地の塩としての役割

メッセージ

<マルコの福音書 9章38~50節>
牧師:徳本 篤 師

開会聖句

ですから、塩は良いものですが、もしその塩が塩けをなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか。

<ルカの福音書 14章34節>

メッセージ内容


序論)
ものの本によるとサラリーマンのサラリーとは「塩」のことで、ローマ時代に当時高価だった塩を報酬として兵士に支給したことがその語源となったと書かれていました。ところが、ジャポニカ百科事典には、ローマ時代に下級兵士たちに塩を買えるだけの俸給が貨幣で支払われたことが語源となったと書かれていました。いくら何でも現物支給について疑問を感じていましたのでこの説に納得させられた次第です。いずれの説が正しいにせよ、当時の社会では塩は相当に高価であったことは事実だったようです。
ルカ14章でイエス様も「塩は良いものです。」と評価されていますのでそれは確かだと思います。

本文)
なぜそんなにも「塩」が高価なものだったのでしょうか。イエス様がさらに続けて語っておられます。もし、塩が塩けを失ったら何によってその味をつけられるか。
塩味が失われると、食べ物が豊かにあっても美味しく食べられない。美味しいはずの肉も魚も卵も野菜も、塩がなければ美味しく食べられません。食べなければ生きていけません。ですから、生きていくためにどうしても塩が必要なのです。塩がなければ、私たちは生きていけなくなるのです。そのように考えると、塩がどれくらい大事なものかが分かる気がします。

次に、イエス様が弟子たちに向かって

「あなたがたは、地の塩です。」(マタイ5:13)
「あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。」(マルコ9:50)

と語られたことに注目しましょう。
イエス様はすでにキリスト者は自分のうちに塩を持っていることを指摘され、その効果を十分に発揮するように説得しておられるのです。

適用)
一体、私たちのどこに塩があるというのでしょうか。私たちが持っている塩とはどのようなものでしょうか。
16世紀のヨーロッパで産業革命による繁栄とともに始まった世俗化の影響から、教会を懸命に守ろうとした時代がありました。特に保守的な教会では、キリスト者はこの世の塩としての使命に目覚め、腐敗堕落した社会を浄化する役割があることを主張しました。具体的に女性の服装や化粧や装飾品について、男性の趣味や娯楽などについて厳しく監視されるようになりました。その時代の背景を知るとそのような発想が生まれたことには納得できますが、ずいぶん窮屈な時代だったと思います。それは、教会外部の人たちの一部からは煙たがられたことかもしれません。しかし、それは現代社会の考えを根拠にしたものです。

イエス様から直接に話を聞いた当時のユダヤ人たちは「塩」についてまったく別のことを考えていました。その有力なヒントが旧約聖書のレビ記2章にあります。

「あなたの穀物のささげ物にはすべて、塩で味をつけなければならない。あなたの穀物のささげ物にあなたの神の契約の塩を欠かしてはならない。あなたのささげ物には、いつでも塩を添えてささげなければならない。」(レビ2:13)

ユダヤ人が神にささげものをする時には、必ずそれに塩を添えなければならない。塩を添えないものは神が受け取ってくださらないというのです。なぜ、そうしたのでしょうか。旧約聖書時代には礼拝の時に、神への感謝のささげものとして多くの家畜や穀物や果物などがささげられました。そのささげものはその後にレビ族の食糧になることが定められていました。どんなに豊かで、優れたささげものであっても、それに塩が添えられなければレビ族の人々はそれを食べることができません。したがって、塩はささげる人々からレビ族の人々への親切と思いやりのあかしだったのです。

もう一度、マルコ9章50節をじっくり読んでみましょう。

「塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。」(マルコ09:50)

イエス様も最後のところで互いに和合して暮らしなさいと言っておられます。確かに、ささげものに塩を添えるように相手に対する親切と思いやりを添えることが、互いに和合して暮らす秘訣なのです。

それを裏づける聖書の箇所がもう一個所あります。それは有名なマルコ12章28節-34節です。特に最後の33節の律法学者の答えに注目してください。

28律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」 29イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。 30心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 31次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」
32そこで、この律法学者は、イエスに言った。「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない。』と言われたのは、まさにそのとおりです。33また『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する。』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」 34イエスは、彼が賢い返事をしたのを見て、言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者がなかった。」

律法学者はイエス様の教えに応答して、心を尽くして神を愛すること、自分のように隣人を愛することこそが神への最高のささげものだと告白しているのです。旧約聖書時代の人々が神にささげものをするときに、それに塩を添えることで、その塩に象徴される隣人に対する自分の心をあらわしたのと同じです。

応答)
あなたが神の前できよく正しく生きるよう追い求めるもよし、熱心に人に奉仕するもよし、真面目学び、忠実に働くもよし、心から進んで善いわざに励むもよし、しかし、それに塩を添えることを忘れないでください。すなわちあなたの心の内にある愛と親切と思いやりを添えることを忘れないでください。それこそ、あなたがささげる神への最高の礼拝、喜ばれるささげものとなるのです。

メッセージ内容のダウンロード(PDF76KB)

新聖歌

開会祈祷後:359番、メッセージ後:429番

特別讃美

 Y.Y兄&M.Y姉
「ちいさなかごに」Grant Colfax Tullar
「雨を降り注ぎ」新聖歌420番
「同じ空の下で」若林栄子作曲
「グリーンスリーブス」新聖歌86番
「EARTH」村松崇継作曲

お知らせ

★本日は讃美礼拝のためにY兄姉による特別讃美があります。
★本日の礼拝後すぐに臨時総会を開催します。
★辻内スミ子姉よりお便りと献金が届けられました。
★次週7月2日(日)礼拝後に7月度の聖餐式を行います。
★入院中のS.M兄のリハビリのために祈りましょう。

2017年度7月の主な教会行事
7月中 近所への改修工事挨拶回り(施工業者)
7月23日 讃美礼拝 M.A姉による特別讃美

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