高齢の教会員、教会での礼拝に参加することが困難な教会員のために、Youtubeによる動画配信を行っています。
本ページ内容は家庭礼拝に対応しています。
メッセージ
<歴代誌 第2 9章22~31節>
牧師:砂山 智
開会聖句
ソロモン王が年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々の方へ向けたので、彼の心は父ダビデの心と違って、彼の神、主と一つにはなっていなかった。
<列王記 第1 11章4節>
メッセージ内容
Youtube動画
メッセージ原稿は、家庭礼拝用として事前公開します。
<序論>
・「Ⅱ歴代誌」からの二回目です。今日は「ソロモン王の栄光と挫折」」という題ですが、この「Ⅱ歴代誌」では、ソロモンの栄光については詳しく書かれていますが、挫折については、少なくとも表面的には、ほとんど何も触れられていません。その点が同じ時代の歴史を扱っていながら「列王記」などとは異なるわけですが、その理由は、この書簡が書かれた目的と関係していると思われます。「歴代誌」が想定している直接の読者は、あのバビロン捕囚解放(紀元前538年)から一世紀ほど経った時代のユダヤ人であったと考えられています。ソロモンの時代から500年程後の時代です。バビロンから帰還した人々は希望に燃え、祖国再建に乗り出しますが、近隣諸国からの圧迫や異教徒との結婚問題、或いは、神殿は何とか再建することができましたが、次第に人々の信仰は形骸化し、無関心が進み、ユダヤ人たちは、もと来た道、つまり、背教の民へと戻りつつありました。そんな民に対して、この書簡の著者は、様々の歴史的資料を用いながら、次の三つの事柄を強調することを目的として、独自の歴史を編纂したのではないかと言われています。その一つは、イスラエル民族に与えられた偉大な伝統と使命を再確認させ、彼らに奮起を促す。二つ目は、神殿を準備し、建築したダビデ、ソロモンの偉業を想起させ、神殿礼拝の重要性を再認識させる。三つ目は、神殿を尊び神に従った王は祝福を受け、神に背いて偶像礼拝に陥った王は災いを受けたことを心に銘記させ、警告を与えるということです。ですから、「歴代誌」では、ソロモンだけでなくダビデについても、機微に触れるような話、要するに「えげつない話」は省略されています(例:バテ・シェバ事件等)。ただ、それは別の見方をすれば、本書を読む人たちがそれらのことは十分に承知しているだろうという前提に立って書いているとも言えると思います。今日は、そのように省略されていることについても、「サムエル記」や「列王記」などを参照しながら、みことばに耳を傾けたいと願っています。
1、シェバの女王
今日の箇所の冒頭では、ソロモンの栄光がストレートに表現されています。
『ソロモン王は、富と知恵とにおいて、地上のどの王よりもまさっていた。地上の
すべての王は、神がソロモンの心に授けられた知恵を聞こうとして、彼に謁見を求めた』(Ⅱ歴代9:22,23)。
その代表例が、9章前半にあるシェバの女王の謁見です。
『ときに、シェバの女王は、ソロモンの名声を聞いたので、難問をもってソロモンを試そうと、非常に大勢の従者を率い、バルサム油と多くの金および宝石をらくだに載せて、エルサレムにやって来た。彼女はソロモンのところに来ると、心にあることをすべて彼に問いかけた』(同9:1)。
このシェバがどこかということについてはいくつかの説があるんですが、恐らく、アラビア半島の南西部、現在のイエメン辺りにあった国であろうと言われています。紅海への入り口に位置していますので、ソロモンの時代にはエジプトなどとの貿易によって大いに栄えたと言われています。ですから、この出来事も、何かシェバの女王がソロモンの名声を伝え聞いて、わざわざ謎解きと言うか自分の知的好奇心を満たすためにやって来たというような書き方になってますが、その真の目的は、貿易問題を話し合うためであったと思われます。現代でもアメリカと中国などの貿易問題がよくニュースで取り上げられますが、ソロモンが手にした莫大な富、栄華も、そのような外国との貿易から生み出されたものだったからです。
2、馬と戦車
そして、その莫大な富は、ソロモンに強大な軍事力をももたらしました。
『ソロモンは馬と戦車のための厩舎を四千、および騎兵を一万二千持っていた。彼はこれらを戦車の町々、およびエルサレムの王のもとに配置した。彼は、あの大河からペリシテ人の地、さらにエジプトの国境に至るすべての王を支配下に置いた』(Ⅱ歴代9:25,26)。
馬や戦車、騎兵というのは、現代で言えばミサイルや最新鋭戦闘機に匹敵するような、当時としては最新の兵器です。ですから、このことは、ソロモンが決して二流の小国の支配者ではなく、エジプトのような大国の支配者とも対抗できるだけの軍事力を持った支配者であったということを示しています。しかし、実際は、ソロモンはこれらの兵器を使用することはほとんどなかったようです。それは、現代でも、核兵器についての議論でよく言われる、抑止力と言えばそうなのかもしれませんが、見方を変えれば、それらの最新の武器は、無用の長物でもあったんですね。
かつて、預言者サムエルは、自分たちにも王を与えてください、他の国々と戦うために王が必要だ、という民の願いに対して、次のように言って警告したと「Ⅰサムエル記」は記しています。
『「あなたがたを治める王の権利はこうだ。あなたがたの息子たちを取り、戦車や軍馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。また、自分のために千人隊の長や五十人隊の長として任命し、自分の耕地を耕させ、自分の刈り入れに従事させ、武具や戦車の部品を作らせる。(中略)その日、あなたがたは自分たちのために選んだ王のゆえに泣き叫んでも、その日、主はあなたがたに答えはしない』(Ⅰサム8:11~18)。
あの、富と知恵とにおいて、地上のどの王よりもまさっていると言われたソロモン王も、その晩年においては、サムエルが警告(預言)した通りに、イスラエルの民を重い苦役によって苦しめる王となってしまったのです。
今日の箇所の最後は、ソロモンが死に、その子レハブアムが代わって王となった、ということばで簡潔に締め括られていますが、このレハブアムが即位した後、直ぐにソロモンの家来であったネバテの子ヤロブアムが反乱を起こし、イスラエルは北と南、北イスラエルと南ユダとに分裂してしまうんですね。
今日の開会聖句は、「Ⅰ列王記」のみことばです。
『ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々の方へ向けたので、彼の心は父ダビデの心と違って、彼の神、主と一つにはなっていなかった』(Ⅰ列王11:4)。
ダビデとソロモン。実の親子ではありましたが、本当に対照的と言いますか、全く違った道を歩んだと思います。ソロモンは、既に申し上げましたように、外国との貿易で巨万の富を築き上げました。それは、神からいただいた知識や知恵によるものであったと思いますが、そんな知恵も、誘惑には勝てなかったんです。一つ前の3節には、
『彼には、七百人の王妃としての妻と、三百人の側女がいた。その妻たちが彼の心を転じた』
とあります。これらの女性たちは、外国との貿易や外交をスムーズに進めるための人質でもあったと思われますが、そのもう一つ前の2節の最後には
『しかし、ソロモンは彼女たちを愛して離れなかった』
とありますので、やっぱり、「英雄色を好む」と言われるように、ソロモンも女性には弱かったんでしょう。
ただ、その点では父ダビデも同じでした。彼も女性では大失敗と言うか、本当に卑劣な、恐ろしい罪を犯しています。あのバテ・シェバ事件ですね。ソロモンのお母さんなんですが、その事件の顛末は「Ⅱサムエル記」11章以降に記されています。自分の家来ウリヤの妻バテ・シェバと関係を持ち、そのことを隠すために、遂にはそのウリヤを戦いの最前線に送り、殺すように仕向けるんですね。そんなダビデに、預言者ナタンはたとえを用いて、まさに命がけでその罪を指摘するんです。「あなたがその男です」と。昔、教団の有志早天祈祷会で、もう亡くなられましたが、ある先輩牧師が、突然、「ダビデというのはホンマに悪い奴や!」と何度も何度も言われたことを思い出すんですが、ダビデが犯した罪はそれだけではなかったと思います。前回の説教でもお話ししましたが、彼の生涯は戦いの連続でしたので(「多くの血を流してきた」Ⅰ歴代22章)、ソロモンとは比べ物にならないほど波乱万丈と言うか、陰影に富んだ人生を歩んできたと思います。そのことは、結果として、多くの素晴らしい「詩篇」を生み出すことにもつながったとは思うんですが、私はダビデの生涯を思う時、いつも「Ⅰ列王記」冒頭のことばを思い出してしまうんです。
『ダビデ王は年を重ねて老人になっていた。そのため衣をいくら着せても温まらなかった』(Ⅰ列王1:1)。
それは、単にダビデが年を取っていたからだけではなくて、彼のそれまでの歩みが、戦い戦いの連続であったからではなかったかと。
しかし、最後に、そんなダビデではありましたが、その心は、彼の神、主と一つであった、と聖書は記しています。たとえボロボロになったとしても、過去の自分の行いに心が責め苛まれるようなことがあったとしても、大切なことは、そのままで、ありのままの姿で主のもとに行くこと。心を主と一つにすることなんだなぁ、と思わされました。
新聖歌
開会祈祷後:110番、メッセージ後:450番
聖書交読
詩編 48篇1~14節
2020年教会行事
11月11日(水)オリーブ・いきいき百歳体操
7月1日(水)から感染予防対策を講じつつ、再開しました。
#52-2736
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