神の友と呼ばれた人

メッセージ

<創世記 18章1~33節>
牧師:徳本 篤 師

開会聖句

そして、「アブラハムは神を信じその信仰が彼の義とみなされた。」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。

<ヤコブの手紙 2章23節>

メッセージ内容

序文)
先日のNHKラジオ番組で、防災対策といえば地震や火災にも耐えられる建物の構造の問題や、電気・ガスなどのライフラインの整備などが取り上げられるけれども、いざという時に最も大事なのは近所の人々が互いに助け合うような親しい関係づくりを普段から心掛けることだと語られていました。
箴言27:10では

「あなたの友、あなたの父の友を捨てるな。あなたが災難に会うとき、兄弟の家に行くな。近くにいる隣人は、遠くにいる兄弟にまさる。」

と書かれています。 自分との関わりや影響の大きさを思えば、近くにいるよき友との出会いは私たちのいのちと心の財産だと言えないでしょうか。今日の聖書個所では、「神の友と呼ばれた」アブラハムについて注目したいと思います。

本論)
創世記18:2に注目していただくと、「三人の人」が登場します。そのうちのアブラハムと親しく語られた方は「主」と記されています。続いて、創世記19:1に注目していただくと、人数がひとり減ってふたりの「御使い」と記されています。「主」と「御使い」とでは、違う扱いがなされていることが分かります。多くの聖書学者が、このときアブラハムと語られた「主」は、新約聖書に登場されるキリストが人の子として降られる以前に別の姿でご自分をあらわされと考えています。父なる神と御子なる神がこの時からともに働いておられたことを証明する重要な個所になります。
その「主」は、妻サラに対して17章で約束されたことに加えて、その約束を実現する時期が一年後になることを告げ知らせられました。 続いて「主」は、アブラハムに対してご自分の友のようにご自分の心にあることを明らかにされ、「ソドムとゴモラ」のさばきのことを打ち明けられました。アブラハムはその地に住む甥のロトの家族を案じて、彼らが助けられるために幾度も条件を引き下げて交渉を続けました。主はアブラハムの訴えを最後まで聞き、そのひとつひとつについて忍耐深く答えられています。

この創世記18章のアブラハムと主との会話の内容と比較されるのがヨハネ15章のキリストと弟子たちとの会話です。両者に共通するのは「友」という関係です。

創世記18章17節~21節では

主はアブラハムに対して、「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行なわせるため、主が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」そこで主は仰せられた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行なっているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」

と語られたことが記録されています。

ヨハネ15章13節~16節では、キリストが弟子たちに向かって、

「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」

と語られたことが記録されています。

適用)
神の友と呼ばれたアブラハム。キリストの友と呼ばれたキリストの弟子たち。その共通点について以下のように確認することができます。

1 友は友のためにいのちを捨てる
アブラハムが創世記17章で行った割礼は、いのちの象徴である包皮を切り捨てることで、自分のいのちを神にささげたのです。ローマ6章4節で、パウロは私たちがバプテスマを受けることで、「キリストとともに葬られた」のだと語ります。キリストご自身は十字架のうえで私たちのためにいのちをお捨てになられました。友のためにいのちを捨てることによって、互いの友情には終わりがないこと、永遠に続くことをあらわします。

2 友と呼ばれるのは選ばれた者だけ
主がアブラハムを選ばれた理由は、アブラハムを通して世界のすべての人が祝福を受けるためでした。したがって主がソドムトゴモラになさろうとすることも、アブラハムを通さないで実行するようなことはされなかったのです。 キリストはご自分がお選びになった弟子たちを通して世界のすべての人が救われるようにされました。それゆえ弟子たちに全世界に出て行って福音を宣べ伝えるように命じられたのです。さらにマタイ24:14では、福音が全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされる時まで、終わりさばきの日の来るのを延期されていることを語られました。友として選ばれた者としての特権と使命は、すべての人の救いとさばきにより深く関わっていることを覚えさせられます。

3 友にはすべてのことを明かされる
主はアブラハムにご自分の計画や思いを何一つ隠すことなくすべて打ち明けられました。アブラハムがロトのための執拗な願いを最後まで耳を傾けられた理由は、アブラハムの願いに感情的に答えられたのではなくて、罪人を憐れみ深く思われる主のみ心のあらわれです。 キリストが弟子たちにご自分のすべてのことを明かされたのも、友である彼らが、友としてキリストの心を理解し、そのうえで自分たちのなすべきことを判断し、それにふさわしく行動するためなのです。それが友と呼ばれた人に宿る主のみ心です。

決断と応答)
神の友と呼ばれたアブラハム。キリストの弟子たちから学ぶことは、それとまったく同じ理由で、私たちもキリストの友であることを意識して行動することです。 バプテスマを受けた私たちと、キリストとの友情には終わりがないことをもう一度確認しましょう。キリストのみ心とご計画を共有し、つねにキリストがとともに働かれるように意識することを心掛けましょう。 
キリストのよき友として生きることが、私たちの人生の希望と平安と喜びとなりますように。

メッセージ内容のダウンロード(PDF15KB)

新聖歌

開会祈祷後:18番、メッセージ前:109番、メッセージ後:317番

聖書交読

詩篇 103篇1~22節

お知らせ

★本日午後から1月度の定例運営委員会が開かれます。
★1月10日に武田二郎師(84歳)が召天されました。13日に前夜式、14日に葬式が武庫川教会において行われました。
★福音聖書神学校では2017年度新入生を募集しています。

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