父を欺いた祝福の秘策

メッセージ

<創世記 27章1~30節>
牧師:徳本 篤 師

開会聖句

幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。

<詩篇 32篇2節>

メッセージ内容


序文)

「事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」(ローマ人への手紙 9章16節)

使徒パウロは、われらの救いの召しと選びが、われらの願いや努力によるものではなく、あわれんでくださる神によるのだと語っています。そのあわれみの方法についても、神は「自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ」ことを通して、ご自分の意志のままに自由に行動されると語っています。

パウロはその事例の一つとして、創世記25章と27章の出来事を取り上げています。その視点から今日の聖書個所を観ると、表面的には、母リベカとヤコブ母子が相談して父イサクをだまし、兄エサウの祝福を横取りするという内容の物語ですが、この物語の主人公は神ご自身ということになります。イサクの家族内のもめごとの中においても、神の選びの確かさは揺るぐことがなく、それをやり遂げようとなさる神の意志の強さをあらわしているのです。今日の箇所がそのように読まれ、語られるべきことを神は望んでおられます。

本文)
今日の創世記27章を読む前に、かつて神が創世記25章23節において、母リベカに

「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」

と語られていること。また、同じ章の29節~34節において、兄エサウはパンとレンズ豆の煮物と引替に長子の権利を弟ヤコブに売り渡す誓いをしました。とすれば、長子の権利は当然エサウではなくヤコブのものであると考えます。確かに神は兄のエサウではなく、弟のヤコブを選ばれたのです。われらは父イサクが預言のことばの通りにヤコブを祝福してくれるものだと期待していました。ところが、

創世記27章1節の父イサクと長男エサウとの会話は、まるで25章こととは違うことが話し合われていました。イサクは妻リベカから神がヤコブを選ばれていることを聞かなかったのでしょうか。リベカはイサクに伝えていなかったのでしょうか。エサウはヤコブに長子の権利を売ると誓ったことを忘れたのでしょうか。それどころか、イサクは自分の好きな獲物の料理と引替えに、エサウに長子の権を引き継がせると約束しました。エサウもヤコブに誓ったことは言わないで、何もなかったかのようにイサクのことばに従いました。リベカがこの話を聞いた時、これは大変なことになると思いました。このデタラメな話の背景にはイサクの家庭環境に原因があったことが指摘されています。

第一の原因は、子どもに対する夫婦の偏愛がこの家族の問題でした。

創世記25章27節~28節に 「エサウは巧みな猟師、野の人となり、ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいた。イサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた。」

と書かれています。 その結果、家族がともに心開いて話し合える状況ではなかったようです。われらは父イサクと弟ヤコブとが親しく会話する。母リベカと兄エサウとが親しく会話する。エサウとヤコブが仲良く何かをしたという記録がないことを見落としてはなりません。この家族の間では、話せばわかる簡単なことが複雑な問題になりました。妻と息子が共謀して夫をだますという行為は決して許されるものではありません。しかし、そうせざるを得ない家庭環境を理解しなければ、われらはリベカの苦渋の決断とその意味の深さを測り知ることができません。
第二の原因を挙げるとすれば、単純にイサクの老齢化の問題があったと思われます。わが子の将来を祝福する大事なときに、妻と相談もせず、自分の食べ物の好みを満足させてくれることを条件にしました。このことから、別人のように変わったイサクのわがままな性格と頑固さを読み取ることができます。

洞察)
使徒パウロは

ローマ9章18節で「神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。」

と語っています。神はイサクが人の話を聞かない頑固さ、自分のことしか思わないわがままな心を、さらにかたくなにされました。それゆえに、イサクはエサウの声とは明らかに違うヤコブの声だと気づいても、それ以上追求しませんでした。リベカが作った子ヤギの料理とエサウが作る野生の動物の料理の違いが分かりませんでした。何より、イサクがヤコブを祝福し終わるまでに、エサウが戻ることはありませんでした。
イサクは頑固なまでにエサウを祝福したい考えていましたので、ヤコブのことをエサウだと思い込み全身全霊込めて彼を祝福してしまいました。もし、これらの一つさえ崩れたら、リベカとヤコブの計画は失敗し、恐ろしい結果になったことでしょう。この状況と絶妙のタイミング、この瞬間に確かに神の時が動いたのです。

とは言え、父をだますという行為を神が肯定された訳ではありません。ヤコブは父をだました報いとして彼自身が叔父から20年間にわたってだまされ続けることになります。

それでも神は、アブラハムと約束された通りに、ご自分が選んだイサクの神となられ、さらにご自分が選んだヤコブの神となられました。そのように神はご自分が約束されたことを誠実に守り、成し遂げられるのです。

応答)
われらが神によってこの世から選び出された背後には、多くの人々の働きや奉仕があったことを思います。その人々には、それぞれの思いがあり、動機があり、考えがあり、その時々の判断があったはずです。それぞれにはそれぞれの家庭の事情や家族の問題や様々な人生があったはずです。

神はそれらの人々の働きと奉仕を通して、われらに接近してくださり、出会いと決断の時を与えてくださいました。そのようにしてわれらは神が約束された永遠の救いといのちを受け、神の民のひとりとして選ばれたのです。もし、それらの人々がいなかったら、われらと神との出会いも救いの機会もありませんでした。そのように、すべての出来事の背景で神の意志による選びのわざがなされたことを覚えるとき、われらは膝をかがめて神をほめたたえるしかありません。願わくば、多くの人々の救いのためにわれらの人生が用いられることを願い、そのようにして神のご計画の実現がさらに進められることを追い求めていきたいと思います。

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新聖歌

開会祈祷後:163番、メッセージ前:266番、メッセージ後:447番

聖書交読

詩篇 8篇1~9節

お知らせ

★本日午後3時よりE.U兄の納骨式が行われます。
★12日(水)午前10時30分より、おしゃべりティータイムを行います。
★15日(土)午後6時よりムジカンパーニュの讃美練習を行います。
★16日(日)のイースター礼拝のためにお祈りください。

2017年度前半の主な教会行事
4月16日(日)  イースター礼拝(ムジカ讃美)
4月23日(日)  合同記念会(服部霊園納骨堂前)
4月30日(日)  北部地区講壇交換(千里/藤野師、徳本師/総持寺)
6月04日(日)   ペンテコステ礼拝

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