北部地区牧師巡回講壇交換
メノナイトブレザレン教団の教会のうち、大阪府北部地区の教会が共に手を携えて、全ての教会をサポートし合う活動として行っており、今回は総持寺キリスト教会牧師の北嶋 和之先生をお迎えしました。当千里キリスト教会牧師は、枚方教会でご奉仕をいたします。
メッセージ
<マルコの福音書8章34~38節前半>
メッセージ:総持寺キリスト教会牧師:北嶋 和之
開会聖句
日の昇るところから沈むところまで 主の御名がほめたたたえられるように。主はすべての国々の上に高くおられその栄光は天の上にある。
<詩編113篇 3~4節>
メッセージ内容
Youtube動画
メッセージ動画公開:10/30 PM 1:00
メッセージ原稿を公開しました。家庭での礼拝に用いてください。
34節「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」この有名な聖句がどのような意味があるのかを考え、イエス様の命令を受け取っていきましょう。
Ⅰ.「自分を捨てる」とは、自己中心ではなく神中心に生きるということである。
Ⅱ.「自分の十字架を負う」とは、肉なる人を十字架につけることと、キリストに従うゆえに迫害されることである。
⑴ 「自分の十字架を負う」とは、肉なる人を十字架につけることである。
ガラテヤ5:18~24
肉のわざ:淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、
党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興。
御霊の実:愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制。
⑵ 「自分の十字架を負う」とは、キリストに従うゆえに迫害されることである。
自分を捨てたら自分がなくなるのではなく、神様が用意しておられる本当に自分に出会うことができるのです。
また、自分の十字架を負うことによって、御霊の実を結び、神様の使命に生きる者になります。
これが、神が求めておられる真実な生き方です。また、このイエスの命令に従うことが、
神に造られた人間としての尊厳を回復する道です。
新聖歌
開会祈祷後:21番、メッセージ後:40番
聖書交読
詩編122篇 1~7節
2022年教会行事
11月2日(水)オリーブ・いきいき百歳体操(10時~11時)
#54-2840
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