第1部 クリスマス礼拝
メッセージ
<ヨハネの手紙 第一 1章1~10節>
牧師:砂山 智
開会聖句
光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
<ヨハネの福音書 6章2節後半>
メッセージ内容
Youtube動画
礼拝終了後に公開予定です。公開が遅れて申し訳ありません。
メッセージ動画公開:12/25 PM 11:40
メッセージ原稿を公開しました。
<序論>
・この手紙はその名前の通りヨハネが、十二使徒の一人のヨハネが書いたとされています。読んでみると、確かに「ヨハネの福音書」と文体が似ています。ヨハネは、伝承では、十二使徒の中で唯一、殉教を免れて、長生きしたと伝わっています。彼は晩年、エペソに住んだそうですが、紀元95年にドミティアヌス帝による迫害のためパトモス島に流され、そこで不思議な啓示を見て、あの「ヨハネの黙示録」を書いたとされています。今朝の手紙は、その少し前にエペソで書かれたようです。ですので、紀元90年前後と思われますが、もうその頃には、生前のイエス様を知る弟子たちもほとんどいなくなり、イエス様について勝手なことを語る人たちが出てきたようです。
1.自分の目で見たもの、自分の手でさわったもの
それがどのようなものであったかは、この手紙の冒頭、特に3節までの内容から、推測することができます。それは、キリストが私たちと同じような肉体をとって来てくださったことを否定する考え方(異端)です。「グノーシス主義」と言いますが、「霊肉二元論」とも呼ばれ、霊は純粋で神聖なものであるのに対して、肉(物質)は罪深く堕落したものとされました。ですから、神のひとり子、救い主であるキリストが、私たち人間と同じ肉体をとってこの世界に来てくださっただなんて、ありえない!とされたのです。イエス様は肉体を持たない霊のような存在としてこの世界に来てくださったということですね。しかし、ヨハネは、この手紙の最初で、キリストは確かに、私たち人間の五感で認識できる実体を伴い、私たちと同じ肉体を持ってこの世界に来てくださった。自分も含めて、生前のキリストを知る者たちは皆、そのことの証人だと言っているのです。
実は、このような二元論、善悪二元論は、現代にまで影響を残しています。皆さんは「陰謀論」というのをお聞きになったことがあるでしょうか。ディープステート(闇の政府)がこの世界を陰で操っているのだという。先日も、ドイツで、そんな陰謀論を信じた「ライヒスビュルガー」と呼ばれる、軍や警察の出身者、元貴族など、25名もの人たちが、武装蜂起を、クーデターを起こそうとして捕まったというニュースが流れていました。そのことと関連して、宗教学者の辻隆太郎という方が、「善悪二元論 危うさ」と題して、読売新聞に次のように書いておられました。
「陰謀論が全て暴力に直結するわけではない。しかし、陰謀論を信じると「自分たちは正しい」「あいつらは悪」という善悪二元論に陥る。それが社会への不満や怒りなどと結びつくと「正義のため」と思い込み、暴力的な行動につながることがある」。そして、辻氏は、過去に日本でもあったオウム真理教事件や在日コリアンへの差別襲撃事件などをその例として挙げておられました。
2.肉体をとって来てくださった意味
聖書は、この世界、天地万有は神が造られたものだと証言しています。もちろん、私たち人間も含めてです。そして神は、ご自分が造ったすべてのものをご覧になって、見よ、それは非常に良かったと言われたんです(創1:31)。しかし、なぜかは分かりませんが、そんな良い世界に悪が入り、人間を始めとする被造物は堕落してしまいました。あのエデンの園での事件をきっかけとして、人間は「創世記」3章8節にあるように、主の御顔を避ける者、闇に生きる者となってしまったのです。先週、K姉が「闇を隠れ家とする神」と題してメッセージを語ってくださいましたが、その終わりのところで次のように言われました。
「私たちが神さまと本当の意味で出会うのは、自分の「闇」という誰にも知られたくない恥ずかしい部分でだと思います。私たち人間は、「神は光である」というその存在に耐えることはできません。しかし、神さまの深い愛は、近づきがたく畏れ多い御姿を、闇に隠し、私たちに会うことを選ばれました」。
本当にそうです。それこそが、キリストが私たちと同じ肉体をとってこの世界に来てくださった意味だと思います。後程、燭火礼拝が行われますが、その中で皆さんと共にお献げする讃美の最後の方で新聖歌99番「馬槽の中に」を歌いますが、イエス様は私たちと同じ生身の人間となって貧しさや生きる悩みを味わい、食事する暇さえ忘れて虐げられている人々を訪ね、友なき者の友となってくださいました。そして、その最後は、あの十字架の上で
「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」(ルカ23:34)
と言って死んで行かれたのです。
<結論>
『光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった』(ヨハネ1:5)。
聖書は善悪二元論ではありません。今朝の箇所の最後でヨハネが言ったように、自分は正義であの人は悪だなんて、そんなことを言う資格のある人間はいません。そしてもちろん、神と悪魔は対等なライバルのような関係で、やがて神が勝利を収めるだなんて、聖書は言っていません。イエス様は「わたしはすでに世に勝ちました」と言われました。そうです。闇は光に打ち勝たなかったのです。いや、そもそも、その光を造られ、闇を造られた方は神ご自身です。私たちにはまるで神なき世界のようにしか思えない闇の中にも確かに神はおられるのです。
『その名はインマヌエルと呼ばれる。それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」』
とは、そういうことではないでしょうか。メリークリスマス!私たちの救い主のご降誕を心からお祝い申し上げます。
特別讃美
★ムジカンパーニュ(曲順不同)
「Birthday of a King」
「月の光」
「パラダイス」
「ノエルをばはじめに」(新聖歌82番「牧人 羊を」)
★Z.Y姉:ゴスペル・フラ
新聖歌
会衆讃美:(順不同)
77番「きよしこの夜」、75番「神の御子は」、78番「荒野の果てに」
第2部 燭火礼拝
聖書朗読:Y.M姉、Y.S姉
奏楽:S.C姉
2022年教会行事
12月28日(水)オリーブいきいき百歳体操(10時~11時)
#54-2848
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