<マタイの福音書 2章1~12節>
牧師:砂山 智 師
開会聖句
神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。
<コリント人への手紙第2 6章2節>
メッセージ内容
<序論>
・今日は、私にとって、千里教会での二回目のクリスマスです。
<本論>
1、 ヘロデ王は動揺した
博士たちは星が昇るのを見ます。それは、ユダヤ人の王が生まれたというしるしでした(2節)。実は、聖書には出てこないんですが、伝承では、この博士たちには名前があるんです。カスパル、メルキオール、バルサザールという名前です。メルキオールは長い髭をはやした白髪の老人で、黄金を献げた人。カスパルは若くて髭がなく、赤ら顔をしていて、乳香を献げた人。バルサザールは浅黒く、顎にはえたばかりの髭があり、没薬を献げた人です。今度、この場面の絵やフィギュアを見る機会があったら、一度、確かめてみたら面白いかもしれません。もちろん、これらのことは後世になって付け加えられたことなんですが、ハッキリしているのは、彼らは東方、つまり、ペルシアないしバビロニア地方(今のイラン辺り)からやって来たということ。そして、占星学者であったということです。(そのように訳している聖書もあります)当時は、占星術や夢占いをする賢者(祭司)という人たちがいて、日本でも邪馬台国の卑弥呼なんかそうですが、宗教的な儀式を行ったり、時には医師や薬剤師のような働きをすることもあった、と言われています。
そんな博士たちが、エルサレムにやって来て、次のように言ったのです。
『「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」』(マタイ2:2)。
この星というのは、どのような星だったのか?これも、様々な見解があるようです。現在では、科学の進歩によって、紀元前7年頃に土星と木星とが異常接近して強烈な光を放ったということが分かっているんですが、彼らが見たのはその光ではなかったか、とか。その真偽のほどは分かりませんが、皆さんもご存じのように、今年は紀元2019年です。西暦というのは、紀元前をBC(ビフォー・クライスト)、紀元後をAD(アンノドミニ・主の年に)と表すようになっていますが、イエス様がお生まれになったのは、ちょうど紀元元年ではなかったみたいです。なぜなら、今日の話に出て来るヘロデ王が死んだのは、紀元前4年ということが分かっているからです。ということは、イエス様がお生まれになったのは紀元前4年より前でなければ辻褄が合わないんですね。ちょっと横道に逸れてしまいましたが。
さて、博士たちの話を聞いたヘロデ王の反応はどうだったでしょうか?
『これを聞いてヘロデ王は動揺した』(同2:3a)。
そして、それだけではなかったんです。
『エルサレム中の人々も王と同じであった』(同2:3b)。
2、 不安の中で
ヘロデ王が動揺した理由は、なんとなく分かります。彼は有能でしたが猜疑心の強い性格で、巧みな政治的手腕でローマ帝国に取り入り、元老院から「ユダヤ王」というお墨付きをもらってユダヤ全土を支配していました。ただ、彼には不安材料がありました。それは、純粋なユダヤ人ではないということです。南のエドム人(エサウの子孫)とのハーフだったんです。ユダヤ人というのは何よりも血筋を重んじる人たちでしたので、これは彼にとって大きな不安材料であり、弱みであったと思います。ですから、彼が、ユダヤ人の王が生まれたということを聞いた時に動揺したというのは、分かるような気がします。しかし、ヘロデ王だけでなく、エルサレム中の人々も王と同じであった、同じように動揺した、と聖書は言っています。それは、なぜでしょうか?ユダヤ人は、ずっと以前から、あの偉大なダビデ王の家系に救い主(メシア)が生まれるということを知っていて、そのことを待ち望んでいたのではなかったのか?何か腑に落ちないような気がします。
その理由は聖書には書かれていませんが、私は、エルサレム中の人々が救い主の誕生を知って動揺したというのは、彼らが、今の自分の生活、自分たちの生き方が根底からひっくり返されてしまうのではないかということを感じて、不安を覚えたのではないかと思うのです。マリアとヨセフも同じような不安を抱えていました。「ルカの福音書」を見ると、まだ結婚前のマリアに、突然、御使いガブリエルが現れて、「あなたは(聖霊によって)身ごもり、男の子を産みます」と告げる場面があります。この世の常識で考えれば、とんでもないことです。また、「マタイの福音書」を見ると、そのことを知って思い悩むヨセフにも、夢に主の使いが現れ、「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい」と告げる場面があります。当時のユダヤの律法にてらせば、このような場合には、マリアが不義姦通を犯したとして世間に公表した上で離縁することになっていました。しかし、ヨセフは、そしてマリアもそうですが、そのような不安の中に生きようと決心したんです。それは、たとえ不安の中にあったとしても、インマヌエルの神が、自分たちとともにおられるということを信じたからですね。
イエス様は、弟子たちに言われました。
『わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません』(ヨハネ14:27)。
石橋教会の教会員で淀川キリスト教病院理事長の柏木哲夫さんは、ご自身の著書の中で「安心」と「平安」の違いということを通して、このみことばについて分かりやすく説明しておられました。「安心」というのは、私には財産があるから安心とか、良い家族がいるから安心とか、社会的な地位があるから安心とか、私たちは色々と考えますけれども、それらのものは「横から来るもの」だと。つまり、ある時には頼りになるかもしれないけれども、ある時には頼りにならないかもしれない。しかし、イエス様が言われた「平安」は違うんです。それは、横からではなく「上から来るもの」だと。
あなたは、いかがでしょうか?私たちの人生において、不安というものはなくならないかもしれません。否、なくならないでしょう。しかし、イエス様の平安は、横からではなく、上から、私たちに勇気と希望を与えてくれるのです。
<結論>
『神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。見よ、今は恵みの時、今は救いの日です』(Ⅱコリント6:2)。
今日の説教題は「星の導き」とさせていただきました。博士たちは、星の導きによってイエス様と出会うことができたのですが、その星は、救い主が誕生する時は知らせましたが、場所までは知らせませんでした。と言いますか、当時のユダヤの人々は、おおざっぱではありましたが、場所は既に知っていたのです。5節を見ると、ヘロデ王に問いただされた祭司長や律法学者たちは「(キリストが生まれるのは)ユダヤのベツレヘムです」と答えていますから。ただ、彼らは救い主が生まれる場所は知っていたのですが、その時を知らなかったのです。
このことは、何を示しているでしょうか?それは、私たちがイエス様と出会う上で一番大切なことは、時であるということではないでしょうか。もちろん、星は、最終的には場所も教えてくれています。博士たちをイエス様がお生まれになったところまで導き、その上にとどまった、とありますから。つまり、博士たちは、わざわざヘロデ王のところまで行って場所を聞く必要などなかったのです。救い主誕生の時を示した星の導きに従ってさえいれば、自ずとイエス様と出会うことができたのです。これは、イエス様と出会うという点に関して言えば、時の問題が決定的に大切であり、私たちが問われるべきことは、時をいかに生きるかであって、どんな場所で生きるかではないということを示しています。イエス様は、私たちがどこでどういう状態にあっても、今、出会うことができる方なのです。見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。これからも、今を大切にして、生きていきたいですね。
新聖歌
開会祈祷後:81番
メッセージ後:82番
特別讃美
第1部:クリスマス礼拝<10:30~11:30> フルート演奏 Y.Y兄
「無伴奏フルートソナタパルティータ」 J.S.バッハ
第2部:クリスマス祝会<12:00~13:00> バンド演奏 ムジカンパーニュ女子会(H&M)+砂山師
1 もろびとこぞりて
2 世界ではじめのクリスマス
3 81 諸人声上げ
4 74 世の人忘るな
5 87 入れまつる家あらず
6 Someday at Christmas
7 きよしこの夜
第3部:燭火礼拝(キャンドルサービス)<13:15~13:45>
聖歌隊 聖歌136番、138番
2019年教会行事
12月25日(水)オリーブ・いきいき百歳体操
新バージョン(脳トレ)がスタートしています!
#51-2690
One comment to this article
mb-senri_web
on 2019年12月22日 at 2:16 AM -
メッセージに出てきた柏木哲夫さんの著書は「生きること、寄りそうこと」(いのちのことば社)です。
残念ながら現在は在庫切れとなっていて、入手は難しいと思われます。
いのちのことば社の講演レポートもぜひ、ご覧になってみてください。
死と向き合う生き方◆柏木哲夫先生講演会「いのちをつなぐレポート」
2020年1月19日(日)石橋キリスト教会で開催されるライフデザインカフェにも登壇されます。