人生の岐路に立って

メッセージ

<創世記 13章1~18節>
牧師:徳本 篤 師

開会聖句

あなたは、この民に言え。主はこう仰せられる。「見よ。わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く。

<エレミヤ書 21章8節>

メッセージ内容

序論)
あなたが人生の岐路に立たされるような経験をされたのはどんな時でしたか。私たちは失敗して後悔することがないようにと思うものですから、進路を決断する時にはとても悩んだりするものです。
あるクリスチャンの友人が私にこう言いました。「私は神様にすべて任せているので、明日のことは一切心配していません。」 ところが、本人は心配していなくても、周囲の人が自分の将来について何も考えていないその人のことを心配しているという場合もあります。
あなたはどう思いますか。明日のことを心配しないのと、明日のことを何も考えないのは同じでしょうか。もし同じでないというのならその違いはどこにあるのでしょう。きょうの聖書個所から同じように人生の岐路に立たされた信仰の父アブラハムの経験を通してこの問題点を明らかにしていきたいと思います。

本論)
今日の聖書個所を要約すると、アブラムの一行は飢饉のために避難地として一時滞在したエジプトから出て、ネゲブに上り、ネゲブからさらに旅を続けてベテルまで来てそこに住み着いたが、そのところでアブラムとロトとの間に問題が起きたところ始まります。この原因は彼らの持ち物が多すぎた為に、彼らがその土地でいっしょに暮らすには狭すぎることでした。それに加えアブラムの使用人とロトの使用人との間に争いが起来たことがこの問題を一層深刻にしました。このような理由でアブラムはロトと別行動をとることを決断しました。アブラムがそのようにロトに申し出ると、ロトも事情を理解してその申し出を受け入れてくれました。
ロトが下見に出かけてヨルダンの低地全体を見渡すと、その地はまるで神の楽園のように、また豊かなエジプトの農作地のように、どこもよく潤っていました。それで、ロトはヨルダンの低地に行くことを選びました。間もなくしてロトとその一行はその地に移り住みました。
ロトとの約束した通りアブラムの方はカナン丘陵地帯を選びました。この丘陵地帯は長さが約56km,幅が約27kmあります。例えると大阪府の約80%ほどの広さになります。残念なことにこの丘陵地帯は耕作に適さない土質でした。わずかに谷の部分だけは肥沃な土地になっています。この丘陵地帯は多くの谷によって分断されており,後にそこに定住することになったアブラムの子孫はこれらの丘や谷間を外部からの侵入者から身を守る外壁のように活用しました。
さて、ベテルから幕屋を移動してカナンの丘陵地帯の中心部にあるヘブロンに住むことにしました。アブラムは早速その地にあるマムレの樫の木のそばに主のための祭壇を築きました。

洞察)
1)経済や生活環境を優先したロトの判断の結末について
ロトの体験は富と豊かさが幸せを約束するものではないことの事例として記憶されることになりました。遠くから眺めると、この地の人々の豊かな暮らしが魅力的にみえました。しかし、そこの住民の不道徳で邪悪なな部分、乱れた風習などについては、その土地に住んでみなければ分からないことがあります。ロトの家族がその問題に気づいたあとも、様々な不都合があってそこから抜け出すことは困難だったようです。創世記19章にその悲惨な結末が記録されています。

2)信仰生活を優先したアブラハムの判断の結末について
創世記 13章9節で、「全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」と語ったようにアブラムは、自分の甥にあたるロトに選択の優先権を譲っているように見えます。このような寛大な判断はアブラムの心の広さをあらわすだけではなく、彼の信仰に深く関わりがあるのではないかと考えられます。
まずここで明確なことは、アブラムはロトと別の道を進むことを神のみこころであると判断したことです。それであれば、「もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」と言ったように進む先が自分の好む方向ではなかったとしても受け入れる覚悟ができていたことのでしょう。アブラムにはロトがどちらを選ぼうと、自分がどこに行こうと、その行く先々でいつもと同じように神に仕えていく姿勢に変わることがありませんでした。そのことは、アブラムがカナンの地に移り住んで最初にマムレの樫の木のそばに主のための祭壇を築いたことによって明らかです。結果的にアブラムが選んだヘブロンは後に神が彼の子孫に永遠に与えると約束されたイスラエルの中心地になりました。

3)現在もヘブロンに残っているイスラエルの族長たちの墓地
この墓地はキリストの時代にヘロデ王が建てたものです。そこは創世記23章にアブラハムが家族の墓所として購入したと記録されているマクペラの洞穴があった場所で、ヘロデはその上にイスラエルの族長たちの墓を建てました。この墓地は現在でも、聖地全域で最も有名な建物の一つとなっています。
聖書の記録によると、そこにはサラ(創世23章)とアブラハム(創世25章)、イサクとリベカとレア(創世49章)が葬られており。ヤコブの遺体はヨセフがエジプトから運ばせました(創世50章)。そのようにすべての族長たちがこの洞穴に葬られたことが記録されています。

結論と適用)
自分が行くところ何処においても神に従う姿勢を守り抜いたアブラムの信仰から私たちが学ぶことは何でしょうか。確かに時代も、文化も社会的な状況もアブラムの時とは違う現在において私たちにも適用される原則があるとすればそれはどんなことでしょう。
  第一に、私たちの人生は自分ひとりで小舟に乗って必死で絽を漕いでいるようなものではないということです。ロトが考え、判断し、選んだこと、そして彼が味わったことから、人生は自分の思い通り、計算通りには行かないことです。散々苦労し、努力した結果が期待通りではなかったときの失望とむなしさを思い起こしそれを教訓としてください。
  第二に、私たちの人生は安全な港のホテルで心地よいベンチに腰掛けてただ海を眺めているようなものではないということです。いつかは良い目をする日が来るのではないかと、ただ待っているだけで、いたずらに歳月を過ごすのに信仰を働かす場面はありません。働かない信仰は持つ必要がないかもしれません。
  第三に、私たちの人生は小さくともヨットのように大きな帆を張っていつでも風を受けて沖へ乗り出すようなものです。アブラムのように神から送られてくるの風を信仰の帆を張ってしっかり受け止めて、その力で前進していくものです。アブラムの祭壇は神に祈り、神のみこころを聞くところです。それは風を受ける帆のようにアブラムの人生の力となりました。実際に人生の岐路に立った時に私たちはアブラハムのように判断することができるでしょうか。帆を立てる勇気と、信仰を働かせる必要があるでしょう。しかし、それを信仰の父からの遺産として受け取ることが必要であり、それが大事なことであることを忘れないように、自分の心にしっかり 刻んでおきましょう。

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新聖歌

開会祈祷後:68番、メッセージ前:268番、メッセージ後:354番

聖書交読

詩篇 67篇1~7節

お知らせ

★本日礼拝後に12月度の聖餐式を行います。昼食を用意しています。
★本日午後からクリスマスの飾りつけを行います。
★F.N姉・Y.N姉からクリスマス献金が届きました。
★12月14日(水)10時30分から「おしゃべりクリスマス」を予定しています。
★12月25日(日)のクリスマス準備のためにお祈りください。

2016年度後半の主な教会行事
12月17日(土)  結婚式(D.Sさん、T.K姉)
12月25日(日)  クリスマス礼拝/祝会

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