メッセージ
<ヨシュア記 5章1~15節>
牧師:徳本 篤 師
開会聖句
神は仰せられた。「ここに近づいてはいけない。あなたの履き物を脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。」
<出エジプト記 3章5節>
メッセージ内容
序文)
2008年のことですが、アメリカのブッシュ大統領がイラクの首都バクダットでの記者会見中に地元の記者が靴を投げつけたことで話題になりました。靴を投げつけるだけでも野蛮な暴力行為になりますが、イスラム教の社会では最大級の侮辱行為とみなされています。その理由は、イスラム教では身体とたましいは常にきよく保たれていなければならないと教えられています。靴はそのきよい身体と汚れたこの世とが接触する部分で、宗教的には衣服以上に最も汚れた部分とされています。従って、外から家に帰る時も、モスクで礼拝する時も必ず靴を脱がなければなりません。もしイスラム教徒同士が争って相手に靴を投げつけたり、靴で身体のどこかを叩いたりすれば禁固15年くらいの刑罰が課せられるとも言われます。
実はヨハネ13章で主イエスがペテロの足を洗われたときも、ペテロに
「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。」
と語られました。この背景にはユダヤ教社会では相手の足を洗うことが最大級の尊敬を示す行為とみなされました。マリヤがイエスの足にナルドの香油を注いで、自分の髪の毛で足を洗ったということで、十字架を目前にされたイエスの心が大いに慰められたと記録されています。
さて、今日のヨシュア記5章では相手に靴を投げつけるのではなく、相手の足を洗うことでもなく、自分が履いている靴を脱ぐように命じられたことです。これは一体何を意味するのか。私たちとどのような関わりがあるのか注目してみましょう。
本論) ヨシュア記5章1節~15節の概略
●イスラエル人全員に割礼を施した。(2節)
モーセに率いられてエジプトから出て来たイスラエル人は、ことごとく主とモーセに逆らったために約束の地に入ることなく、四十年間の荒野の旅の途中で全員死んでしまった。ヨシュアとともに約束の地に入る人々はその次の世代の者たちで、まだ割礼を受けていなかったからです。
●天からのマナが止まり、それを二度と見ることができなくなった。(12節)
ギルガルの宿営地で「割礼」に続いてモーセの律法に従い「過ぎ越しの祭り」を再開させた。イスラエル人がカナンの地で収穫された小麦を使って「種なしパン」を作くり、それを食べたその翌日からマナの降ることが止んだ。この日からカナンの地で収穫したものを食べて生きるしかなかった。
こうして、ヨシュアとイスラエルはもう後に引き返すことができない中で、どんなに苦しくても、どんなに辛くてもエリコに向かって前進する以外に生きる道はなかった。そんな時に、
●主の軍の将軍が抜き身の剣を手に持って、ヨシュアの前に立った。(13節)
ヨシュアは恐ろしさのあまり「あなたは、私たちの味方ですか。それとも私たちの敵なのですか。」と尋ね、主の御使いだと分かったので、思わず顔を地につけて伏し拝みました。すると御使いはヨシュアに「あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」と言いました。
適用)
これと同じ場面がモーセにもありました。出エジプト3章でモーセが神の山ホレブに燃える柴を見てそこに近づいて行ったとき、神はモーセに
「あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。」
と語られました。これはモーセが神の召命を受けてエジプトに向かう前のことでした。モーセは40年間エジプトでパロの息子として育てられ、当時あらゆる面で最高の教育を習得したはずです。それらをすべて脱ぎ捨てて、ただ一本の杖だけを携えて当時世界最強の王パロの前に立つことになったです。
ヨシュアもモーセがカナンの地を偵察するように選ばれた12名の若者の中で、カレブとヨシュアだけが同世代の若者たちの英雄になりました。また、ヨシュアはモーセの従者としていつも身近でその働きを見ていました。恐らくイスラエル人の誰よりもモーセのことを知っているひとりであったと思います。ヨシュアはムーセの後任者として選ばれました。そのようなヨシュアの豊富な知識と経験と立場さえも、今ここで脱ぐことを求められているのです。ヨシュアの未来は彼の過去の知識や経験によるのではなく、全き神への信頼によるのです。丸裸の状態で神に従っていく決意と覚悟をする。それが靴を脱ぐことの意味です。
例話)アップル社元CEO故スティーブ・ジョブスが米国スタンフォード大学の卒業講演の中で、自分が若かった頃に、名もない田舎道に掲げられた看板を見てその言葉にたましいが揺すぶられる衝撃を受けたことを語りました。それが彼の人生のバイブルとなったそうです。その看板には「ハングリーであれ、愚かであれ」と書かれていたそうです。私たちは失敗を恐れ、つい無難な道を選びます。色々と理由をつけて本当に自分がやらなければならないことを後回しにします。忙しいことを理由にして自分に嘘をつくこともあります。誰もやったことがないことに手を出すとき、この世の人々は非常識だと言います。一度失敗したことを繰り返しチャレンジしようとすると周囲の人々からあきらめの悪い愚か者にみられます。目標に向かってガムシャラに努力することは実に難しいものです。途中で何度もやめよう。ここが限界だという時があります。しかし、本当の生きがいと喜びは目標を達成することよりも、目標に向かって絶えず工夫し努力する生き方にあるのです。ジョブスが卒業生に向かって「ハングリーであれ、愚かであれ」と語りかけたのもそういう意味でした。
決断と応答)
神の人と呼ばれ偉大な指導者であったモーセが神の御前で自分の靴を脱いだこと、神のしもべヨシュアが天の御使いの前で自分の履き物を脱いだことを決して忘れてはなりません。神の人、神の器、神のしもべとは一体如何なのか、神に仕える人とは如何なる人のことかをしっかり心に刻んでおくべきです。
千里教会は50年の歴史を歩んできました。多くの恵みを思い起こして感謝することは大事なことかも知れません。しかし、未来は過去の業績や知識や経験の延長線上にはありません。今まで思いもつかなかったこと、誰もやらなかったことに挑戦する。そのために古い靴を脱いで、白紙の状態で神の御声に耳を傾けなければなりません。神が私たちとともにおられることを頼みとし、自分もその一員であることを覚えて前進しようとするとき、神の御前に靴を脱いで従った人のことを思い起こして勇気を奮い立たせましょう。
新聖歌
開会祈祷後:137番、メッセージ前:341番、メッセージ後:280番
聖書交読
詩篇 50篇1~15節
お知らせ
★本日の午後から2月度定例運営委員会が開催されます。
★25日讃美礼拝は説教を信徒K、特別讃美をM&Hが奉仕します。
★今週20日(火)にEBSの入学試験が行われます。
★療養中の兄姉のために平安と回復を祈りましょう。
2018年前半の主な教会/教団行事
2月20日(火) EBS入学試験日
2月25日(日) 讃美礼拝(M&H)
3月01日(木) 大阪レディースランチョン(講師:市岡裕子)
3月17日(土) 教団協議会(大阪CGC)
3月18日(日) EBS卒業式(石橋教会)
4月01日(日) イースター礼拝
4月08日(日) 合同記念会(服部霊園墓前礼拝)
#50-2594
One comment to this article
mb-senri_web
on 2018年2月18日 at 2:32 PM -
Web管理人です。本日のメッセージに登場した、Apple創業者スティーブ・ジョブズのスピーチの全文をご紹介したいと思います。
彼も、モーセやヨシュアのように、それまでの実績や経験を全てリセットしながらも前進を迫られる人生の転機を体験されていらっしゃいます。また、この講壇に立つ時、既にすい臓がんに侵されていました。人間であるが故、死への恐怖や不安を覚えながらも、チャレンジ&イノベーションの手を緩める事の無かった彼が語る、
「Stay Hungry. Stay Foolish.」
の言葉は、重みと説得力、そして次世代を担う若者に対する愛に満ちています。
詳しくはスピーチをご覧くださいね。全文英語&日本語和訳付です!!
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