幼子を祝福されるイエス

メッセージ

<マルコの福音書10章13~16節>
牧師:徳本 篤 師

開会聖句

子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。 神の国は、このような者たちのものです。

<ルカの福音書18章16節>

メッセージ内容


序文)弟子の心を持つ人に
キリストの弟子にして頂いたことを自分に与えられた資格か特権のように考え、そのように振舞うことがあるとするなら、それはキリストが弟子たちに望んでおられることとは全く違うものです。弟子とは、その人の資格を保証するものではなく、聞き従う者としての生き方や態度をあらわします。イザヤ書のみことばにそのことが明らかに語られています。

神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに、私を呼びさまし、私の耳を開かせて、私が弟子のように聞くようにされる。(イザヤ50:04)

今日の聖書の箇所は、イエスが子どもたちを大事に扱われた話として注目されますが、実際は未だに弟子の心を理解しない弟子たちに対する厳しい指導の場面として記録されています。

ヘブル12:06にも「主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」

と書かれています。今日の箇所は弟子たちに対するイエスの愛のムチとして注目しましょう。

本論)
1 弟子たちにどんなことがありましたか

13節には、「さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。」

と書かれています。「しかった:エピティマオ」とは、「相手の行動をたしなめるために厳しいことばで非難する」ことをあらわします。
この場面で、弟子たちはどのような理由で、どのような基準で、どのような判断をしてそのようなことを言ったのでしょうか。ある聖書学者は、ここでは弟子たちが社会的な利益や価値判断で子どもと大人を比較して、子どもを差別扱いしていたことが「しかる」動機となっていたと説明します。
一般的に子どもは大人の保護のもとで様々な支援を必要としています。大人の目線でその状況を見下していた。優先順位として差別扱いしていた。それは、彼らが偏見と傲慢な心の視点をもっていたことをあらわしています。かつて彼らは、イエスのあわれみによって弟子にして頂いた者たちです。そのような彼らが、子どもたちを「しかった」ということは、明らかに自分の立場を誤解していたようです。弟子たちには子どもは自分たちの大事な仕事の邪魔であって、彼らの順番はもっと後にするべきだと判断したのでしょうか。

2 イエスはどのように感じられましたか
14節で、弟子たちのそのような様子をご覧になったイエスが非常に気分悪くされたことが書かれています。「憤った:アガナックテオ」とは、「あまりの不快さで心が痛めつけられる。非常に気分を悪くする」ことをあらわします。イエスは、自分といつも行動を共にする弟子たちが、人の価値をうわべだけで比較したこと、とくに弱い立場の人を見下すような振舞をご覧になって我慢できなかったのです。
実際問題として「子ども」は大人社会の中で差別扱いされる者の象徴です。同じように、経済事情や教育的環境に恵まれないために学校の勉強についていけない児童たち、成人しても就職や結婚の機会に恵まれない青年たち、心や身体に病気や障害を持つ人たち、支援を必要とする老人に対しても同様なことが適用されるでしょう。今日は、そのような態度や振る舞いに対して、イエスがどれほど不愉快な思いをしておられるかということを心に留めておきましょう。

3 その後イエスは弟子たちをどのように指導されたか
イエスは人の失敗や未熟さについていつまでも憤っているお方ではありません。弟子たちがこれから聞き従うべき模範を示されました。

16節で、「そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。」

と書かれています。私たちも、イエスのこのような模範を心の中にしっかりと留めておきましょう。

第一、イエスは子どもたちの上に手を置かれた。
聖書の中には、手を置いて祈る儀式が多く見られます。それは、相手を自分たちの交わりに招き入れることをあらわす象徴です。イエスが御許に連れて来られた子どもの上に「手を置」かれたことは、彼らを神に愛されているひとりの人間として、正式に神との交わりに中に受け入れられたのです。

第二、イエスは子どもたちを祝福された。
祝福の祈りも聖書の中で多く見られるものです。祝福は、呪い、怒り、さばき、破滅と真逆のものです。
祝福は神からの豊かな恵みであり賜物として表現されています。有名な

詩篇23:06に「私の杯はあふれています」

と書かれていますが、その杯とは「祝福の杯」です。

Ⅰコリント10:16に「私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。」

と書かれています。従って、祝福の杯からあふれている祝福とは、キリストの愛と赦しといのちに満ちあふれる人生です。それは、すべての人に希望と、喜びと、生きがいを与えます。

適用と応答)

  1. 弟子たちはどこで間違ったのでしょうか。私たちも同じ過ちを繰り返さないように注意しましょう。
  2. 自分の利益や権利のために弟子の立場を利用することはまったく本末転倒です。イエスの気持ちが分かる弟子になれたなら、私たちの生き方はどのように変わるでしょうか。
  3. イエスは私たち教会に、人々を祝福する使命と力を託されました。私たちの杯が祝福であふれているならどんなに素晴らしいことでしょう。祝福は多くの人々と分かち合うものです。イエスはどれほどご自分の弟子たちにそれを期待されていたことでしょう。

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新聖歌

開会祈祷後:257番、メッセージ前:206番、メッセージ後:486番

聖書交読

詩篇 100篇1~5節

お知らせ

★本日礼拝後に全員で一階礼拝堂の掃除を行います。(毎月第2、第4週に行います)
★次週9月3日は改修工事完成を記念する礼拝を予定しています。 E.S姉に特別讃美をしていただきます。午後から食事を交えた感謝会を行います。
★9月度の聖餐式は第2週(10日)に延期いたします。
★療養中およびご高齢の方々の平安と励ましのために祈りましょう。

2017年度後半の主な教会行事
8月27日 会堂改修工事完了予定 錦リファインさま+阪本設備さま
9月3日 改修工事完成記念感謝会 特別讃美:E.S姉
9月24日 9月讃美礼拝 女性会合唱
10月8日 秋の特別讃美礼拝 ゲスト:マキ&リリー(坂本真紀姉&喜多ゆり姉)
10月21日 オータムフェスタ:NBC
10月29日 MB教団講壇交換
11月26日 11月讃美礼拝 ムジカンパーニュ
12月24日 クリスマス礼拝 祝会

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