今なお望みあり

メッセージ

<エズラ記 10章1~5節>
牧師:砂山 智 師

開会聖句

もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。

<ヨハネの手紙 第1 1章9節>

メッセージ内容


<序論>  
・神さまは、ペルシアの王キュロスを用いて、

『「バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる』(エレミヤ29:10)

という約束を果たしてくださいました。「エズラ記」の後半は7章からですが、6章と7章の間には55~56年の時が経過しています。そして、エズラが初めて登場するのも7章からです。時のペルシア王アルタクセルクセスはエズラをパレスチナの行政長官に任命します。エズラは第二次帰還民の指導者として、かなりの数の人々と共に、およそ4ヶ月の月日を費やしてエルサレムに帰って来るのです。ところが、先に帰還した民(第一次帰還民)は、エズラが予想していた以上に堕落していました。彼らは、経済的な繁栄を求め、周囲の異民族と結婚し、神殿礼拝を無視して、異教的風習に染まり、偶像崇拝の罪に陥っていたのです。

<本論>
1、 真の神殿

『こうして、この宮はダレイオス王の治世の第六年、アダルの月の三日に完成した。イスラエルの子ら、すなわち、祭司、レビ人、そのほかの捕囚から帰って来た人たちは、喜びをもってこの神の宮の奉献式を祝った』(エズラ6:15,16)。

この再建工事は難工事でした。サマリヤ人の妨害によって18年間も中断せざるをえなかったのです(4章)。しかし、神さまは、預言者ハガイとゼカリヤを遣わしてイスラエルの民を励まし(5章)、時のペルシア王ダレイオスの心をも動かして(6章)、ついに、神殿を完成させてくださったのです。にもかかわらず、55年もたなかった。彼らは、その時の喜び、感動をすっかり忘れて、偽りの神々へと走っていってしまったのです。
このことは、私たちに何を示しているでしょうか?確かに、神殿を再建してくださったのは神さまの素晴らしい恵みであり祝福でした。しかし、神殿再建というのは、あくまでも手段であって目的ではなかったということだと私は思っています。本当に大切なこと、神さまの真の目的は、このことによって、彼らの心の中にあるまことの神殿、つまり、彼らの信仰を再建することにあったと思うのです。
「ヨハネの福音書」4章に、有名なサマリヤの女の話があります。イエスさまは、彼女との会話の中で興味深いことを言われました。サマリヤの女はイエスさまに、

『私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています』(ヨハネ4:20)

と尋ねました。それは、イエスさまの時代にも、
ユダヤ人とサマリヤ人は、自分たちの信仰の正統性を巡って争っていたからです。サマリヤ人はゲリジム山という場所に自分たちの神殿を築いていました。イエスさまは、その問いに対して、

『「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます』(同4:21)

と答えられ、そして、その後で次のように言われたのです。

『神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって(霊とまことによって)礼拝しなければなりません』(同4:24)。

これは、神さまを礼拝するのに場所は問題ではない、大切なのは心の態度なんだよ、という意味だと思います。
確かに、神さまは、神殿だけにおられる方ではありません。「使徒の働き」7章で、あの最初の殉教者ステパノは、ユダヤの最高法院で大祭司たちを前にして、次のように言っています。

『そして、ソロモンが神のために家を建てました。しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。預言者が語っているとおりです』(使徒7:47,48)。

神さまは神殿にだけではなく、もちろん教会にだけでもなく、どこにでもおられる方です。あなたが、たとえ教会に出席できないような状況にあったとして、今置かれている場所で、御霊と真理によって礼拝をささげるならば、神さまは喜んでその礼拝を受けてくださるのではないでしょうか。

2、 エズラの祈り

『エズラが神の宮の前でひれ伏して、涙ながらに祈り告白しているとき、男や女や子どもの大会衆がイスラエルのうちから彼のところに集まって来た。民は涙を流して激しく泣いた』(エズラ10:1)。

エズラは自分自身が犯した罪ではなく、先に帰還した同胞たちの罪を背負い、ひれ伏して涙ながらにとりなしの祈りをささげていました。集まって来た民は、その姿を見て涙を流して激しく泣いたと記されています。そして、エラムの子孫の一人エヒエルの子シェカンヤが、エズラに言いました。

『私たちは、自分たちの神の信頼を裏切り、この地の民である異国人の女を妻にしました。しかし、このことについて、イスラエルには今なお望みがあります』(同10:2)。

「今なお望みあり」。シェカンヤは、神さまがあわれみ深く、情け深い方であるということ。怒るのに遅く、恵みとまことに富む方であるということを知っていたのです。

同志社を創立した新島襄に、有名な逸話が残されています。それは、「自責の杖事件」と呼ばれています。
新島襄が設立した「同志社英学校(同志社の前身)」は、開校当時、生徒数はわずか8名でした。その不足している生徒数を補うため、年度途中でも面接を行い合格した者を入学させていました。そして、正規入学者と途中入学者では、学力の差があるため、正規入学した者を上級組、途中入学した者を下級組に分けて授業を行っていたのです。
しかし、別々に授業を行うのは効率的ではないと判断した学校側は、生徒数の少なかった2年生の上級組と下級組を合併して授業を行うことを決定します。この決定に納得のいかない上級組は、抗議のために、新島が伝道活動で学校を留守にしている間に授業をボイコットするという行動に出ました。
伝道活動から戻った新島は、2年生の上級組に対して授業にでるようと説得します。最初は拒んだ彼らも、涙を流しながら説得する姿に心を動かされ、ボイコットしたことを詫びて授業にでることを約束するのです。
ようやくボイコットは解消できましたが、もうひとつの問題が残っていました。それは、授業を無断で欠席してはならないという同志社の校則でした。授業を集団欠席した彼らの行為は校則違反であり、違反したものを処罰すべきとの声があがったのです。
校則違反の処罰をめぐり思い悩んだ新島は、1880年4月13日朝の礼拝で壇上に立って、集まった生徒を前にして次のように言ったのです。「生徒諸君が校則に服さないのは私の不徳のいたすところ。しかし同志社の校則は厳然としたものだ。されば校長である私はその罪人を罰します」。そして、持っていたステッキで自分の左掌を打ち続けました。
何度も何度も激しく打ちつけたことにより、新島の手は腫れあがり、杖は二つに折れ、やがて三つに折れ破片が飛び散ります。それでも止めようとしない新島の腕に生徒がすがりつき、泣きながら打つことを止めるようにと懇願したのです。
新島の姿に感銘を受けた生徒のひとりであった堀貞一は、折れた杖を拾い集め自分の宝物として大切に保管しました。この杖はのちに同志社で管理され、現在は新島遺品庫で保管されています。

<結論> 

『もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます』(Ⅰヨハネ1:9)。

私たちは、そのように信じています。しかし、それは、何の犠牲もなく、そのようになったのではありません。神さまは、ただお一人聖なる方であり、罪をそのままにしておくことはできない方です。罪には罰が必要です。しかし、それと同時に、神さまは愛なる方でもあった。『真実で正しい方』というのは、そういう意味だと思います。だから、イエスさまは十字架につけられたんですね。イエスさまの十字架は、新島襄の杖やエズラのとりなしの祈りどころではない。その全てを、命までをも投げだしてくださって、あの十字架の上で死んでくださったんです。今日の「聖餐式」でいただいたパンと杯は、そのことを象徴するものです。だから、私たちは、自分の罪のゆえに、どんなに絶望的な状況にあったとしても、「今なお望みあり」と言うことができるのではないでしょうか。

メッセージ内容のダウンロード(PDF113KB)

新聖歌

開会祈祷後:474番、メッセージ後:448番

聖書交読

詩篇 95篇1~11節

2018年教会行事

4月18日(水) オリーブいきいき百歳体操(10時~11時)
6月17日(日)特別讃美礼拝 (Maki & Lily)

#50-2601

One comment to this article

  1. mb-senri_web

    on 2018年4月15日 at 2:24 PM -

    Web管理人です。
    本日の礼拝メッセージの中で語られていない、同志社大創立者、新島襄のエピソードを知る助けとなるWebサイトをご紹介しておきます。
    新島遺品庫資料の公開(同志社大学)
    http://joseph.doshisha.ac.jp/ihinko/html/n03/n03010/N0301001G.html

    このエピソードはかつて放送された大河ドラマ「八重の桜」でも紹介されていたのを思い出しました。