主とともにいつまでも

メッセージ

<テサロニケ人への手紙 第一 4章13~18節>
牧師:徳本 篤 師

開会聖句

主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。

<テサロニケ人への手紙 第一 5章10節>

メッセージ内容


序文)
本日は教会堂の改修工事完成を記念する特別な礼拝です。そのためにE.S姉に特別讃美をささげて頂いたことを感謝します。この会堂は1973年(44年前)にT.S兄の設計によって建築され、1998年(19年前)にT.S兄のご遺志によって改修工事が行われ、「水色の教会」として地域の人々にも親しまれてきました。

しかし、歳月の経過とともに屋根や外壁の劣化が気になっておりました。この度、F.S姉からのご支援を頂き、それと教会が共同するかたちで屋根と外壁の改修工事を行い、見違えるほど新しく、奇麗になりました。早速も近所の方々から「奇麗になりましたね」と声をかけて頂いています。

本論)
さて、本日の聖書個所の話題は、イエスが再臨される以前に天に召された人々は、再臨された時にイエスに会うことができるのか。彼らはそれでも復活できるのかという疑問でした。その質問にパウロが応えるかたちでこの手紙は書き進められています。

パウロは今日の箇所で、イエスにあって眠った人々が復活する時はイエスが再び来られる時だと明言しています。ただしその時がいつであるかについては明言を避けています。それは使徒1:7でイエスが語られたように、天の父のみが決めておられることで、人はそれについて知ることも語ることも許されていません。私たちにその時がいつであるかは知らされていませんが、確実にその日が来ることは決まっています。その日がいつ来ても良いように、心の準備と備えある生活をするように勧められています。

次の疑問は、イエスが再臨された時、眠った人々はどのような姿に復活するのかということでした。パウロはその見本としてイエスご自身が復活されたときの姿を挙げています。復活の身体は、もはや死はなく、病もなく、完全な姿に変えられるのです。そのように、いつまでもイエスとともにいることになると言われています。

16節ー17節には「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。」

と書かれています。「天」「雲」「空中」ということばに人間的な想像や思い込みを持ち込まないように注意しましょう。聖書では天、雲、空は神が臨在される場所を象徴するものです。

ある子どもが宇宙ロケットに乗って天高く昇って行くとして、天国はどれくらいのところにあるのか不思議に思いました。同じように大人も思い違いすることがあります。イエスが再臨された時に、信者たちが天高く舞い上がって行き、雲の中でイエスと再会することを想像した絵がありますが、聖書から逸脱した誤解です。

参考として、Ⅱコリント12:4にパウロがパラダイスに引き上げられた時の経験が記録されています。その時パウロは空中に舞い上がりませんでした。 マルコ9:7には雲の中から父なる神の声をペテロとヤコブとヨハネが聞いたことを記録しています。彼らは雲の中に舞い上がりませんでした。パウロが言っているのは、私たちの姿が一瞬のうちに変えられ、神のご臨在の中に移されることです。ただし、その復活には順番があります。先にイエスを信じて眠った人々がよみがえり、その次に生きていて再臨の日を迎えた信者たちが復活の身体に変えられます。

それでは何のために復活の身体に変えられる必要があるのでしょうか。二つの理由があります。
第一に、復活はイエスの救いが完成したあかしです。罪の赦しも、たましいのきよめも、いやしも、奇跡もみな素晴らしい神からの賜物です。しかし、復活がなければ、すべては空しく消え去っていきます。私たちの身体は滅びていくのです。救いの力はどこにあるのでしょうか。あるとすれは復活です。

第二に、復活はいつまでもイエスとともにいるために必要です。なぜなら聖書には、血肉の身体は神の国を受け継ぐことができない、朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならないと書かれています。そのために復活の身体が必要です。

結論)
今日の聖書の中心は「イエスを信じる者は、イエスが再び来られるときに、生きていても、死んでいても、皆がともに一瞬のうちに復活の身体に変えられ、いつまでもイエスとともにいることになる。」ということです。

適用)
T.S兄は1998年4月に医者から肝臓ガンの末期である告知を受けられました3月26日には55歳の誕生日を迎えられたばかりでした。ご本人と家族にとってどれほどの苦しみだったでしょうか。しかし、佐藤兄は驚くような行動をとられました。余命三か月か長くて半年だと知られた時、S兄は奥さんと子どもたちの将来のためにこれから準備することを大学ノートに書きだし(私も見せていただきました)、それを一つずつ実行していかれました。死に立ち向かう決意を示されたのです。千里教会のことも心配し、自費で教会外壁の塗装工事を知り合いの業者に依頼されました。10月4日に工事は完成し「水色の教会」に生まれ変わりました。98年11月15日はS兄が礼拝に出席された最後の日になりました。高槻市安岡寺町から重い酸素ボンベを引きながら、千里教会の階段を息苦しそうに懸命に昇り、最後の礼拝に出席されたのです。ご自分でも「今日の礼拝が最後だ」と言っておられました。何と、礼拝の後には周りの数名の人たちと記念撮影をされました。その言葉通り、6日後の11月21日の朝に天に召されました。

私たちにとって死は人生の最後ではなく、通過点です。イエスの復活を信じる者には、むやみに死を恐れたり、悲しみにうち沈む必要はありません。むしろ死に立ち向かって生きることもできると思い直しましょう。

メッセージ内容のダウンロード(PDF76KB)

新聖歌

開会祈祷後:311番、メッセージ前・特別讃美:下記参照、メッセージ後:355番

特別讃美

 E.S姉
「陽はてるよ雲の上」キッズワーシップ
「The Rose」 曲:Bette Midler

お知らせ

★本日は改修工事完成を記念する記念礼拝としてE.S姉に特別 讃美をささげていただきました。礼拝後には昼食とともに感謝会を 行います。時間に余裕のある方はぜひご参加ください。
★今月の聖餐式は次週9月10日に延期しました。
★10月8日秋の特別讃美礼拝のチラシを有効に活用してください。
★療養中およびご高齢の方々の平安と励ましのために祈りましょう。

2017年度後半の主な教会行事
9月24日 9月讃美礼拝 女性会合唱
10月8日 秋の特別讃美礼拝 ゲスト:マキ&リリー(坂本真紀姉&喜多ゆり姉)
10月21日 オータムフェスタ:NBC
10月29日 MB教団講壇交換
11月26日 11月讃美礼拝 ムジカンパーニュ
12月24日 クリスマス礼拝 祝会

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