偽装された誘惑の罠

メッセージ

<ヨシュア記 9章1~27節>
牧師:徳本 篤 師

開会聖句

誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。

<マルコの福音書 14章38節>

メッセージ内容


序文) ドラマ「99.9刑事専門弁護士」の最終回
先週の日曜日に、人気グループ「嵐」のメンバーで俳優の松本潤さんが主演を務めるドラマ「99.9刑事専門弁護士」の最終回を迎えました。タイトルの「99.9」は、たとえ99.9%裁判で有罪が確定している事件でも、残り0.1%が確定しない限り、それは本当の意味で”事実“を証明できたことにはならないということで、その最後の0.1%まで諦めずに事実を追い求めていく弁護士チームの姿を描いたものです。
実際には刑事事件について公平な裁判が行われる仕組みとして、裁判官、検察官、弁護士がそれぞれの独立した役割があり、それらが相互に機能することになっています。慎重に事実が検証されたうえで検察官から起訴された裁判ではそれが有罪になる確率は非常に高いとされが、そこに一つの落し穴があって、検察官が考えたストリーが証拠として正しいと鵜呑みにされる場合があるということです。一旦起訴されると、それをもう一度丁寧に検証することは非常に困難な状況でもあります。
ドラマ「99.9」では、主演の松本潤さんの型破りな弁護士役が大ヒットして、視聴率40%を超える人気番組になりました。この番組がヒットした背景にプロの検察官でさえ本当の事実を見落とすことがあり、報告された事実がすべての真実を明らかにするものと確定されたわけではなく、本当の事実をを知りたいという視聴者の関心が、この番組の人気に火をつけたのではないかと思います。

本文) ギブオン人の見事な変装と演技
今日の聖書個所には、ギブオン人が巧みに変装をして、ヨシュアが自分たちを生かしてくれる盟約を結ぶ計略を実行して、それがうまく成功したとても興味深いドラマが記録されています。
4節5節では、ギブオン人がヨシュアを騙すために考えた小道具の詳細が書かれています。古びた袋と古びて破れたのに継ぎを当てたぶどう酒の皮袋とを、ろばに負わせ、繕った古いはきものを足にはき、古びた着物を身に着けた。彼らの食料のパンは、みなかわいて、ぼろぼろになっていた。
これらの偽の証拠品と見事な演技でヨシュアたちはまんまと騙されてしまいました。ヨシュアはその三日後に自分たちが騙されたことに気づきますが、すでにヨシュアと12部族の族長たちが誓って盟約を交わしたあとでしたので、今となってギブオン人に手を出すことができませんでした。その結果、イスラエルの全会衆から族長たちに向かって、あなたがたはモーセの命令に従っていなではないかという不平の声があがります。
こうしてヨシュアは、ギブオン人を生かしておき、会衆のため、たきぎを割る者、水を汲む者として仕える役目を与えました。こうしてギブオン人の問題は収まったかのように思われますが、それはまだ表面的であり、真実のことは後に明らかにされることになります。
ここでヨシュアが反省すべき点として、また私たちが同じ過ちを繰り返さないためにも

9章14節の「そこで人々は彼らの食糧の一部を受け取った。しかし、主の指示を求めなかった。」

というみことばをしっかり心に留めて置かなければならないと思います。

展開) 
ギブオン人の問題は、ヨシュアが主の指示を仰ぐことなしに判断を誤ったことを私たちへの教訓として警告するものだけではなかった。
この事件の真実が明らかにされたのはこの事件から300年後の士師記の時代です。
士師記3章1節から4節にこのように書かれています。

「次が、主が残しておかれた異邦の民である。主がそうされたのは、カナンでの戦いを全く知らないすべてのイスラエルを試みるためであり、ただ、イスラエルの次世代の者、特にまだ戦いを知らない者たちに、戦いを教え、知らせるためであった。すなわち、ペリシテ人の五人の領主たち、またすべてのカナン人、シドン人、そしてヒビ人である。ヒビ人は、バアル・ヘルモン山からレボ・ハマテまで及ぶレバノンの山地に住んでいた。これは、彼らによってイスラエルを試み、主がモーセを通して先祖たちに命じた命令に、イスラエルが聞き従うかどうかを知るためであった。」

※ここで ヒビ人とはヨシュア9章7節のギブオン人のことです。
神はこの事件を当時の人々への教訓とするだけでなく、イスラエルの後の子孫がいつの時代においても主のみことばに聞き従うかどうかを確認するため、イスラエルの住民の中に異邦人が同居することをゆるされた。いやむしろ、神はイスラエルのために積極的に彼らを備えられたことを明かにされたのです。

適用)
私たちは福音書を読む時に、なぜイエスがご自分の弟子のひとりとしてイスカリオテのユダをお選びになったのか疑問を持ちます。神の御子であるイエスはユダが後になって自分を裏切るようになることを予知できたはずではないかと考えるからです。ただ、私たちがよく知っていることは、イエスはユダのことを憎むような態度や振舞を一切なさらなかったことです。忠告を受入れようとしないユダのかたい心悲しまれ、彼に対して最後の最後までできる限りの愛情を注いでおられたことです。
さて、新聖歌404番に「弟子となし給え」という曲があります。その歌詞は4番までになっていますが、以前の聖歌433番には歌詞が5番までありました。省略された歌詞の部分には「ユダにはなるまじ わが主よわが主よ。ユダにはなるまじ わが主よ。こころのそこより ユダにはなるまじ わが主よ(わが主よ)」と記載されていました。この原曲となった黒人霊歌の1750年版「Lord,I want to Be a Christian」には確かに歌詞が5番までありましたが、1907年版のものは現在のようにユダの部分が削除されて4番までに変わっています。新聖歌は後者を採用したものだと思われます。
I don’t want to be like Judas In a my heart, in-a my heart,
I don’t want to be like Judas In a my heart,
In a my heart In a my heart
I don’t want to be like Judas In a my heart

決断と応答)
アメリカの黒人クリスチャンたちのたましいの叫びは白人社会からの差別と迫害を受け続けていたからですが、彼らをさらに苦しめたのは迫害が異教徒からだけでなく、自分たちと同じ神を信じるクリスチャンからもあったことです。この不条理な現実につまずきそうになるとき、彼らは天を仰いで、自分たちもユダのようにイエスから離れることがないようにしようと互いに励まし合っているのです。そのことを思えば、4番の歌詞を削除する理由はなかったのではないかと思います。
私たち日本人クリスチャンも同じように日本人社会ではわずか1%以下といわれる希少な存在です。同じような環境に生きるものとして、私たちもユダにはなるまじという心の叫びを決して絶やすべきではありません。神のみこころの真実を知る者として、私たちの心からこの叫びが消されないように祈りましょう。

メッセージ内容のダウンロード(PDF88KB)

新聖歌

開会祈祷後:384番、メッセージ前:402番、メッセージ後:444番

聖書交読

詩篇 67篇1~7節

お知らせ

★4月1日(日)の礼拝はイースター礼拝です。特別讃美としてY.Y兄のフルート演奏があります。
★8日(日)服部霊園納骨堂前で12時30分から合同記念会を予定しています。行事が祝福されるようお祈り下さい。
★4月から水曜祈祷会の形式が新しくなります。
★週報の新しいデザインを準備中です。ご期待ください。
★現在、療養中の兄姉のために平安と回復を祈りましょう。

2018年前半の主な教会/教団行事
4月01日(日)イースター礼拝(Y.Y兄フルート演奏)
4月08日(日)合同記念会(服部霊園墓前礼拝)
4月22日(日)砂山智師牧師就任式(午後)
6月17日(日)特別讃美礼拝 (Maki & Lily)

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