メッセージ
<創世記 14章1~24節>
牧師:徳本 篤 師
開会聖句
もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。
<テモテへの手紙第一 5章8節>
メッセージ内容
序論)
平成19年度版「国民生活白書」によると、子ども時代に「親と将来のこと」、「家事の手伝い」など、親とのコミュニケーションをよく体験した人ほど、成人になってから「自分の考えを分かりやすく説明できる」、「自分の感情を上手にコントロールできる」、「自分から率先して行動する」といった仕事に関する能力が高い人の割合がそうでない人よりも高くなっているという結果が報告されています。
きょうの聖書個所では信仰の実践のあかしとして家族との関係のことが取り上げられています。この点について信仰の父アブラハムから私たちが受け継いだ信仰の遺産について明らかにしたいと思います。
本論)
今日の聖書個所を要約すると、アブラムの家族と彼の親類であるロトの家族とはそれぞれ別の場所に分かれて暮らしていましたが、周辺諸国の王たちの争いが勃発し、それにロトの家族が巻き込まれてしまったことが書かれています。そのことを伝え聞いたアブラムの家族と彼の近所の仲間たちが協力し、侵略してきた王たちを打ち破って、ロトの家族を救出したという出来事の記録が書かれていました。この記録を基にして、私たちの信仰の実践として家族との良い関係を築くことの意味とその価値を考えてみたいと思います。
適用)
第一に、私たちが家族のことで最初に思い当たる聖書の箇所は使徒16章31節ではないでしょうか。確かにパウロはエペソの看守に向かって
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」
と語りました。しかし、使徒の働き全体を見ると、「家族が同時にバプテスマを受ける」という出来事は異邦人にも聖霊の賜物が与えられたことのあかしだったことをペテロが語っています。同じようにパウロの説教によってルデヤの家族と看守の家族に起きたことも、パウロがペテロと同じようにキリストの使徒であることをあかしする根拠になりました。ところが使徒の働きのその他の箇所においてはこれと同じ出来事が繰り返し起きたという事例が見られないところから、「家族が同時にバプテスマを受ける」ことは特殊な場面での限られた出来事だったと言えます。(参考個所:使徒11:01~18、16:14~15、16:31~34)
従って、この使徒の16章の個所から、もし誰かが先に救われるとその人のあかしによって家族全員が救われなければならないという考えは不自然なことに思われます。それを真面目な信仰者の模範や基準にすることも不自然なことです。私たちが確信をもって受け入れているキリストの福音によれば、救いはどこまでも主の恵みによるものであり、人の良い行いや努力によるものではないことをもう一度確認しましょう。
勿論、主の豊かな恵みを知る者として、私たちが自分の家族の救いを心から願って祈り続けることはあくまでも家族に対する自然な思いであり、神もそのことを支えてくださることは明らかにしておきたいと思います。
第二に、信仰者と家族との関係は周囲の人々の評判になりました。それが信仰の実践的なあかしになるか、避難の対象になるかに注目してみましょう。それは、家族全員が洗礼を受けているか、いないかを基準にして私たちの信仰のあり方を責め立てるものではないことを先程取り上げました。聖書は家族に対する私たちの態度と姿勢が信仰者としてふさわしいものであるかを問いかけているのです。
パウロは実践の伴わない知識について
「神の国はことばにはなく、力にあるのです。」
また
「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」(Ⅰコリント4:20、8:1)
と語っています。家族との良い関係は愛のわざの実践なくして育成しないことは多くの人々が知っていることです。ですからパウロは
「もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。」
と語っているのです。私たちの家族に対する態度や振る舞いが周囲の人々に対して信仰のあかしになっているか、避難の対象になっているかを考えて判断するようにと忠告しているのです。(Ⅰテモテ5:8)
アブラムに対する神の約束は
「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう」(創世12:3)
ということでした。アブラムとともに生活し、彼と互いに祝福を分ち合う家族、親族、仲間を神は祝福されるというのです。
第三に、家族の結束力は人生の様々な困難な場面での生きる力になります。今日の聖書の箇所でアブラムを助ける人々がいました。13節にアネルとエシュコルとマムレのことが書かれています。彼らは親類同士でしたが、彼らはいざという時に頼りになる仲間でした。彼らは自分たちの家族のようにアブラムの親類のロトの災難を心配してアブラムに協力しました。さらにアブラムには彼の忠実な奴隷たちとアブラムの家で生まれたその子どもたちで訓練を受けた若者が総勢308人もいました。この人たちがアブラムのために大活躍しました。彼らの結束力の強さはケドルラオメルとその仲間の王たちとは大きな違いがありました。その強さがアブラムたちの戦う力になったのです。
教会の歴史の初期時代においても「家の教会」が礼拝と宣教の拠点であったことに注目してみましょう。家族全員が協力したのか、期間はどれくらい続いたのかについては明記されていません。人々がともに集まって礼拝し祈る場所として自発的に自分の家を提供しようと決心した信仰者がいました。彼らの伴侶、子どもたち、あるいは孫たちのだれかが一緒に協力してくれたのではないでしょうか。勿論近所の信者の仲間も応援してくれたことでしょう。その結束力は明らかに教会の働きを前進させる力になりました。
結論と応答)
アブラハムは祭壇で主の御名によって家族のために祈り、とりなし、心から家族のことを心配し、家族とともに過ごしたことでしょう。そのことが私たちの信仰生活のモデルとして自然に行われているなら、確かに私たちは信仰の父アブラハムの後継者であり、信仰による彼の息子、娘となるのです。
新聖歌
開会祈祷後:70番、メッセージ前:392番、メッセージ後:438番
聖書交読
詩篇 84篇1~12節
お知らせ
★E.U兄・N.U姉からクリスマス献金が届きました。E兄の腰痛のためにお祈りください。
★17日(土)午前10時30分からD.SさんとT.Kさんの結婚式が千里教会の二階礼拝堂にて行われます。
★結婚式後にクリスマスののための会場設営を行います。会場の飾付け等は18日(日)礼拝後に行います。
★18日(日)礼拝後に聖歌隊の練習を行います。その後にムジカの練習を行います。練習後に12月度運営委員会を行います。(予定)
2016年度後半の主な教会行事
12月17日(土) 結婚式(D.Sさん、T.K姉)
12月25日(日) クリスマス礼拝/祝会
#49-2532
One comment to this article
mb-senri_web
on 2016年12月13日 at 10:09 AM -
2016年12月13日 説教内容を追加更新しました。(Web管理者)