<ネヘミヤ記 5章1~13節>
牧師:砂山 智 師
開会聖句
これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。
<マルコの福音書 7章23節>
メッセージ内容
<序論>
・「ネヘミヤ記」からの第二回目。先週も見ましたが、ネヘミヤは、同胞であるエルサレムの人々の窮状を聞き、一つの志を立てます。それは、帰国して城壁を再建し、同胞を助けるという志でした。時は紀元前446年。バビロン捕囚からの第一回目の帰還(解放)から90年以上が経っていました。
<本論>
1、反対
「ネヘミヤ記」というのは、ほぼ、一人称で書かれています。
ネヘミヤは、エルサレムに着いた時の様子を、次のように語っています。
『こうして私はエルサレムに着いて、そこに三日間とどまった。ある夜、私は起きて出て行った。ほかに数人の者も一緒であった。しかし私は、私の神がエルサレムのためにさせようと私の心に示しておられることを、だれにも告げなかった。また私自身が乗った動物のほかに、動物はいなかった。私は夜、谷の門を通って竜の泉の方、糞の門のところに出て行き、エルサレムの城壁を調べた。それは崩され、その門は火で焼き尽くされていた。』(ネヘミヤ2:11~13)
そして、ネヘミヤは、直ちに城壁の再建に取りかかります。
『私は彼らに言った。「私たちが直面している困難は見てのとおりだ。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままだ。さあ、エルサレムの城壁を築き直し、もうこれ以上、屈辱を受けないようにしよう。」そして、私に恵みを下さった私の神の御手のこと、また王が言ったことばを彼らに告げた。すると彼らは「さあ、再建に取りかかろう」と言って、この良い仕事に着手した。』(同2:17~18)
ところが、です。
『ところが、ホロン人サンバラテと、アンモン人でその部下のトビヤ、およびアラブ人ゲシェムは、これを聞いて私たちを嘲り、蔑んで言った。「おまえたちのしているこのことは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしているのか。」私は彼らにことばを返して言った。「天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。それで、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。あなたがは、エルサレムのうちに何の取り分も、権利も、ゆかりもない。』(同2:19~20)。
ホロン人サンバラテとアンモン人でその部下のトビヤの名前は、10節にも出てきますが、言わば、抵抗勢力です。彼らについては、13章に、次のようなことが書かれています。
『これより以前、祭司エルヤシブは、私たちの神の宮の部屋を任されていて、トビヤと親しい関係にあったので、トビヤのために一つの大きな部屋をあてがっていた。』(同13:4,5a)
『大祭司エルヤシブの子エホヤダの子の一人は、ホロン人サンバラテの婿であった。』(同13:28)。
この二人は、当時のエルサレムの宗教指導者と通じ合っていたのです。特に、サンバラテは、大祭司エルヤシブと縁戚関係にありました。これは、律法で禁じられていた、異邦人との雑婚に当たるわけですが、このことは、いかに、当時のユダヤ人、特に宗教指導者層が堕落していたか、ということを表していると思います。
2、妨害
しかし、ネヘミヤは、そんなことには動じませんでした。3章には、城壁の修復箇所を細かく区切って分担を決め、再建工事を進めていく様子が記されています。何か、木下藤吉郎の清州城石垣の三日普請の話を思い出します。
しかし、サンバラテたちもあきらめません。
『サンバラテは私たちが城壁を築き直していることを聞くと、怒り、非常に憤慨して、ユダヤ人たちを嘲った。彼はその同胞とサマリアの有力者たちの前で言った。「この哀れなユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。あれを修復して、いけにえを捧げようというのか。一日で仕上げようというのか。焼けてしまった石を瓦礫の山の中から拾って、生き返らせようというのか。彼のそばには、アンモン人トビヤがいて、彼も「彼らが築き直している城壁など、狐が一匹上っただけで、その石垣を崩してしまうだろう」と言った。』(同4:1~3)
そして、いよいよ、口で脅すだけでなく、直接行動(妨害工作)を起こそうとするんですね。4章の後半には、その様子と、それに抵抗するユダヤ人たちの姿が描かれています。
3、抗議
そして、今日のテキストですが、これは、4章の出来事の後、引き続いて起こったことというよりも、当時のエルサレムの内側の様子はどんな風だったのか、ということを記しているのだと思います。
『さて、民とその妻たちから、同胞のユダヤ人たちに対して強い抗議の声があがった。』(同5:1)。
外敵からは、執拗な攻撃に晒され、同時に、内側からも、味方からも、弾が飛んできたのです。
<結論>
2~5節に、そのことが記されています。
エルサレムの有力者や代表者たちは、自分の国が深刻な危機に直面している時、隠れて、こっそりと、貧しい同胞たちに高い金利を付けて金を貸し、搾れるだけ搾り取り、私腹を肥やしていたのです。そのために、自分の息子や娘たちまで奴隷として売らなければならない人までいたという。つくづく、人間の本質というのは、2500年前も今も、全く変わりないなと思わされます。表向きは、「国の危機だ!今こそ皆で一致して立ち上がろう!」とか言っていたんだろうと思います。全く、とんでもない話です。
そのことを知ったネヘミヤは、「怒髪天を衝く」。激しく怒ります。
『私は彼らの抗議と、これらのことばを聞いて、激しく腹を立てた』(同5:6)。
そして、ネヘミヤは、十分考えたうえで、大集会を開き、有力者や代表者たちを責め、その借金を帳消しにするようにと迫るのですね。
その大集会の後、ネヘミヤは、次のように告白しています。
『また、私がユダの地の総督として任命された日から、すなわち、アルタクセルクセス王の第二十年から第三十二年までの十二年間、私も私の親類も総督としての手当てを受けなかった。私の前任の総督たちは民の負担を重くし、銀四十シェケルのほかにパンとぶどう酒を民から取り立てた。しかも、彼らに仕える若い者たちは民にいばりちらした。しかし、私は神を恐れて、そのようなことはしなかった。また、私はこの城壁の工事に力を注ぎ、私たちは農地を買わなかった。私の配下の若い者たちはみな工事に集まっていた。ユダヤ人と代表者たち百五十人、また私たちの周囲の国々から来る者が、私の食卓に着いていた。そのため、一日に牛一頭、選り抜きの羊六頭が料理され、私のためには何羽かの鳥が料理された。それに、十日ごとに、あらゆる種類のぶどう酒がたくさん用意されていた。それでも私は、この民に重い負担がかかっていたので、総督としての手当てを要求しなかった。私の神よ。どうか私がこの民のためにしたすべてのことを覚えて、私をいつくしんでください。』(同5:14~19)。
今日の開会聖句ですが、イエス様は、人から出て来るもの、それが人を汚す。盗みや殺人、姦淫など、これらの悪は、みな内側から出て来て人を汚す、と言われました。私たち人間は、人の内側を知ることはできません。しかし、神様は、内側をご覧になる方です。ネヘミヤは、そのことをよく知っていたのです。ネヘミヤにとって、それが唯一の基準であり、彼はその基準に従って行動したのです。ただ、どんな人間でも、もちろんネヘミヤであっても、弱さはあります。時には、自分の内側の罪に負けてしまい、その基準が分かっていても、従うことができない、そんな時もあるでしょう。今日は、「聖餐式礼拝」でしたが、イエス様は、そんな私たちのために、死んでくださいました。ご自身のからだを裂き、血を流して、全てを捧げてくださったのです。内なる敵は、「お前なんかあかん!」「ほら、また罪を犯した!」と、しつこく私たちを攻撃してくるかもしれませんが、今週も、罪赦された罪人の一人として、前を向いて歩んで行きたいと思います。
新聖歌
開会祈祷後:395番、
メッセージ後:477番
聖書交読
詩篇 121篇 1~8節
2019年教会行事
3月13日(水)オリーブ・いきいき百歳体操
#51-2650
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