の働き 3章16節>

メッセージ内容

Youtube動画

 

公開が遅れて申し訳ありません。 メッセージ動画公開:5/19 AM 9:53
 


 メッセージ原稿を公開しました。  

<序論>
・今朝の話を読むと、昔、教会学校でよく歌った讃美歌を思い出します。「金銀は我にないが あるものを上げよう 主イエスの御名(みな)によりて 立ち上がり歩けよ 歩きまわり 踊りもて 歩きまわり 讃美した 主イエスの御名によりて 立ち上がり歩けよ」。

<本論>
1.美しの門

冒頭の1節に、

『ペテロとヨハネは、午後三時の祈りの時間に宮に上って行った』

とありました。午後三時というのは、ユダヤ人にとって、夕方のいけにえと祈りを献げる時間でした。ペテロとヨハネは、クリスチャン(使徒)でしたが、そのユダヤの伝統に則って、午後三時の祈りの時間に宮(エルサレム神殿)に上って行ったのです。この二人は使徒たちの中でもリーダー的な立場にあったと思われます。つまり、この頃までは、彼らの信仰というのは、完全にユダヤ教の枠から脱し切れていなかったということでしょう。「使徒」には、初代のクリスチャンたちが、どのようにしてそれまでのユダヤ教の信仰(律法主義)から脱して、独自の新しい道を歩むようになっていったのかということが描かれていますが、律法(戒律)と信仰の微妙な関係というのは、これ以降も、今日に至るまで続いているように思えます。さて、2節には、「美しの門」という名前の門が出てきましたが、それがどこにあったのかということは、今となっては、はっきりと分かっていません。ただ、学者の多くは、それは当時のエルサレム神殿の東側にあったニカルノ門のことだったのでは、と考えているようです。その門の先にはユダヤ人男子だけが入れる庭があり、さらにその先は祭司の庭で、その奥に神殿(聖所・至聖所)があったそうです。その門に、毎日、物のように運ばれ、置いてもらっている人がいました。彼は、生まれつき足が不自由で、歩くことのできない人でした。今の時代であれば、車椅子、電動の車椅子もありますので、そんな人でも、ある程度は自分の意思で移動することができるわけですが、この時代にはそんなものはありません。彼は、誰かに頼んで運んでもらい、多くの人が行き来する場所に置いてもらって物乞いをして生きていたのです。以前、ある宣教師から聞いた話ですが、今でも、インドやパキスタンなどの国々では、親が生まれたばかりの自分の子どもをわざと傷つけ、障害者にするということがあるそうです。それは、その子どもが生きてゆくため。或いは、親がその子どもから搾取するためです。この人がそうであったのかは分かりませんが、少し後の4章22節には、彼は四十歳を過ぎていたとありますので、恐らく、小さな頃から何十年も物乞いをして生き抜いてきたのでしょう。ですから、ペテロとヨハネが、

『私たちを見なさい』(使3:4)

と言った時、『彼は何かもらえると期待して、二人に目を注いだ』というのは、至極、自然なことであったと思います。しかし、その後のペテロのことばは意外なものでした。

2.金銀は私にはない

『「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」』(使3:6)。

彼の期待はペテロの最初の一言で打ち砕かれます。しかし、ペテロは続けて、「私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言って、彼の右手を取って立たせたのです。そうすると、たちまち彼の足とくるぶしが強くなり、踊り上がって立ち、歩き出した。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った、と聖書は記しています。その姿は、彼の喜びの大きさを物語っていると思います。ユダヤでは、彼のように、生まれながらに障害のある人は、本人かその家族・先祖が罪を犯したせいだと考えられていました。彼は、何十年もの間、障害者として生きる苦しみだけでなく、そのような差別、偏見の目で見られる苦しみをも背負って生きて来たのです。けれども、ペテロの発した、たった一言によって癒され、自分の足で歩き始めました。「僥倖(ぎょうこう)」ということばをご存じでしょうか。それは、「思いがけない幸せ、偶然に得る幸運」という意味ですが、今朝の出来事は、彼にとってまさしく「僥倖」でした。その喜びがどれほどのものであったかということは、私なんかには想像もつかない、彼にしか分からないことだったでしょう。そんな彼の姿を見て、人々はものも言えないほど驚き、ペテロたちのところに一斉に駆け寄って来たとあります。そしてペテロはその人たちに向かって語り始めるのです。先週に続いて、ペテロの二回目の説教。宮での説教です。

「「イスラエルの皆さん、どうしてこのことに驚いているのですか。どうして、私たちが自分の力や敬虔さによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか」(同3:12)。

「Ⅰコリント」6章19~20節に次のようにあります。

『あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい』(Ⅰコリ6:19~20)。

この時、ペテロは、人間的な思いでは「どうだ、俺の信仰の力は凄いだろう!」と人々に誇りたかったかもしれません。以前の彼ならきっとそうしていたでしょう。しかし、彼は正直に、「この人を癒したのは、私の力や敬虔さのゆえではない。神がイエスの名によって彼を癒されたのだ」と、全ての栄光を神に帰したのです。

<結論>
そして、その結びのことばとも言えるのが、今朝の開会聖句の16節です。

『このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが今見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです』(使3:16)。

ここでペテロが語っている「信仰」とはどのようなものなのでしょうか?今朝の話で、癒された人自身にイエスの名を信じる信仰があったから彼は癒されたとは、とても言えないですよね。彼を癒したペテロ自身も、自分の力や敬虔さによるものではないと否定しています。つまり、このペテロが語っている「信仰」とは、私たち人間の側の意思とか、決心とか、そういうものではなくて、「イエスによって与えられる信仰」。信仰は神がイエスの名によって(を通して)私たちに与えてくださる賜物(プレゼント)だということではないでしょうか。もし、私たちが、「自分の信仰深さや祈りの力で…」なんて、ちょっとでも思っているとしたら、それは、神を信じるというよりも、自分や人間を信じているだけということにならないでしょうか。今朝の説教のタイトル、「イエスの御名で」と同じタイトルで、ヘンリー・ナウエンという方が本を書いているんですが、その中でナウエンは、

「この世で私たちが認めてもらうためには、自分には何ができるかということを証明し続けなければならない。しかし、神はそうした条件無しに私たちを愛してくださる。人と交わりを結ぶには、私たちはむしろ弱くありのままの自分を差し出す必要がある」

と述べています。

ナウエンは、ハーバード大学神学部教授という地位を捨てて、「ラルシュ共同体」というフランスの知的に障害のある方と共に生きるコミュニティーに入り、今のことばの通りに生きた人でした。「イエスの御名で」とは、イエス様に従う生き方をするということだと思います。今週もイエス様の御名で歩んで行きましょう。

メッセージ原稿のダウンロード(PDF92KB)

会衆讃美

開会祈祷後:新聖歌37番、メッセージ後:新聖歌358番

聖書交読

詩編56篇 1~13節

2024年教会行事

5月15日(水) オリーブいきいき百歳体操 10時~11時

#56-2919

One comment to this article

  1. mb-senri_web

    on 2024年5月11日 at 8:25 PM -

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