欠けたものは何ですか

メッセージ

<マルコの福音書 10章17~22節>
牧師:徳本 篤 師

開会聖句

イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも神にはできるのです。」

<マルコの福音書 10章27節>

メッセージ内容


序論)
ノルウェーの児童養護施設が公開したCMが話題になっています。教室でひとり、空っぽのお弁当箱を見つめる少年の姿から始まるたった1分の映像に「手を差し伸べる」ことの重要性を訴える物語になっています。
《 授業終了の合図とともに、みんなが弁当箱を開け始めます。少年も同じように弁当箱を開けるのですが、中身は空っぽ。そっと挙手をして席を離れる少年。教室の外にある水道水を飲んでお腹を満たしていたのです。教室に戻って弁当箱を触ってみたら、いつもと弁当箱の重さが違うことに気付きます。弁当箱を開けてみたら色とりどりの具材で弁当箱の中がいっぱいになっていました。周りを見回してみると、あちこちにいるクラスメイトが、自分にウインクをしてることに気付いて、少年は自然と笑顔になります。》
このCMを見た人はきっと心が温かくなったと思います。できれば、困っている友人がいたら、少し自分のおかずを分けてあげるようなことをしたいと思われるかもしれません。
今日の聖書の物語は、立派な弁当箱を持っていましたが、中身が空であることにまったく気づいていない青年の話です。

本論)
この青年がイエスのみ許に来てこう訴えました。『わたしは幼い時から聖書の教える通りに真面目に生きて来ました。日常生活の面でも何一つ落ち度がないよう普段から心がけております。ですから、きょうは私が救われて永遠のいのちを頂くにふさわしい人間であることを、あなたから直接保証していただきたいと思ってやってきました。永遠のいのちを頂くために私に欠けているものが他にあるでしょうか。』
この青年は自分が真面目な人間であることにかなり誇りをもっていたようです。こんな青年があなたの周りにもいませんか。
さて、イエスはこの青年に何と答えられたでしょうか。「あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」
イエスのこのことばは青年を非常に悲しませることになりました。イエスは彼に意地悪なことをされたのでしょうか。いいえ、イエスはこの真面目な青年に次のことを理解させるため、彼にとって必要なことを要求をされたのです。このことから、永遠のいのちを得るとはどういうことなのかを私たちにも明らかにしてくださいました。

1 青年のたましいを支配していたこの世の富が彼の偶像になっていたこと。
あの青年が去っていた後に、イエスは弟子たちに

「裕福な者が神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。」(10:23‐24)

と語られました。「むずかしい」とは、富が彼の偶像(その人の生きがいとなり、決して手放せない状態)となっていることです。イエスは別の箇所で

「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ6:24)

と語られました。
あの青年は表向き真面目そうな人でしたが、神に対しては無関心で、不真面目な人だったのです。

2 青年は真実を知らないため自信過剰になっていたこと。
イエスは弟子たちに

「救われて永遠のいのちを手に入れることは人にはできないこと。」(10:27)

をおしえられました。「できない」とは、人のわざではなく、イエスを神の御子と信じる者に神が与えてくださる賜物である。という意味です。他の箇所に

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:12‐13)

また、

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

と書かれています。
あの青年は、良い行いをしていたら救われて永遠のいのちを頂けるものと考えていました。結果を知らない自信家は的外れの人生を歩みます。彼が今まで真剣に真面目に行ってきた努力は、報われることがない空の弁当箱のようなものでした。

3 永遠のいのちはイエスを信じた者に神がくださる賜物である。
あの青年のことから真面目に努力すること以外で永遠のいのちを受けるにはどうすればよいか、すっかり混乱していた弟子たちに、イエスは永遠のいのちはイエスに従っていく人に与えられる神の賜物であることを教えられました。(10:30)ここで「捨てる」とは、自分の人生の主導権を捨てることです。それはイエスに対する真実な愛と信頼のあかしです。「捨てない」人にはイエスに対する真実な愛のあかしがありません。
イエスご自身が自分の主導権を「捨てる」ことの模範を示されました。

ヨハネ15:13で 「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」

と語られましたが、イエスはそのことば通りに十字架のうえでそれを実践されました。このイエスの愛の姿を仰ぎみて、その真実な愛を信じ、自分の心に受け入れて、この方に従っていく選択を決意することは、同時に今まで自分の偶像であったこの世(あの青年の場合は富と地位でした)の中心的な価値観である富と宝を生きがいにする生き方を手放す(捨てる)選択を覚悟をすることになります。
あの青年に欠けていたものは「捨てなければ受けられない」という原理を理解できなかったことです。彼が捨てる決心をするまで、彼は永久に賜物である永遠のいのちを受け取ることができないのです。

適用と応答)
今日の聖書の箇所を振り返って、あの青年に欠けたものは何でしたか。それはイエスを信頼し従っていく信仰と決断です。
私たちも外側だけ立派な空弁当箱を自慢するようなことはもうやめにしましょう。イエスに対する真実な愛と信仰、永遠のいのちがぎっしり詰まった弁当箱をしっかり握っていきましょう。それを選ぶのは一瞬。しかし、その結果は永遠に続きます。

メッセージ内容のダウンロード(PDF70KB)

新聖歌

開会祈祷後:263番、メッセージ後:358番

特別讃美

女性会
新聖歌141番
新聖歌251番

お知らせ

★本日は讃美練礼拝の特別讃美は女性会の合唱です。
★本日午後1時30分からムジカの讃美練習を行います。
★10月8日「秋の特別讃美礼拝」の宣伝のためにお祈り下さい。
★療養中およびご高齢の方々の平安と励ましのために祈りましょう。

2017年度後半の主な教会行事
10月8日 秋の特別讃美礼拝 ゲスト:マキ&リリー(坂本真紀姉&喜多ゆり姉)
10月21日 オータムフェスタ:NBC
10月29日 MB教団講壇交換
11月26日 11月讃美礼拝 ムジカンパーニュ
12月24日 クリスマス礼拝 祝会

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