メッセージ
<ネヘミヤ記 3章1~32節>
牧師:徳本 篤
開会聖句
わたしは、この国のために、わたしの前で石垣を築き、破れ口を修理する者を彼らの間に捜し求めたが、見つからなかった。
<エゼキエル書22章 30節>
メッセージ内容
序論)
京都二条城は1603年に、徳川家康が天下を統一した後に将軍に就任する儀式を行う式場および宿泊所として築城したといわれます。現在も国宝二の丸御殿には3000面以上の障壁画が遺されており、そのうち1016面が昭和57年に国の重要文化財に指定されました。これらの絵画は江戸幕府御用絵師であった「狩野探幽(かのうたんゆう)」をリーダーとする「狩野派」という絵師集団によって制作された非常に貴重なものです。
二条城では、すでに平成23年から約20年の歳月と100億円の経費をかけた本格的な修理プロジェクトが推進されています。その経費に充当するため平成22年10月から「二条城一口城主募金」を募っています。1万円で1年間、5万円で5年間、10万円で10年間、なぜか100万円で10年間となっています。100年先には誰も生きていないからでしょうか。
今日の説教の主題である「破れた城壁」とは「ほころび」をあらわします。城壁ばかりでなく、私たちが大事の思う伝統や、良い習慣、正しい教理、理想的な教会の制度も時間の経過とともに、「ほころび」が始まるということは避けられません。いつまでも維持するための確実な方法は、つねに補修作業を絶やさないことです。
本日の開会聖句として選びましたエゼキエル22章30節で、神はエゼキエルに 「わたしは、この国のために、わたしの前で石垣を築き、破れ口を修理する者を彼らの間に捜し求めたが、見つからなかった。」と嘆いておられます。破れた城壁をみて心を動かされ、これを自分たちで補修すべきだと真剣に考える者を神は期待しておられるのです。
本論)
今日の聖書の個所でネヘミヤのことばに心動かされた人々がどのように立ち上がっていったかを知ることは、同じ役割を与えられている私たちにとって、大いに参考とすべき知恵であり、励ましになります。
第一に注目したいのは、1節にみられるように、最初に大祭司エルヤシブが、その兄弟の祭司たちとともに立ちあがり、羊の門の再建から取りかかったことです。彼の姿を見て心を動かされた人々がその後に続いて立ち上がりました。
大祭司エルヤシブが最初に立ち上がったことは、この修復事業の成功に大きく貢献したと言えます。
エルヤシブの信仰と決断力、いま自分が何をすべきか、自分が果たすべき役割は何かを直感した判断力は高く評価されるべきだと思います。
今日の教会においても、教会が様々な問題や困難な課題と立ち向かう場面において、神が教会の指導者たちに同じような強い意思と判断力を与えてくださるように祈っていく必要があります。
エペソ6章20節においてパウロは
「私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。」
と言っています。彼はこの手紙を書いたときはローマの牢獄につながれておりました。彼も私たちと同じ人間です。彼は自分が迫害のために人を恐れたり、気落ちしたりしないように。それによって自分の心から福音を語り続ける情熱が失われていくことがないように祈って欲しいと願っているのです。パウロが大胆に福音を語れる力となったのはエペソ教会の人々の祈りだったのです。
教会はリーダーを育て、そして、リーダーは教会を育てるという伝統のことわざがあります。この原則は昔も今も変わることがありません。いつの時代にも、エルヤシブと彼の兄弟たちのような人物が教会には必要なのです。
第二に注目したいのは、5節に、テコア人たちが修理しようとした時に
「そのすぐれた人たちは彼らの主人たちの工事に協力しなかった。」
とありますが、城壁の修理に協力しなかったのは彼らだけでした。どんな理由が彼らをそのようにさせたのでしょうか。
テコア地方はネヘミヤが総督として統治していた地域です。従って彼らの主人とはネヘミヤのことです。テコアの有力者たちはネヘミヤとは敵対関係にあったサンパラテの支持者でした。サンパラテは神の働きを全く期待しない超現実主義者でした。城壁の再建は絶対に不可能だと考えていました。何よりも城壁が再建されることを嫌う周辺諸国との関係が悪化することは避けるのが得策だと考えていました。
自分の故郷のナザレの人々から拒絶されたイエス様と同じように、ネヘミヤも自分といつも身近に居るべき人々から拒否されたのです。
私たちは神のために立ち上がる時に、いつも100%の人々が賛成してくれるもの、協力してもらうのは当然のことがと考えるべきではありません。この地上の人間社会においてそれは期待できないものかもしれません。しかし、ローマ8章31節でパウロは
「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」
と語っているように、神を愛する人々はそれでも失望させられることはありません。神が味方になってくださるからです。
第三に注目したいのは、修理に取り掛かった人々は、それぞれ自分たちの家の前の部分を、自分たちの分担すべき分として自主的に受け取ったことです。それぞれが少しずつですが自分たちの役割として修理責任を果たすことで、全体として城壁すべての修理をやり遂げる結果になりました。次の理由から、この方法とアイデアが実に堅実で優れた方法であることが分かります。
1) 最初から経済的・人材的・時間的に余裕がありませんでした。そのために仕事の効率を最大限に活用する必要がありました。自分の家の前を分担することは理想的でした。
2) 敵から攻撃を受けた時でも直ちに帰宅して家族の安全を守る必要がありました。それに備えるための最善の方法は家から近い場所で仕事をすることでした。
3) 修復の作業場が家から近いことは家族の協力も得られやすい環境であった。人手が足りない時に家族も一緒に作業に参加することができました。12節には「娘たち」が作業に加わったと書かれています。
決断と応答)
私たちは城壁を修復する者たちを懸命に探し求めておられる、神のみこころに心を留めましょう。
二条城でさえ修復計画に20年の歳月をかけ、200億円の予算で取り組んでいるのです。神にとって不可能なことはありません。時に嘆くような出来事に出会っても、神に祈って前進した先輩たちから学び、自分たちの手の届くところから始めましょう。もし途中で投げ出すことさえしなければ、必ず修復作業は成し遂げられます。それが神のみこころだからです。
新聖歌
開会祈祷後:98番、メッセージ前:406番、メッセージ後:144番
聖書交読
詩篇 66篇1~20節
お知らせ
★本日午後から4月度定例運営委員会が開かれます。
★次週4月24日(日)午後から臨時総会が開かれます。
★4月5日(火)より福音聖書神学校の新学期が始まりました。
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