メッセージ
<創世記 22章1~19節>
牧師:徳本 篤 師
開会聖句
そうしてアブラハムは、その場所 を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある。」と言い伝えられている。
<創世記 22章14節>
メッセージ内容
序文)
「主の山には備えがある。」と聞くと、多くの人が「神は私たちに必要なものはすべて用意しておられるから何も心配しなくていいのだ。」と考えられるのではないかと思います。創世記22章は、私たちにとって都合のいいことを本当に約束しているところでしょうか。
本文)
1節の「試練に会わせられた」の「試練(ネイサー)」とは、「本物であることを証明する試験的な経験」という意味です。その試験の内容とは、2節の
「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」
ということで、アブラハムにとっては非常に難解な試験でした。
ひとり子イサクをいけにえにささげることは、神が契約(創15:17/17:19)されたことをご自分で破棄されることになります。神は本当にご自身が立てた契約を勝手な理由で破られる方なのか。アブラハムは必死に考えました。じっくりと考えたすえに至ったアブラハムの考えは、「神はご自分の契約を実現するためなら、人知を超えたわざを行ってでも必ずイサクを取り戻してくださる。」という結論でした。それがアブラハムの神に対する堅い岩のような信仰の土台となりました。
パウロはその時のアブラハムの信仰について、
「彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。」(ロマ4:20~21)
と説明しています。
同じようにヘブル11章でも、その時のアブラハムの信仰について、
「神はアブラハムに対して、『イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。』と言われたのですが、彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。」(ヘブ11:18~19)
と語っています。
再び創世記22章のアブラハムの言動に注目しましょう。イサクが「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」 と尋ねると、アブラハムは「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」と答えています。 この時は、すでにアブラハムは心の中でイサクを殺していました。今まさに刀を振り下ろそうとしたその手を御使いが呼び止めなかったら、間違いなくアブラハムはそれを実行していたでしょう。 それで、神はアブラハムに「今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」と言われたのです。 神はその以前から、すでにイサクの身代わりとなる雄羊を用意しておられました。アブラハムはその羊のことに気づいて、それをイサクの代わりに全焼のいけにえとしてささげ、その場所で神を礼拝しました。現在この場所はエルサレムの神殿の中心になっており、この上にイスラム教の黄金のドームが建てられています。
洞察)
パウロはこの出来事について、ヘブル書11章19節で、「アブラハムが死者の中からイサクを取り戻した型」であったと説明します。 型(ハラボレー)とは、古代の海戦において、船に類似した模型を机の上に配置して、双方の動きを比較しながら戦略を説明した時に使用した模型のことを意味しています。そこから、霊的真理や霊的生活を解き明かすために、それと類似した日常生活や自然界の出来事を模型のように双方を比較しながら、比喩的に伝える「たとえ話」や「過去の出来事」を指すようになりました。
現在の私たちは、創世記22章の出来事を型として、イエス・キリストの十字架の死と復活の意味と真理を正しく理解するようになり、神の契約の変わらないことと、信仰の勝利を確信できるようになりました。
応答)
ところで冒頭での質問の回答になりますが、主の山に備えあり(アドナイ・イルエ)とは、「主は見つめておられる」という意味だったのです。主がアブラハムの心をずーっと見つめておられたように、今も私たちの心を見つめておられることをあらわしています。
アブラハムがひとり子イサクをいけにえとしてささげたように、ヨハネ3章16節では、父なる神も、そのひとり子をお与えになったほどの愛の手を私たちに差し伸べておられます。十字架のうえでの尊い犠牲となられた御子イエスを信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つようになるという約束を現在も堅く守っておられるのです。
今日の聖書個所で、アドナイ・イルエ「主は見つめておられる」と語られているように、父なる神はいまも私たちが御子イエスに対して、どのような態度で振る舞っているかを、じーっと見つめておられることを思い起こしてください。御子イエスを拒絶し、憎み、軽蔑し、殺す者に対して、父なる神は心を裂かれるほどに怒り悲しまれます。しかし、御子イエスを愛する者に対して、父なる神はわが子の大事な友人として招き入れて、親しく振る舞ってくださいます。 神がご覧になられて、あなたは自分がどちらにいると思いますか。今日、その態度や振る舞いを改めましょう。そして、神の契約が永遠に変わらないことを感謝して、讃美しましょう。
新聖歌
開会祈祷後:9番、メッセージ前:201番、メッセージ後:299番
聖書交読
詩篇 126篇1~6節
お知らせ
★本日礼拝後に2017年度年次総会が開かれます。ご都合により参加できない兄姉は議長Y.Y兄に委任状のご提出をお願いします。
★21日(火)に福音聖書神学校の入学試験が行われます。
★S.T姉は4日に退院されて自宅で療養中ですが、足首の腫れと痛みが完治するのに3カ月かかるようです。お祈りしましょう。
★17日にN.U姉から献金とお便りが届きました。ご遺族の慰めと励ましのためにお祈りしましょう。
★26日(日)午後3時から河内長野聖書教会において、石賀満師の按手礼式が大山師の司式と徳本師の説教により執行されます。
2017年度前半の主な教会行事
4月16日(日) イースター礼拝
4月23日(日) 合同記念会
4月30日(日) 北部地区講壇交換(藤野師来会)
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