主イエスの復活の目撃者

メッセージ

<使徒の働き 1章16~26節>
牧師:徳本 篤

今日のみことば

私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。

<使徒の働き 4章20節>

メッセージ内容

序文)
最近イースターのことが日本のビジネスの世界で注目されてきたことは喜ばしいことですが、イースターの本当の意味を知る私たちにとって、マスコミの映像や雑誌に掲載されているものに満足し、納得することはできません。イースターとは、一般的にイエス・キリストが十字架で私たちの身代わりとして死なれてのち3日目に復活されたことを記念して、キリスト教会が毎年行っているお祝行事です。信仰に熱心なクリスチャンにとってイースターの方がクリスマス以上に大事だと考える人も少なくありません。 そのようにイースターに関する様々な考えや意見があることを背景に、今日はキリストの弟子たちの目を通してキリストの復活の出来事が彼らにはどのように映っていたのかを探ってみたいと思います。

本論) 使徒の働き1章16節~26節
キリストの弟子たちが見ていたキリストの復活の出来事とはどのようなものであったか、次の3つのことばにそれを理解するための重要なヒントがあると思います。

  1. 聖書のことばは成就しなければならなかった(16節)
  2. イエスの復活の証人とならなければなりません。(22節)
  3. そして、こう祈った。すべての人の心を知っておられる主よ。(24節)

1 聖書のことばは成就しなければならなかった(16節)
私たち現代人は一度死んだ人間が復活したという話を真っ向から信じようとしません。それは、科学的に証明できていないからだと考えます。誰かが発表したことを他の人がその通りに実験してみて同じように結果があらわれたなら、科学的に事実であると認められます。だから復活も他の人が実験してみて同じように結果があらわれたなら、科学的に事実であることが証明されるというのです。もし証明できなかったらそれは事実ではないことになります。
ところが、キリストの弟子たちは聖書のことばが本当にその通りになるのかに注目しました。聖書が言う通りに結果があらわれたなら、聖書は事実を語っていると認められます。もし、結果がそうでなかったら聖書は事実を語っていないことになります。弟子たちはキリストが十字架で死なれてから3日目に復活されただけでなく、今日の聖書個所にあるようにキリストを裏切ったイスカリオテのユダの行動やその結末に至るまでのすべてが聖書に書かれた通りだったことを力強く証言しています。弟子たちは聖書のことばに書かれているキリストの復活は書かれている通りに実現しなければならないものだったと告白しているのです。
実際にキリストは弟子たちの目の前で肉体をもつからだで復活されました。弟子たちはそれを自分の目で見て、その声を聴いて、一緒に食事をしたり、会話をしたことによって聖書のことばは成就しなければならないものであると確信しました。もし、キリストが聖書のことばの通りに復活されなかったなら聖書には何の値打ちもありません。 
あなたが人間科学の目でキリストの復活を見ようとしないで、弟子たちのように聖書のことばを信じる目で見るならば、あなたの人生は死ぬために生きる宿命的な人生から解放されて、死から永遠のいのちに移された復活の人生を生きるように変わります。

2 イエスの復活の証人とならなければなりません。(22節)
ここで「証人」と訳されるギリシャ語のマルティスという単語には、「証人」の他に「殉教者」という意味があります。そこから見えてくるのは「証人」が本来持っている二つの顔です。ひとつ目の顔は法廷で自分が目撃した真実を語るという証人の顔です。法廷では、直接本人から聞いたこと、確かに自分の目で見た真実のことが求められます。たとえが、そのことを証言することによって自分が殉教者となることがあったとしても真実の通りを語る誠実さと覚悟がなければ証人にふさわしい者とはいえません。ふたつ目の顔は証言する人の歴史的な顔です。法廷で証言する人が証言者としてふさわしい人物であると認定される基準に従っていなければなりません。ペテロが22節で「ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」と語っているのはそのことを言っているのです。
法廷で偽りの証言をすることは法廷を侮辱する犯罪です。偽証した人は社会からの信頼を失い、厳しい罰則を受けなければなりません。現在の日本の刑法第169条では、「法律により宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、3月以上10年以下の懲役に処する」ことになっています。
キリストが復活されたという良い知らせが、当時の弟子たちによってうまく考えられた作り話なのか、それとも事実であるのか、それを判定するのにこれ以上の条件を求めることはできるでしょうか。
殉教も覚悟のうえで真実を守り通そうとした人々の思い、いつもイエスのそばに居たことが多くの人々から証明されている者たちが証人として立てられました。もし、彼らのことばが事実でなかったなら、彼らの偽りの影響は計り知れないものです。彼らは誰よりも真っ先に地獄に投げ込まれなければならない重罪者です。しかし、事実であるなら、たとえあなたが感情的にそれを受け入れたくないとしても、それを否定することは事実を偽ることです。神の法廷に立つときに信じない理由として通用しません。

3 そして、こう祈った。すべての人の心を知っておられる主よ。(24節)
聖書のことばは必ず成就しなければならない。キリストの復活の証人になるにはそれにふさわしいと認められた人でなければならない。ということを観てきました。弟子たちは、そのうえさらに自分たちの判断やことばについて神からの承認を求めたのです。それが、「すべての人の心を知っておられる主よ。」という祈りの記録です。 キリストの復活が理論的に、法的に、事実であり、正しくいことが証明されたとしても、それを信じるというときに私たちの心がそれを納得しない、納得できないのです。
もし、お見合い写真と釣書だけを見せられただけでその相手の人と結婚することは決められません。直接に会ってみて、写真の通りの人であり、経歴だけでなく、信仰の面だけでなく、人間として自分にふさわしくて尊敬できると思ったなら、この人となら結婚しても良いと判断するでしょう。弟子たちは復活されたキリストが今も生きておられることを証言しているのです。ですから、私たちが心を開いて真剣に祈るなら、人の心を知っておられるキリストはそれに応えてくださるのです。それがキリストが復活されたという最大の証しです。弟子たちの目にはキリストの復活の出来事がそのように見えていたのです。

応答と決断)
今日、私たちはキリストの弟子たちの目を通して、彼らにはキリストの復活の出来事がどのように映っていたのかを探ってみました。彼らは確かな事実として次のように語りました。

  1. キリストの復活について聖書のことばは必ず成就しなければならない。
  2. キリストの復活の証人になるにはそれが事実であることを語るのにふさわしい人でなければならない。
  3. キリストの復活について証言されるときに神がそれを認めてくださらなければならない。

あなたは彼らの信仰者としてのこのようなことばと行いをどのように判断しますか。あなたも信じる者になってください。復活されて今も生きておられるキリストに従う人生をあなたのものとして受け入れてください。

メッセージ内容のダウンロード(PDF15KB)

会衆讃美

メッセージ前:「うるわしの白百合」讃美歌496番、献金前:「明日を守られるイエスさま」アイラ・スタンフィル

特別讃美

ムジカンパーニュ
第1部:
「さあ賛美しよう」 ミカエル・オシィールド
「新しい歌を主に」 レオン・パティルロ
「よみがえられた主に仕えて」 アルフレッド・アックレイ
「VICTORY IN JESUS」
第2部:(メッセージ後)
「みよわれはたちて」 新聖歌407番
「キリストは生きておられる」 新聖歌257番
「わが主」 作者不明

お知らせ

★本日のイースター礼拝はムジカンパーニュによる讃美礼拝形式で行います。
★T.N姉は3月28日(月)に退院されることになりました。
★3月24日(木)にF.N姉、Y.N姉からの献金が届きました。
★M.Yさんは関西学院大学国際学部への進学が決まりました。合格おめでとうございます。
★4月3日(日)礼拝後12時30分~13時00分に服部霊園において墓前礼拝を行います。
★4月度の聖餐式は4月10日(日)礼拝後に延期いたします。

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