体調のすぐれない方、ご不安な方および高齢の方は、当ホームページに掲載のメッセージ原稿やYoutube動画を活用いただき、それぞれのご自宅で礼拝をお捧げください。
メッセージ
<ヨハネの福音書 3章22~30節>
メッセージ:信徒:K
開会聖句
信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。
<ヘブル人への手紙 12章2節前半>
メッセージ内容
Youtube動画
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<はじめに>
・今日の主人公はバプテスマのヨハネです。ヨハネと言う名はヘブライ語のヨーハーナーンから来ていて、「ヤハウェは恵み深い」という意味です。英語ではジョン、(仏)ジャン、(伊)ジョバンニ、(露)イワン。私たちがよく耳にする名前ですね。キリスト教文化の国では、聖書の人物名は人気があったのでしょう。そして、ヨハネもその一人です。ただし、それはこの福音書の著者の使徒ヨハネのことだと思います。彼は愛の大切さを説き、「愛の使徒」と呼ばれているほどですから、人気があるのでしょう。 では、今日の主人公バプテスマのヨハネはどうでしょうか? 彼は非常に重要なメシアの証言者です。どの福音書も彼の登場なしには始まりません。しかし使徒ヨハネのように、好感度のあるタイプではなかったと思います。その格好はラクダの毛の衣、腰に皮の帯を締め、食べ物はいなごと野蜜。群衆に向かって「悔い改めなさい。」と迫った炎の預言者です。今日はこのヨハネと彼の弟子たちの会話から、証言者として生きるために大切なことを考えましょう。
Ⅰ.バプテスマのヨハネはメシアであるイエスを証言する者
バプテスマのヨハネについて、どんなことをご存知ですか。まず頭に浮かぶのは、「イエスさまにバプテスマを授けた人」でしょうか。これはマタイの福音書にあります。ルカ福音書は、もう少し詳しく、彼の誕生のいきさつから記しています。彼はイエスさまの母方の親戚の子どもで、イエスさまより少し年上。その誕生は御使いの予告という不思議で始まり、その使命も名前も御使いから告げられます。ちょっとイエスさまの誕生の場面を思い出しますね。大人になってからは、あの先ほどのスタイルで、主の道を備えるために悔い改めを叫び、たくさんの集まってくる人々にバプテスマを授けました。彼の活躍は、イエスさまの登場によって終盤に近づきます。最後は、ヘロデ王の不当な結婚を批判したために投獄され、首をはねられ殉教します。
今日の話は、イエスさまが登場し、皆の注目を浴び始めた頃のことです。 ヨハネの弟子たちが困った顔をしてヨハネのもとにやって来て報告しました。
26節「先生。ヨルダンの川向こうで先生と一緒にいて、先生が証されたあの方が、なんと、バプテスマを授けておられます。そして、皆があの方のほうに行っています。」
バプテスマのヨハネと呼ばれるほどですから、バプテスマを授けることは、彼の専売特許だったのでしょう。たくさんの人がそのためにヨハネのところに来ていました。 ところが、近くにいたイエスさまのところでもバプテスマが授けられていて、人の流れがそっちにも行っていると弟子たちが言うのです。
22,23節「その後、イエスは弟子たちとユダヤの地に行き、彼らとともにそこに滞在して、バプテスマを授けておられた。一方ヨハネも、サリムに近いアイノンでバプテスマを授けていた。そこには水が豊かにあったからである。人々はやってきて、バプテスマを受けていた。」
ヨハネの弟子たちにすれば面白くないのですね。イエスさまが、自分たちの先生のお株を奪ってしまうという危機感を持ったのでしょう。実は、
4:2に「バプテスマを授けていたのはイエスでなく、弟子たちであった」
と記されていますが、問題は、今までならバプテスマを受けるために、誰もが先生の所に来ていたのに、今はイエスさまの方にも人が流れていることでした。新しいお店の開店の風景みたいですね。
26節の弟子たちのことばには、「先生、あなたがあの人のことを『神の子』(1:34)だなんて証をしたからですよ。」という先生ヨハネへの皮肉が感じとれます。ヨハネは不満げな弟子たちをこういさめました。
28~29節「『わたしはキリストではありません。むしろ、その方の前に遣わされたのです。』と私が言ったことは、あなた方自身が証ししてくれます。花嫁を迎えるのは花婿です。そばに立って花婿が語ることに耳を傾けている友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。ですから、私もその喜びに満ちあふれています。」
ヨハネは、自分はキリストの前に遣わされた者である。キリストは花婿で、自分はその花婿の友人。花嫁を迎えて喜ぶ花婿の声を聞くことは、友人の私にはとてもうれしいことだと言っているのです。
30節では「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」
というとても謙遜なことばを語ります。私たちはここから、「彼の謙遜に見倣いましょう。」とストレートに言えないこともないのですが、一足飛びに今の私たちに移るのではなく、この会話と今の中間地点に寄り道をしてみたいと思います。
Ⅱ.証言者として生きるために必要なことは、イエスから目を離さないこと
中間地点とは、ヨハネ福音書が書かれた時代のことです。新約聖書は今の私たちのために書かれてはいません。殆どが、1世紀の70年頃のどこかの共同体(教会)のために書かれました。その共同体が、その時直面していた問題や困難を乗り越えるために。イエスさまが死んで、ほぼ30年以上経過しています。私たちはイエスさまが昇天された後、弟子たちが委ねられたリーダーシップを発揮して、共同体を力強く指導していったと思っているかもしれませんが、事実はそうたやすくありませんでした。キリスト教の存続が危ぶまれるような様々な困難、苦難を経験したのです。少し歴史的なことをお話します。
キリスト教ははじめユダヤ教の小さな一派でした。ユダヤ教という大きなグループの中にいることができました。しかし、70年にエルサレムがローマ軍に攻略され、イスラエルという国はなくなり、ユダヤ教はパリサイ派のみが他の場所へ逃げて生き残り、他は消滅しました。今年の大河ドラマも幕末から明治にかけての動乱の時代が描かれていますが、イスラエルもそういう不安定な時代だったのです。ユダヤ教は次第に、キリスト教を別物とみなし始めます。キリスト教が勢いを持ち始めたからでしょう。このままユダヤ教に妥協し埋没するか、きっぱりと決別するか。共同体は決別を選びましたが、そのような混乱期に、どっちにいけばいいかという信者の不安や迷い、それを煽るような声の大きな人たちの存在が共同体を悩ませました。律法に固執するユダヤ人や、バプテスマのヨハネの弟子出身者もいました。バプテスマのヨハネは殉教したあとも、殺した張本人のヘロデ王がイエスさまのことを、
「あれはヨハネがよみがえったのだ」(マタイ14:2)
と言うほど、死んでからも大きな影響力を誇っていたのです。
つまり、人々の間にあった疑問は、ヨハネが上か、イエスが上かというということでした。イエスさまがヨハネからバプテスマを受けたことは事実なのですから、イエスさまの先生、イエスの上と見られても不思議ではなかったのです。ですから、イエスさまとバプテスマのヨハネの関係は福音書において微妙に描かれています。ヨハネ福音書では、イエスさまがバプテスマのヨハネからバプテスマを受けたことは巧みに避けられていて、イエスさまの証言者としてのヨハネが強調されます。(1;7,15,19~36 5:33~36) そういう状況を背景に、著者ヨハネは、28節を通して、「あなたたちの先生はイエスさまの証言者でしたよね。私の弟子たちがそのことを証言してくれると先生は言ってますよ。それなのに、あなたたちはなぜ、先生と同じように、イエスさまの証言者として生きることを選ばないのですか」と、問うているのです。
なぜでしょうか。今日の開会聖句は
へブル12:2「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい」
です。 実はヨハネも証言者としてぐらっとしたことがありました。牢の中で、死ぬ少し前です。生涯をかけた彼の確信は揺らぎ、弟子を遣いに出して、イエスに問いかけました。「本当にあなたですか。私が証言した方は?」 納得のいく返事であったかどうかはわかりません。しかし、彼はイエスさまを信じることを選び、確信を持ち直して、その証言者としての人生を全うしました。イエスから目を離さなかったのです。 ヨハネの弟子たちが、先生のようでなかったのは、イエスから目を離していたからだと思います。では何を見ていたのでしょう。「うちの先生ヨハネ」です。死後なお、大きな影響力を持っていた「うちの先生」と思います。そうすることで、彼らは自分たちの存在感を持てたのでしょう。アピールできたのでしょう。 これは私たちにも言えることではないでしょうか。自分の先生(教会、教派)を誇ることは悪いことではありません。しかし、行き過ぎて、「うちの先生、うちの教会、うちの教団こそが」とか、人間的な何かを誇るなら、それはキリストの証言者とは言えません。私たちは信仰の創始者であり完成者であるイエスさまに目をとめていてこそ、証言者なのです。
<むすび>
私たちが証言者として生きることは、私たち一人一人に与えられた神さまからの素晴らしいプレゼントだと思います。それは、天に宝を積む生き方なのです。 日常において、考えることや話すこと、働くことや遊ぶこと、悲しむことや楽しむことにおいて、「イエスさまは私の主です。」という信仰の告白が、いつも私たちのスタートラインでありますように。
新聖歌
開会祈祷後:102番、メッセージ後:286番
聖書交読
詩編 65篇 1~13節
2021年教会行事
3月31日(水) オリーブ・いきいき百歳体操
#53-2757
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