崩れ落ちた城壁

メッセージ

<ヨシュア記 6章1~27節>
牧師:徳本 篤 師

開会聖句

民はときの声をあげ、祭司たちは角笛を吹き鳴らした。角笛の音を聞いて、民が大声でときの声をあげると、城壁がくずれ落ちた。

<ヨシュア記 6章20節>

メッセージ内容


序文)
今日の聖書個所であるヨシュア記6章の出来事を基にした「ジェリコの戦い」という有名な黒人霊歌があります。「ヨシュアは戦うジェリコ ジェリコ ジェリコ ヨシュアは戦うジェリコ 城壁は崩れた」と歌われているこの詩が現在もアメリカの黒人の人たちの間で歌い続けられているのは、いまだ差別という「崩されるべき城壁」が存在し続け、「戦わなければならない現実」があるからだと言われます。それをただ格好良いという安易な気持ちで歌っていたり、他国への侵略や虐殺を正当化する軍歌にすり替えたりすることは慎むべきだと思います。私たちも自分たちが戦わなければならない現実の課題としてどのような城壁があるのかを思い浮かべながら、今日の聖書個所であるヨシュア記6章を見ていくことにしましょう。

本文)
「イスラエルの神がヨルダン河を堰き止められ、イスラエル人がそこを歩いて渡って来た」というニュースを聞いたエリコの住民は恐ろしさのあまりパニック状態に陥いってしまいました。そのため城壁の門は堅く閉ざされ、誰ひとりそこから出入りする者はありませんでした。 さらに、神はヨシュアにエリコ攻略の勝利を宣言され、その攻略方法を詳しく伝えられました。契約の箱を担ぐ祭司たちの前と後ろに武装した者たちを配置し、契約の箱の前を七人の祭司たちが角笛を吹きながら進み、エリコの町をひと回りした。それを毎日繰り返し、7日目にはそれを七回繰り返す。その七回目に祭司たちの角笛を合図に、イスラエルの全群衆が大声をあげて一斉に叫べという指示でした。
ヨシュアとイスラエルは神が指示された通り毎日それを行い、七日目も支持された通りを行い、祭司の角笛を合図に、イスラエルの全群衆が大声をあげて一斉に叫ぶとエリコの城壁が崩れ落ちた。こうしてイスラエルの民は恐れ惑うエリコの住民を難なく攻略し、ラハブの家族の者たちを除く、すべて人と動物を聖絶した。但し、貴重品類だけは神へのささげものとして聖別された。

洞察)
<エリコの城壁はイスラエル人の叫び声だけで本当に壊れたのか。>
●1950年代に英国考古学協会による発掘調査によると、エリコの町は外側を石造りの石垣、内側をレンガ造りの壁とする二重構造の高い城壁に守られ、その上にさらにセメントで塗り固めた防衛用の城壁が築かれていたそうです。この城壁は紀元前1400年代に破壊され、その後そのまま長期間放棄されたことも確認されています。こうしてヨシュア記6章の記録がほぼ間違いないものと確認されましたた。しかし、城壁がどのように破壊されたか、その方法や崩落の原因について考古学的に実証することは不可能です。

●あらためてヨシュア記6章の記録に注目してみましょう。この時の光景は通常の戦闘の場面のようではありませんでした。場所こそ違いますが、そこでやっていたことはイスラエルの民が行っていたいつもの宗教行事とほぼ同じ光景です。(契約の箱を祭司たちが担いで運び、祭司たちが吹き鳴らす角笛の音色が聞こえていました。)これはすでにヨシュア記4章で、ヨルダン川を渡って来た時にも同じ光景が見られました。これらの一連の出来事の連続性に注目すると、エリコの城壁が崩れ落ちた奇跡も同じ目的と意味をあらわしています。それは、イスラエル人を強力に支配していた「恐怖」という心の壁を取り除くことです。エリコの城壁が崩れ落ちた瞬間に、その恐怖の壁も崩れ落ちたと理解することができます。

●恐怖がイスラエル人のたましいを支配していた証拠はエリコの事件から50年ほど遡った民数記13章に詳しく記録されています。モーセは約束の地カナンを偵察するため、ヨシュアとカレブを含む12人の若者を派遣しました。その10人の若者たちの報告がイスラエル人のたましいに恐怖心の植えつけました。彼らは

「その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだった。そこで、私たちはネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」(民数記13:25-33一部を抜粋)

ここで若者たちが見たネフィリム人のアナク人(巨人族)についての詳細な記録はありませんが、ダビデと戦ったペリシテの兵士ゴリアテの身長が2.9mもある巨人だったことは有名です。さらに彼には同族がいてみな巨人でした。指は6本あったと記録されています。(Ⅱサムエル21:15-22、Ⅰ歴代誌20:4-8)

●以上のような内容の報告を聞いたイスラエルの人々は大声をあげて泣き叫び、その夜は泣き明かしました。あくる日人々はモーセとアロンにつぶやいて、「剣で切り裂かれて死ぬよりは、エジプトの地で死んだ方がましだった。みんなでエジプトに帰ろう。」と言い出しました。

適用と応答)
スウェーデンの心理学者ビルマーク氏は、「不安」はすばらしい能力のひとつであって、心配性の人には賢く物事を考え、とてもクリエーティブで、想像力が豊かな人が多いと言いました。通常の状態で不安が適切に解決されることは人生を豊かにする優れた行動認知能力です。しかし、職場や家庭の中で強いストレスを受けている時、疲労が重なってうつ状態に陥っている時などの状況下では、そうした認知に歪みが生じ易くなります。その結果、その優れた能力で自分を怖がらせ、心の病いを引き起こすようになりがちです。物事を必要以上に分析し、たくましい想像力で恐ろしい惨事を思い描いてしまうからです。恐れが大きくなるにつれ、自分やることなすことすべてに自信を失い、他人の言葉にいちいち疑問を抱くようになります。その人にとって人生は試練の連続となります。そのためどれほどの時間、体力、気力を奪われていたかを本人が気づくまで、この状態が続くのです。

●箴言29:25に

「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」

と書かれています。ここでいう「わな」とは、「落し穴」のことですが、私たちの心とたましいを捕らえて支配する恐怖心をあらわします。民数記13:33で

「私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」

と報告した若者たちの恐怖感がそれを見事にあらわしています。

●「主に信頼する」とは、単に信じれば何でも解決するということではありません。神のみ前で、すでに自分の常識となっている過去の失敗の記憶、弱くて愚かで自信のない自分の恐怖心を、ボロ靴のように脱ぎ捨て、神に従ってともに歩む行動を決断することです。心から神への信頼を叫ぶ祈りと讃美が、あなたの心のエリコとなっている、恐怖の壁を打ち砕くのです。

●最後にパウロのたましいの叫び声を聞いてください。

「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ8:31)

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新聖歌

開会祈祷後:138番、メッセージ前:399番、メッセージ後:454番

聖書交読

詩篇 51篇1~19節

お知らせ

★本日礼拝後に3月度の聖餐式を行います。
★3月12日に手術を受けられるM姉の平安と回復、ご家族の励ましのためにお祈りしましょう。
★2018年EBS入試の結果、本科生としてM.O姉(桑名)H.N兄(土山)、教会伝道者課程生としてM.M姉(武庫川)が入学されることになりました。
★療養中の兄姉のために平安と回復を祈りましょう。

2018年前半の主な教会/教団行事
3月17日(土) 教団協議会(大阪CGC)
3月18日(日) 徳本師夫妻感謝会、EBS卒業式(石橋教会)
4月01日(日) イースター礼拝(Y.Y兄フルート演奏)
4月08日(日) 合同記念会(服部霊園墓前礼拝)

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