メッセージ
<テサロニケ人への手紙 第一 5章12~18節>
牧師:徳本 篤 師
開会聖句
どうか、朝には、あなたの恵みで私たちを満ち足らせ、私たちのすべての日に、喜び歌い、楽しむようにしてください。
<詩 篇 90篇14節>
メッセージ内容
序論)
問題を避けたり、問題を締め出すことが本当の解決ではなく、私たちが問題を解決する知恵と力を身に着けることが本当の解決だと言われます。今日はテサロニケ教会の具体的な問題点を取り上げ、パウロがそれをどのように解決していったのか注目しましょう。
本論)
1 パウロは15節で
「だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うよう務めなさい。」
と勧めています。テサロニケ教会は兄弟愛の実践において周囲の諸教会から模範的だと評価されていた教会でしたが、現実問題として、教会内に問題がなかったわけではありません。常に警戒し、常に追い求め、常に励まし合うべき課題が存在しました。それが教会内の人間関係における平和と一致の問題です。
最近福音聖書神学校から出版された「シャローム神のプロジェクト」の中で、ヘブル語でのシャロームとは、単に平和を願うことばではなく、「あなたに支払うべき私の負債はまだ残っているでしょうか。」を問いかける意味があるそうです。負債がある間はシャロームは失われます。負債を払い終えた時にシャロームがやってくるのです。経済的なことだけでなく、人間関係において、神と人間との関係において、互いの関係が正しく回復された時に再びシャロームがやってくる。
まさに、パウロが勧めていることは、互いに神のシャロームを追い求め、実現していこうとすることではないでしょうか。そのことは、この後に続く、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」という勧めの基礎または前提になっていると考えられます。ですからまず先に、神のシャロームを優先的に求めることをパウロは勧めているのです。
2 16節から18節は多くのクリスチャンに愛唱されている聖句の一つです。そこには、私たちが追い求めている信仰者の理想的な生き方が描かれているからです。しかし、それは同時に、実行することがとても困難なことであることも事実です。
なぜなら、人生が順調な時に「いつも」「絶えず」「すべての事に」喜び祈り感謝することは、言わずもがな、当たり前のことです。そうすることに困難や抵抗を感じる人はほとんどいないでしょう。問題なのは、逆境の時です。苦難や、挫折や、絶望的なときに、喜び、祈り、感謝することは困難なように思われるからです。「いつも」「絶えず」「すべての事に」とは、順調な時も、逆境の時もすべて含んでいるのです。
適用)
1 「いつも喜んでいなさい」とは、どういう意味でしょうか。
真の喜びは、すべてが順調で、自分の望みや願い事が叶えられることで得られると思ってはなりません。私たちが経験していることは、人生は自分の思い通りにはならないことの方が実に多いのです。そこに喜びの基準を定めるなら、人生は喜べないことの連続です。
そこで、注目したいのは、ガラテヤ5:22では喜びが聖霊の実のひとつの数えられていることです。喜びは神からの賜物として捉えることができます。人生を神からの賜物として見るなら、逆境や苦難も神が与えてくださった人生の重要な場面となります。人生のすべての場面において神のご意志と計画があることを思うなら、私たちにできることは、いつでもどんな時でも神を信頼してみこころに聞き従うことです。
私たちにとってマイナスなことが神にとってマイナスなことではありません。どんな場面にあっても私たちはキリストに知られており、愛されており、受け入れられていることに変わりはありません。キリストのうちから流れてくる、マイナスをプラスに変えるエネルギーを感じたとき、状況は変わっていないのに、喜びが身体の中から溢れ出て来る。「いつも喜んでいなさい」とはそのようなことではないでしょうか。
2 「絶えず祈りなさい」とは、どういう意味でしょうか。
パウロの祈りは自然な祈りでした。パウロは会話するように神と話し、神に訴え、神のみ旨を求めていました。その祈りの内容は、神への賛美があり、感謝に満ち溢れた祈りでした。絶えずに神がパウロとともに居られたから、パウロにとって祈りは自然な営みでした。生きるため絶えず呼吸しているように、絶えず祈ることが彼の日常生活でした。どれだけ多くの時間を祈りに費やしたかではなく、でれほど真剣な心で祈ったかではなく、祈りをやめた途端に彼のたましいは窒息して死んでしまいます。「絶えず祈りなさい」とは、文字通りいつでも、どこでも、どんなことでも、祈り続けることではないでしょうか。
3 「すべての事について感謝しなさい」とは、どういう意味でしょうか。
サトウハチロー作詞、中田喜直作曲の「小さい秋みつけた」という唱歌があります。
「だれかさんが だれかさんが だれかさんが みつけた
ちいさい あき ちいさい あき ちいさい あき みつけた」
百舌鳥の鳴き声、秋のひんやりとした隙間風、赤く色付いたはぜの葉に 小さい秋を見つけた感動と喜びを感じるような内容の詩になっています。
私たちの身近なところ、文字通り小さいところに、神の意志を感じることができたなら、心がとても豊かにされ、感謝が湧きあがってきます。「すべての事について」とは、とても身近にあること、いつもそこにあるもの、小さなもの中にも見出される。そのような心の豊かさで感じるものではないでしょうか。
決断と応答)
「ナポリを見て死ね」という諺があります。一生に一度はナポリをぜひ見ておくべきだ。あの美しいナポリの景色を見ないまま死ぬのは不幸だ。という意味があるそうです。
私たちの一生とはどのようなものでしょうか。神のシャロームのうちに歩み、いつも喜び、絶えず祈り、すべての事を感謝する生活の豊かで素晴らしいことを、一度も味わわないまま死ぬことは悔いを残します。悔いのない人生を願っておられるのなら、今日のみことばに聞き従う決意をあらたに持ちましょう。
新聖歌
開会祈祷後:21番、以降、時間短縮のため省略メッセージ前:175番、メッセージ後:274番
聖書交読
詩篇 116篇1~19節
お知らせ
★本日礼拝後に女性会の讃美練習を行います。 →事前に行い中止
★本日午後から9月度の定例運営委員会が開かれます。→台風の影響により中止
★10月8日「秋の特別讃美礼拝」の宣伝のためにお祈り下さい。
★MB宣教センター建設用地で現在解体工事が行われています。
★療養中およびご高齢の方々の平安と励ましのために祈りましょう。
2017年度後半の主な教会行事
9月24日 9月讃美礼拝 女性会合唱
10月8日 秋の特別讃美礼拝 ゲスト:マキ&リリー(坂本真紀姉&喜多ゆり姉)
10月21日 オータムフェスタ:NBC
10月29日 MB教団講壇交換
11月26日 11月讃美礼拝 ムジカンパーニュ
12月24日 クリスマス礼拝 祝会
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