恐るべき相手は誰か

メッセージ

<マルコの福音書 6章45~52節>
牧師:徳本 篤

開会聖句

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。

<イザヤ書 41章10節>

メッセージ内容

序論)
先週の「出張なんでも鑑定団」の番組のこと。本人が本物と思っていたお宝が全くの偽物であったりすることが多いのですが、先週フラダンス教師をしておられる女性の方が近所の農家からタダで頂いたという土まみれの汚い壺が、350万円もする本物の古美濃焼だったことで会場が湧きました。
私たちのイエス・キリストについての鑑定結果はどのようなものでしょうか。失礼な例えかもしれませんが、今日の聖書個所では、弟子たちの鑑定が正しくなかったことを取り上げられています。

本論) ピリポの心が堅く閉ざされていた理由
マルコ6章50節でイエスが「わたしだ。恐れることはない」と言われたことが記録されています。この個所はギリシャ語で「エゴー・アイミー(わたしだ)」と書かれています。この言葉が聖書の中で最初に登場した場面は出エジプト3章14節で、モーセが神に「あなたのことを人々にどのように紹介すべきでしょうか」と尋ねた時に「わたしは『わたしはある』という者である。」と答えられました。「ある」という言葉は「神としての永遠の力と変わることのないご性質」をあらわします。
神がモーセにご自身をあらわされたとき、神はモーセに履いていた靴を脱ぐように命じられました。これは信仰と聖さとをもって近づかなければ誰も神を見ることはできないという礼拝のマナーです。

今日の聖書の個所でキリストご自身が「ある」という意味のエゴー・アイミーという言葉を語られたということは、イエス・キリストご自身が旧約聖書の天地創造の神と、まったく同じ神であられることを証言されたことになります。

キリストの使徒ヨハネは最初からこのことを私たちに強調していたことを思い出しましょう。

● キリストはまことに神の御子である。 ヨハネ01:01~02、14、18(朗読)
● キリストと父なる神とはまったく同じである。 ヨハネ16:06~11(朗読)

マルコ6章においてもイエスが行われた奇跡のわざがそれを証明していることに注目しましょう。
1) 五千人の人々に天からのパンを与えられたこと。=天からマナを降らせて40年間民を養われたイスラエルの神のみわざでした。 
2) ガリラヤ湖の上を歩かれて嵐を静められたこと。=強い風を吹かせて紅海を二つに分けられ人々がそこを渡るようにされた神のみわざ。増水したヨルダン川をせき止められて人々がそこを渡るようにされたのもイスラエルの神のみわざでした。
こうしてキリストは弟子たちに「わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。」と語りかけておられるのです。

洞察と適用)
それではなぜ弟子たちにはキリストの本当の姿を見ていなかったのでしょうか。彼らの目はどうしてキリストに「心を閉ざしていた」のでしょうか。それは当時の人々と同様に弟子たちも別のキリストのイメージをもっており、そうなると当然にキリストに別のことを期待していたことになります。

1 困った時はいつでも助けの手を差し伸べてくれる優しいキリストのイメージ。
熱心に聖書の中から神のことばを探すけれど、実は自分が気に入った言葉、慰めとなる言葉を探し求めているのです。自分が慰められるか、何か有益な言葉が見つかるとそれで満足する。
もし見つからなかったら、自分の願いが叶わなかったら不満足な感情を抱くようになります。

2 目の前の病気やお金や心の問題を解決してくださる超能者のようなキリストのイメージ。
現実の生活で今抱えている問題の解決(奇蹟やいやし)を求めて近づいてくる信仰です。
自分の問題なだけに熱心に願い求めます。それが解決したら自分と同じような問題を抱えている人に自分の体験をあかしします。しかし、解決されない問題のことは沈黙します。
確信の無い不安定な感情を抱くようになります。

3 自分たちをどんな敵からも守ってくれる頼れる王としてのキリストのイメージ。
キリストの栄光と力を拠り所にしてキリストのそばに身を避けてくること自体は正しいことですが、集まってくる人々の中に自分と同じように弱さや、将来の不安を抱えている人々に出会うことで安心を得ようとします。教会に人々と一緒に集まることで互いに慰め合い安心できます。
これでいいのだという安心感が今までの生き方を変えようとしないので多くの問題が残ります。

決断と応答)
弟子たちの失敗から私たちが学ぶことは何でしょうか。自分勝手な偽物のキリストのイメージを追い求めることを止め、まことの神としてご自身をあらわされた、エゴーアイミー(わたしだ)と言われるキリストにつながっているかということを、今日さらに確かなものにしましょう。

メッセージ内容のダウンロード(PDF14KB)

新聖歌

開会祈祷後:188番、メッセージ後:341番

特別讃美

M.A姉
「コルコバード」 詞/曲:A.Cジョビン
「大漁/あさがおのつる/蜂とかみさま」
金子みすゞメドレー 詞:金子みすゞ/曲:あおきみき
「父の神の真実」 詞:T.O.Chrisholm/曲:W.M.Runyan/訳詞:山口昇
「赦すためです」 詞/曲:山内修一
「主よ導きの手を」 詞/曲:F.M.Davis
「喜びの日々」 詞/曲:R.Carmichael訳詞/滝元望

お知らせ

★本日の讃美礼拝の特別讃美はM.A姉でした。
★8月は水曜祈祷会と昼食準備を休みます。会堂の掃除は礼拝後に行います。
★福音聖書神学校は今週末から夏期休暇に入ります。

#49-2512

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