メッセージ
<ネヘミヤ記 10章28~39節>
牧師:徳本 篤
開会聖句
「ヨハネの子シモン。あなたは—わたしを愛しますか。」—イエスは彼に言われた「わたしの子羊を飼いなさい。」
<ヨハネの福音書 21章15節(部分)>
メッセージ内容
序論) イエスとシモン・ペテロとの会話からのヒント
イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」 (ヨハネ21:15)
ここでキリストはペテロがキリストの愛に生きる決意をしたことと、彼がキリストの群れを牧することとを一つのセットのように考えておられることを、ふたりの会話から理解することができます。 愛はかたちになってあらわれること。そして、それが私たちの「信仰のかたち」であることに注目しましょう。
自分が信じていることを行いであらわすという神への「信仰のかたち」を、ネヘミヤ9章でイスラエルの人々が悔い改めて神に立ち返ったあと、その新しい生き方をどのようにあらわしたかに注目することで、見ることができます。
本論) 信仰の共同体としての意識の高揚とその振舞にあらわれた人々の「信仰のかたち」
今日の聖書個所では、イスラエルの人々がモーセの律法にある安息日を守るために具体的にどのようなことを行ったかを記録しています。本来安息日の意味と目的は次のような内容でした。
「イスラエル人はこの安息を守り、永遠の契約として、代々にわたり、この安息を守らなければならない。
これは、永遠に、わたしとイスラエル人との間のしるしである。それは主が六日間に天と地とを造り、七日目に休み、いこわれたからである。」(出エジ31:16~17)
「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。」(出エジ20:08~11)
1 神との約束を実践できる共同体の環境づくりを優先して考えた。(30節)
「あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も」(出エジ20:10)と書かれています。
ネヘミヤ10章では自分の息子や娘の結婚相手を同じ信者の家族から選ぶようにしましたが、安息日を守ることと子どもたちの結婚相手を選ぶことは直接につながっているとは考えにくいことです。しかし、家族を「信仰といのちの共同体」という視点から見るなら、家族がともに神の約束に与ることを願い求めることは、「信仰のかたち」、「家族愛のかたち」として捉えることができます。日本の教会においてこれは非常に困難な課題ですが、私たちが祈るべき大きな課題です。
2 神との約束を実践するためにお金と時と場所を他のことに優先して準備する
イスラエルの人々は安息日に売り買いをしないために、前もって買い備えて(31節)いたようです。そのように、神との約束を実践するために他のことに優先して計画し準備することは「信仰のかたち」として大事なことです。イスラエルの人々が神への「愛のかたち」として、自分の生活の優先順位をどこに置くか計画的に行動したことを物語っています。ただ安息日を守るだけでなく、そのために私たちのお金と時間と賜物を計画的に用いることが「信仰のかたち」なのです。これも私たちが祈り続けるべき課題です。
3 「神の宮をなおざりにしない」(39節)
「なおざりにする」アザブとは、放棄する、遺棄する、放置するという意味です。神殿周辺の環境および設備等の維持管理はレビ人の仕事でした。彼らの生活を維持するためにイスラエルの人々が神殿にささげられた初物はレビ人の食糧となりました。さらにイスラエルの人々の収穫の十分の一はレビ人たちの分として神殿に納められました。そのように人々がレビ人のために納めた中から、さらにその十分の一が神殿で直接に奉仕をする祭司や歌うたいたちの生活費として分配されていたことが書かれています。
現実の会計報告を見ていただくと、私たちが教会にささげた十分の一献金からその十分の一が教団の会計にささげられています。その献金は神学校、キャンプ場、開拓伝道など教団の活動や運営のために用いられています。これも私たちの「信仰のかたち」のあらわれです。そして私たちの祈りの課題でもあるのです。
適用と応答)
悔い改めて神に立ち返ったイスラエルの人々。彼らは神を愛することと、神の共同体の運営や活動のために力に応じて関わっていることが同一だと理解しました。このように愛にはかたちがあります。信仰はかたちになってあらわれくるのです。
最後にもう一度ヨハネ21章15節のみことばによって、今日私たちの理解していることがみことばに一致しているかを確認しましょう。そして、信じていることをかたちにであらわしましょう。
「彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。『ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。』ペテロはイエスに言った。『はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。』イエスは彼に言われた。『わたしの小羊を飼いなさい。』 」(ヨハネ21章15節)
新聖歌
開会祈祷後:163番、メッセージ前:392番、メッセージ後:458番
聖書交読
詩篇 127篇1~5節
お知らせ
★本日の礼拝後に7月度の定例運営委員会が開かれます。
★13日(水)のおしゃべりティータイムにおいてK姉の神学校での授業の一環として「ルター研究」を発表していただきます。
★次週17日(日)は海外宣教デーです。宣教に対して私たちの関心と理解を広げる時としましょう。
★ 軽井沢のMB宣教師団の別荘地を神学校新校舎建設資金の一部として譲渡されました。北米・カナダのMB諸教会の日本宣教への熱意に感謝し、この資金が有効に用いられるように祈りましょう。
#49-2510
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