国王といえども [家庭礼拝対応版]

コロナの感染拡大が続いていますが、千里教会では 3 密を避けるため、当面の間 2 階の礼拝堂で短時間の礼拝を行うこととします。
高齢の方、体調のすぐれない方、ご不安な方は、当ホームページに掲載のメッセージ原稿やYoutube動画を活用いただき、それぞれのご自宅で礼拝をお捧げください。

メッセージ

<歴代誌 第2 23章9~15節>
牧師:砂山 智

開会聖句

ヨアシュは、祭司エホヤダが生きている間は、主の目にかなうことを行った。

<歴代誌 第2 24章2節>

メッセージ内容

Youtube動画

 
メッセージ原稿は、家庭礼拝用として事前公開します。


<序論>  

・「Ⅱ歴代誌」からの四回目です。レハブアム王以降、南ユダの王は代々、ダビデの家系の男系の王が継いできました。しかし、それが一度だけ途絶えたことがあります。それが今日の話に出てる女王アタルヤの時代です。アタルヤは、南ユダの歴史上、唯一の女王でしたが、それより問題だったことは、あの悪名高い北イスラエルの王アハブとその妻イゼベルの娘であったということです。彼女は南ユダの王ヨラムと結婚します。ヨラムの父は善王と言われたヨシャファテなんですが、実はその頃から、南ユダは北イスラエル(オムリ王朝)と同盟関係にありましたので、二人の結婚は、所謂、政略結婚であったと思われます。その妻からの影響で、ヨラムは主の目に悪であることを行い、悲惨な最期を迎えます(Ⅱ歴代 21:5,6、18~)。そして、その息子アハズヤが王位を継ぐのですが、彼も母アタルヤからの影響で悪政を行い、僅か 1 年で、ニムシの子エフーによって殺されてしまうのです。エフーというのは北イスラエルの軍人で、オムリ王朝を滅ぼして新しい王朝を打ち建てた人物です。

<本論>
1、王の娘エホシェバの機転

『アハズヤの母アタルヤは、自分の子が死んだと知ると、ただちにユダの家に属する王の一族全員を滅ぼした』(Ⅱ歴代 22:10)。

アタルヤは、この機に乗じてダビデの血筋に連なる者たちを根絶やしにし、南ユダの王位を簒奪しようとしたのです。この企ては上手くいったかのように見えました。

『しかし、王の娘エホシェバは、殺される王の子たちの中からアハズヤの子ヨアシュをこっそり連れ出し、寝具をしまう小部屋にその子とその乳母を入れた。祭司エホヤダの妻でアハズヤの妹である。ヨラム王の娘エホシェバが、ヨアシュをアタルヤから隠したので、アタルヤは彼を殺せなかった。ヨアシュはこの人々とともに、神の宮に六年間、身を隠していた。その間、アタルヤが国を治めていた』(同 22:11~12)。

ヨアシュを救ったエホシェバは「王の娘」と呼ばれていますが、アタルヤの娘とは書かれていませんので、もしかしたら、兄のアハズヤとは腹違いであったのかもしれませんが、彼女は夫である祭司エホヤダとともにダビデの血筋を守ったのです。そして、この出来事から七年目、遂にエホヤダはクーデターを起こします。

2、さとしの書を渡して

それが今日の箇所なんですが、23 章の前半には、エホヤダがその準備を用意周到に進めた様子が描かれています。そのクライマックスとも言える場面が 11 節です。

『彼らは王の子を連れ出し、王冠をかぶらせ、さとしの書を渡して、彼を王と宣言した。そしてエホヤダとその子たちが彼に油を注いで、「王様万歳」と叫んだ』(Ⅱ歴代 23:11)。

今、お読みした中の『さとしの書』とは、モーセの律法の写しのことです。つまり神のみことばということです。エホヤダはヨアシュこそ真の国王であるということの根拠を神のみことばに置いたんです。それは、まず第一に、自分たちの正統性を示すためであったと思われますが、裏を返せば、たとえ国王といえども、その権威は神と律法の下にあるということを宣言するためでもあったと思うのです。この故事にならって、イギリスでは新しい国王の戴冠式で国王は聖書に手を置くそうですが、アメリカの大統領就任式でも新しく選ばれた大統領は聖書に手を置いて宣誓をしますよね。残念ながら我が国にはキリスト教的な背景はありませんが、今、日本の指導者たちはどうでしょうか?謙虚に、自らに委ねられた権力を正しく用いて政治を行っているでしょうか?また、世界の指導者たちはどうでしょうか?
最近、アメリカのトランプ大統領の選挙後の振舞が何かと物議を醸していますが、先日、そのことについての興味深い記事を読みました。それは佐藤優という人の説(解釈)なんですが、彼は、トランプのそのような振舞の背景には、幼い頃から通っていた長老派教会のカルヴァン主義の影響があるのではないか、と書いていたんです。カルヴァン主義といえば「予定説」と「全的堕落」という教義がよく知られていますが、「予定説」では神の選びが強調されます。だから、その教えに立つ人間は逆境に強い、と佐藤氏は書いておられました。どんな危機に直面しても、自分は神に選ばれた人間なんだから、最後には勝つ。神の助けがあるということです。しかし、皆さんもお分かりだと思いますが、神の助けとは、万事、自分に都合よく物事が進むということではありませんよね。神様の目からご覧になって善なること、良いこと、つまり「みこころ」が行われるということだと、私は思うのですが…。ですから、この「予定説」が極端になってしまうと、おかしな方向に行ってしまうと思うんです。

<結論>

現在、私たちの教団の議長は星田チャペルの田中師が務めてくださっていますが、前の議長が選ばれた際に、恒例となっている教団協議会での説教の中で、その方は次のように言われたんです。「私たちは、社会や教会で、どのような立場にあったとしても、皆、等しく、神様の御前では僕(しもべ)なんです」。皆さんもご存じかもしれませんが、その牧師はとても謙虚な方です。また、教団の議長といっても、ハッキリ言ってたいした権威や権力もありませんし、その役職のための報酬もありません。本当に苦労ばかりの損な役回りなんですが、私はその言葉を聞いて本当に「アーメン」と思わされました。そして、それと同時に、すぐに高慢になってしまう自分、僕(しもべ)であることを忘れてしまう自分のことを思わされたんです。
今日の開会聖句には、

『エホヤダの死後、ユダの首長たちが来て、王を伏し拝んだ』

と書かれています。この「伏し拝んだ(へブル語でハーヴァー)」と訳されていることばは、「礼拝した」とも訳せることばなんです。つまり、エホヤダの死後、ユダの首長たちはヨアシュ王を神格化したんですね。その結果は次の 18 節に書かれています。

『彼らは父祖の神、主の宮を捨て、アシェラと偶像に仕えた。彼らのこの罪過のゆえに、御怒りがユダとエルサレムの上に下った』(Ⅱ歴代 24:18)。

メッセージ内容のダウンロード(PDF103KB)

新聖歌

開会祈祷後:70番、メッセージ後:218番

聖書交読

詩編 52篇1~9節

2020年教会行事

12月2日(水)オリーブ・いきいき百歳体操

#52-2739

One comment to this article

  1. mb-senri_web

    on 2020年11月28日 at 5:17 PM -

    メッセージに出てくる、佐藤優氏によるトランプ大統領の人物像分析についての詳細は以下リンクをご覧ください。

    「トランプと金正恩は”同じOS”を持っている」(プレジデントオンライン)
    https://president.jp/articles/-/27104?page=1

    こちらもご参考に。

    「トランプ大統領が敗北を認めない最大の理由」(Yahoo!ニュース 高橋浩祐)
    https://news.yahoo.co.jp/byline/takahashikosuke/20201117-00208329/