聖霊によるバプテスマ

メッセージ

<ヨハネの福音書 1章29~34節>
牧師:徳本 篤 師

開会聖句

イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば賜物として聖霊を受けるでしょう。

<使徒の働き 2章38節>

メッセージ内容

序論)

「だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。」
(マルコ2:22)

この箇所でキリストが語られている「新しいぶどう酒」とはクリスチャン生活のことです。「古い皮袋」とはユダヤ教の教えです。新しいぶどう酒の発酵する力が古い皮袋を張裂くように、互いに両立することは不可能であることを教えておられます。「新しい皮袋」とは復活されたキリストにつながる教会のことです。キリストと教会とは互いが身体を構成する各器官のようにひとつに結び合わされています。キリストは新しい皮袋をこの世にもたらすために来られたお方です。ペンテコステの日にキリストが授けられた「聖霊によるバプテスマ」によって教会は誕生しました。その後もさらに生長し続けてキリストが再臨される時に完成されます。

ペンテコステ以前には教会は存在せず、ペンテコステから教会の時代は始まりました。そのペンテコステでの出来事が現在の私たちと深く関わっているのは、その日に授けられた「聖霊によるバプテスマ」が教会の揺るぎない土台であり、堅固な基礎であることです。

本論)
今日の聖書(ヨハネ1:33)では、キリストが「聖霊によってバプテスマを授ける方」であると紹介されています。キリストが授けられた「聖霊によるバプテスマ」についてさらに正しく知るために、バプテスマに関係ある三つのことばの意味を互いに比較して、その違いを明らかにすることが必要だと思います。

1、 ヨハネが行っていた「水のバプテスマ」と現在の教会で行われている「バプテスマ式」との違い
バプテスマという語は(水のように液状のものに)浸すことをあらわします。罪を悔い改めたユダヤ人に対してヨハネが「水のバプテスマ」を授けたのは、終わりの日に罪の赦しが与えられることを保証するもので、旧約聖書の教え(例、ナアマンⅡ列王5章)に従って行われた儀式でした。
一方、現在教会で行われている「バプテスマ式」は、本人にとって生涯に一度の大切な儀式ですが、それはあくまでも人間のために許された「入信のあかし」として制度化されたものです。それをヨハネが行った「水のバプテスマ」と混同して、「罪の赦し」や「魂の救い」を強調するようになると、本来神の領域であるものを教会がまるで神の代理であるかのように人々のたましいを支配するという過ちを犯すことになります。

2、ペンテコステの日の「聖霊によるバプテスマ」と現在の教会で行われている「バプテスマ式」との違い
第一コリント12:13から、「聖霊によるバプテスマ」とは、人がキリストを主と告白し救われた瞬間に、聖霊の働きによって、その人はキリストと一つに結ばれ、またキリストの身体の各部分として教会に所属する他の信徒たちと一つに結ばれることだと定義することができます。したがって教会で行われる「バプテスマ式」は、その人が「聖霊によるバプテスマ」にあずかった信者であることを公にあかしするために、行われるとことに本来の意味をもっているものです。ペテロが使徒2章38節で語ったのは、人は信じてバプテスマを受け、そのとき与えられた聖霊の賜物を活かして教会に仕えるようになることです。この順番はとても重要です。

3、 「聖霊のバプテスマ」と「聖霊によるバプテスマ」との違い
「聖霊の」と「聖霊による」との違いを文字のうえで比較すると小さなことです。しかし、意味においては大きな違いがあります。一部の教会では聖霊の賜物の一つである異言や預言などのしるしを伴った特別な体験を「聖霊のバプテスマ」と呼んでいますが、「聖霊によるバプテスマ」をそのような狭い範囲で制限することは正しい聖書の知識に基づいたものではありません。「聖霊によるバプテスマ」の中には「聖霊の賜物」も含まれますが、「聖霊の賜物」は「聖霊によるバプテスマ」にとって必然的なものではありません。
その違いについて次の二つの点を挙げてみます。
第一に、すでに信者とされた者に対してもう一度「聖霊のバプテスマ」を受けることを勧めたり、命じている聖書の箇所はどこにもありません。パウロは

Ⅰコリント12:13で、「私たちはみな、ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの聖霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの聖霊を飲むものとされたからです。」

と語っているように、信者とされた者に対して、すでに「聖霊によるバプテスマ」を受けていることを前提に語りかけていることです。
第二に、パウロは異言が聖霊の賜物であることを認めつつ、コリント教会においてそれが正しく用いられていないことを問題にしています。パウロは公の集会において、そこに異言を解き明かす者がいなければ異言を語ることは慎むように命じています。しかし、コリント教会では感情的に高揚した女性の幾人かがそのルールに従わなかったことが問題になっていました。パウロが14:34で「女は教会で黙っていなさい。」と命じたのは、文脈から問題の女性たちに向かって語られたものです。不幸なことは、パウロのことばが誤解されたまま現在の教会で強調されていることです。異言とは全く関係のない女性に対しても、「教会では女性が話すことを禁じる」ことをパウロが教えているという風潮が生まれたことです。聖霊の賜物が「聖霊によるバプテスマ」を混乱させるようなことは、本来あってはならないことです。
ヨハネが証言していることを、もう一度確認しましょう。キリストは「聖霊によるバプテスマ」を授けるために来られたお方です。それ以外のものはあてはまりません。

適用と応答)
キリストが

使徒1:8で、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」

と語られたるように、ペンテコステの日にキリストは信じる人々に「聖霊によるバプテスマ」を授けられました。それは歴史上繰り返されることのないただ一度きりの出来事ではありますが、その影響は現在もなお進行中です。
聖霊は現在もクリスチャンを生かすために日ごと新しいのちとあかしの力を与え続けておられます。
2017年6月4日のペンテコステを記念するこの日に、今一度、キリストの真実なみわざを仰ぎ見つつ、なお一層、聖霊とみことばに従っていく決意を新たにしましょう。

メッセージ内容のダウンロード(PDF72KB)

新聖歌

開会祈祷後:136番、メッセージ前:421番、メッセージ後:415番

聖書交読

詩篇 42篇1~11節

お知らせ

★本日は教会の誕生を記念するペンテコステ礼拝です。それぞれが信仰の原点を再確認する機会にしましょう。
★本日の礼拝後に6月度の聖餐式を行います。
★本日午後に臨時の運営委員会を行います。
★8日(木)午前中にCGNTV番組の録画撮影を行います
★療養中およびご高齢の方々の平安と励ましのために祈りましょう。

2017年度前半の主な教会行事
6月13日-15日 牧師研修会(能勢川キャンプ場)
6月24日 役員リーダー研修会
6月25日 讃美礼拝 Y兄姉による特別讃美

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