メッセージ
<サムエル記第一 1章1~18節>
メッセージ:牧師:砂山 智
開会聖句
彼女は、「はしためが、あなたのご好意を受けられますように」と言った。それから彼女は帰って食事をした。その顔は、もはや以前のようではなかった。
<サムエル記 第一 1章18節>
メッセージ内容
Youtube動画
メッセージ動画公開:5/1 PM 3:09
メッセージ原稿を公開しました。家庭での礼拝に用いてください。
<序論>
・「Ⅰサムエル」と「Ⅱサムエル」とは、元々、一つの書物でしたが、旧約聖書が紀元前3世紀頃にギリシア語に翻訳された際に(七十人訳)、二つに分かれたと言われています。これらの書物が「サムエル」という名前で呼ばれるのは、サムエルが書いたという意味ではなく、本書に登場する最初の重要人物がサムエルであるという理由からです。サムエルは最後の士師とも呼ばれていますが、「Ⅰサムエル」は、士師記末期のサムエルの誕生から始まり、イスラエル最初の王となったサウルの時代を経て、ダビデへの油注ぎ、そしてサウル王の死までの歴史を記しています。ただ、その内容は、イスラエルという国の歴史というより、サムエル、サウル、ダビデを中心とした様々な人物の生涯の一部が伝記風に記された書物と言った方がよいと思います。そして、もちろん私たちは、そこでも、ただ人間的な側面だけを見るのではなく、そのような人々の人生の中で確かに働いておられる神に目を注ぎ、自分自身の人生と重ね合わせることで、より具体的で深い霊的な示唆を得ることができるのではないかと思います。
<本論>
1、そのようなことが毎年
最初のエフライムというのは、ヤコブの十一番目の息子で、エジプトの宰相にまでなったヨセフの次男の名前です。イスラエル十二部族の一つですが、その相続地は死海の北西、ヨルダン川西岸に位置し、北の兄マナセ族の土地と接して広がっていました。ラマタイムというのは19節に出てくるラマと同じ町と思われますが、後に都となるエルサレムの少し北側の山地にありました。サムエルの父と母はこのラマ出身で、サムエル自身も、この町を拠点として活動したようです。
今朝の箇所には、サムエルが生まれた時の経緯が記されています。現代の特に日本などでは、家の存続や繁栄よりも個人が大事、個人主義の時代と言われて久しいですが、古代の社会においては家の存続と繁栄こそが最も重要であり、そのため、女性の価値は、跡取りの男子を産めるかどうかということにかかっていました。今でも中東の国々ではそうみたいですが、そんな背景を考えると、今朝の箇所にあったペニンナの優越感と、ハンナの苦しみとが、良く理解できるのではないでしょうか。そして、夫エルカナは、そんなハンナを不憫に思ってかどうかは分かりませんが、5節。ハンナに特別の受ける分を与えていた。ハンナを愛していたからであると書かれています。しかし、このことは、ペニンナとハンナの関係をより一層困難なものとしたでしょう。ペニンナはハンナを苛立たせ、その怒りをかき立てたのです。そして、7節をもう一度ご覧ください。
『そのようなことが毎年行われ、ハンナが主の家に上って行くたびに、ペニンナは彼女の怒りをかき立てるのだった』(Ⅰサム1:7a)。
聖書は、それは毎年のことであったと記しています。それがどれくらい続いたのかは分かりませんが、ハンナにとっては、辛く苦しい忍耐の日々であったでしょう。たとえ苦しくても、それがいつまで続くのかがはっきりしていれば、或は、耐えることもできるかもしれません。しかし、年が暮れ、年が明けても、いつまで経っても自分を取り巻く暗闇が消え去ろうとしないような時、人はその苦しみを幾倍にも感じるものではないでしょうか。けれども、それと同時に、そのように長く続く苦しみの日々こそが彼女の心を神に向かわせたのではないか、とも思わされました。旧約の詩人は、
『苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。それにより、私はあなたのおきてを学びました』(詩119:71)
と歌いました。私たちはなかなか、心の底から「苦しみにあったことは幸せでした」とは言えない、言い難い者です。しかし、先週のK姉のメッセージにもありましたが、確かに、それは真実なんですね。
ハンナは神に自分の正直な心をさらけだし、祈ります。8節にあった夫エルカナのことばも、一時的には彼女の心を慰めたかもしれませんが、やはり、彼女が最終的にすがったのは、万軍の主、神でした。11節。
『「万軍の主よ。もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、主にお渡しします。そしてその子の頭にかみそりを当てません。」』(Ⅰサム1:11b)。
頭にかみそりを当てませんというのは、「士師記」のサムソンを連想させることばです。もし、あなたが男の子を下さるなら、私は、その子を神のナジル人として、つまり、神に特別に聖め分かたれた者、献身者としてお献げします、ということですね。皆さんは、このハンナの祈りをどのように感じたでしょうか?非常に具体的で、ある意味、神様と取引をするような祈りです。「もし、私の願いがかなうなら、子どもを主にお渡しします」。私たちも、時に、そんな祈りをお献げする時があるのではないでしょうか。「もし、~なら、~します」という。実は、私にもそんなことがありました。ハンナのように、子どもを与えてくださいという祈りではありませんでしたが。また、もう昔の話ですが、ある方の、ある牧師の、そんな祈りと言うか、ことばに強く反発したこともありました。それは、「自分は、この子が与えられた時から、将来は献身者として神様のご用をするような人になるようにと祈ってきたんです」という。
私は、そのことばを聞いて、親の願いは願いとして、子どもには子ども人生がある。子どもの生き方まで親が強制できるのか?それは親のエゴではないか?と思ったんですね。ただ、よく考えてみると、ハンナがそのように祈ったからといって、それでサムエルの人生のすべてが決まってしまったということでもなかったと思います。サムエルはサムエル自身で色々なことを経験し、また、自らに与えられた信仰に基づいて自分の人生を選び取って行ったのです。実際、この後の聖書を読めば、それがよく分かります。私は神学生の時、「境界線(バウンダリーズ)」という本を通して学ぶ機会がありました。その本には、健全な人間関係を築くためにという副題がついていましたが、今の時代、親の子離れとか、子どもの親離れ、或は、共依存ということがよく言われます。親子であれ、夫婦であれ、その関係が不健全なほど近すぎる場合があるんですね。もしかしたら、今朝のハンナの祈りは、ある意味、大切な一人子として与えられた子どもの将来に、自分は変に依存したり干渉はしませんと言うか、本当に子どもの人生のすべてを神様にお委ねしてお任せしますという祈りだったのかな、と思わされました。それが、彼女にとっての子離れであり、主なる神様への信仰を通して一人息子であるサムエルと健全な親子関係を築くことにつながったのかなと。
<結論>
そして、そのことは、今朝の聖書の最後、開会聖句に現れているように感じました。
『彼女は、「はしためが、あなたのご好意を受けられますように」と言った。それから彼女は帰って食事をした。その顔は、もはや以前のようではなかった』(Ⅰサム1:18)。
この後の2章冒頭にはハンナの賛美の祈りが記されています。その中で彼女は、
「主は殺し、また生かします。よみに下し、また引き上げます。主は貧しくし、また富ませ、低くし、高くします」(同2:6~7)
と歌います。彼女の賛美の祈りは、自分の恥が、苦しみが取り除かれたというところにとどまりませんでした。彼女はこの経験を通して、この世界はすべて神の愛のご摂理の中にあるということを知ったのです。そして、そのことの故に、殺されることも、よみに下ることも、貧しくなることも、低くされることも、もはや、そのような神を知った彼女にとっては闇でも絶望でもなくなったのです。
神が全知全能であるとか、歴史を支配しておられるということは、何か高邁な神学理論から生まれて来るのではなく、私たちの個人的な祈りの中で神と出会うという経験から生まれて来るのではないでしょうか。その信仰に立たない限り、どんなに素晴らしい教えや神学理論も、単なる過去のオウム返しにしか過ぎず、今を生きる私たちの本当の力とはならないのです。
新聖歌
開会祈祷後:196番、メッセージ後:284番
聖書交読
詩編95篇 1~11節
2022年教会行事
5月4日(水)オリーブ・いきいき百歳体操(10時~11時)はお休みです。
#54-2814
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