神はわが魂の避け所

メッセージ

<詩編142篇 1節~7節>
牧師:徳本 篤師

開会聖句

主よ。私はあなたに叫んで、言いました。あなたは私の避け所、生ける者の地で、私の分の土地です。

<詩編142篇 5節>

メッセージ内容

序論)
私が少年時代を過ごした所は、佐世保や長崎ほどではありませんが大きな造船場の跡地がありました。戦時中そこで海軍の特殊船舶が造られていたそうです。そのため近所には幾つも防空壕が放置されていました。そこは少年仲間と探検ごっこをして遊ぶ格好の場所でした。入口は大人がやっと入れるほどの狭さですが、中は結構広い所もありました。まるでアリの巣のように複雑に入り組んでいました。そこでシミだらけになった古い書類や船の設計図などを見つけました。そこの防空壕は爆撃から人の生命を護るだけではなく、当時の重要な資料などの保管場所であり、地下基地だったのではないかと思います。
今日の詩篇142では、ダビデが「アドラムのほら穴」に隠れていた時のことが記録されています。そのほら穴でダビデはどのような体験をしたのでしょうか。

本論)
まず最初に、今日の詩篇142 の背景になっている第1サムエル22章1節~2節をみてみましょう。

1節 ダビデはそこを去って、アドラムのほら穴に避難した。彼の兄弟たちや、彼の父の家のみなの者が、これを聞いて、そのダビデのところに下って来た。
2節 また、困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。こうして、約四百人の者が彼とともにいるようになった。

次の聖書個所から分かることは「アドラムのほら穴」の大きさです。そこはダビデが身を隠すだけの小さな穴ではありませんでした。これによって私たちの「避け所」のイメージが大きく変わります。

第2サムエル22章01節:「アドラムのほら穴」、ほら穴(マアラ)とは洞窟、巣窟をあらわす。
第1歴代誌11章15節:「岩場にあるアドラムのほら穴」、ここでも同じマアラが使用されています。
第1歴代誌11章16節:「要害」要害(マツァ)の語源は卵。そこから「要害」(マツァード)とは堅固な要塞、城砦をあらわすことになりました。
第1歴代誌12章08節:「荒野の要害」、ここでも同じマツァードが使用されています。

さらに、詩篇142の「避け所」(マハセ)とは、自然災害や戦争、テロ、暴動、迫害、貧困、危険な環境から人々が身の安全と保護を求めて避難する場所を指します。「避け所」の第一の条件は、そこが安全であることを保証されている信頼できる場所でなければならないことです。ダビデは「アドラムのほら穴」に身を潜め、わが身に迫る危険と孤独の中で、自分の「避け所」は主ご自身であることを強く思い知らされる体験をしました。

詩篇142篇4節
私の右のほうに目を注いで、見てください。私を顧みる者もなく、私の逃げる所もなくなり、私のたましいに気を配る者もいません。

この箇所は、ダビデの孤独な気持ちをあらわしているところです。「右のほう」とは自分の力をあらわしています。つまり、自分の頼りとなる相談相手、保護してくれる人、安否を気遣ってくれる人、励ましてくれる人、助けてくれる人、慰めてくれる人が誰もいない状況に立たされました。ほら穴の中で孤独なダビデはただ泣き叫ぶしかなかったのです。心にある悲しさ、口惜しさ、恐れや不安な気持ちを、そのまま主に向かって叫び続けました。彼のその声がほら穴中に響き渡っていたことでしょう。
私たちがダビデと同じような体験をするときがあります。それはダビデのように周囲を敵に囲まれて、味方がひとりもいないという場面だけに限ったことではありません。現代社会の「群衆の中の孤独」という言葉があるように、たとえ自分の周囲に職場や教会や学校関係の親しい人々がたくさんいるところで、それでも自分の悩みや苦しみを本当に知ってもらうのには限界だと感じることが多々あります。
実は、このような孤独を感じる時こそ、私たちは有限な人間に頼るのではなく、神と真剣に向き合って祈り、慰めを与えられるという貴重な体験をすることがあります。
ダビデはこの孤独の体験があったからことで、いよいよ彼の品性と人格が練り清められ、心から主に拠り頼む者となりました。実は、ダビデが後にイスラエルを治める王の器として整えられていったのは、彼が勝ち戦で名をあげた時ではなく、「アドラムのほら穴」の体験だったのです。

詩篇142篇5節
主よ。私はあなたに叫んで、言いました。「あなたは私の避け所、生ける者の地で、私の分の土地です。

次に、ダビデはほら穴の中で、主ご自身こそが自分が相続する土地であることに目覚めさせられました。この意味を知るために、ユダヤ人の土地所有に対する考え方について考えてみましょう。
ユダヤ人は先祖代々イスラエルの土地は神がアブラハムに与えられた「約束の土地」であるという堅い信念を持っていました。この地上のいかなる宝、お金、仕事、友人、健康、若さ、記憶などがいつか失われていくものであることに比較して、契約された土地はいつまでも変わることがなく、何ひとつ失われることがなく、永遠に自分のものであることが保証されていることの象徴でした。また、ユダヤ人は約束の地に自分の土地を確実に相続することを通して、天の国籍を相続することの意味を理解していました。
ダビデは孤独な「ほら穴」の中でさえ、主が自分とともにいてくださることを体験したとき、主ご自身こそがいつまでも変わらない自分の財産そのものであり、自分の存在は主によって永遠に保証されていることを確信したのです。

結論)
ダビデは孤独の体験を通して、主が自分のたましいの避け所であることを発見しました。また、主は自分が永遠に相続すべき土地である確信を得ました。しかし、そこで詩篇142は終わっていないことに注目してください。ダビデの主に対する前向きな信仰は、彼の居る所に同じ信仰の人々を引き寄せました。瞬く間に約400人の人々がダビデのもとに集まってきました。ダビデに示された主の慰めと励ましは、彼のあかしを聞く人々にも同じように慰めと励ましとなりました。
最後に伝えたいことは、「避け所」は私たちの隠れ家や逃げ場としてだけではなく、それは「荒野の要塞」となり、敵であるサタンを攻略する「堅く守られた城砦」に変わることです。
かつて孤独の中でダビデの泣き叫ぶ声が悲しく響き渡っていた「アドラムのほら穴」が、後の日にその同じ所でダビデと仲間たちの勝利と喜びの叫びが響き渡ることになるのです。
私たちには「避け所」があります。そこで泣き叫ぶ時があれば、喜び叫ぶ時もあります。どちらも主が私たちに与えられた人生の大切な時です。そこで私たちは新しく整えられ、そこから新しく変わるのです。

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新聖歌

開会祈祷後:21番、聖書朗読後:275番、メッセージ後:285番

聖書交読

詩編8:1節~9節

お知らせ

★今週13日(水)午前10時30分から「おしゃべりティータイム」を行います。
★徳本師は15日(金)午前の審議委員会と午後の神学校建築委員会に出席されます。
★31日(日)徳本師が小牧伝道所でのご奉仕のため、千里教会はY兄に奨励のご奉仕をしていただきます。お祈りください。
★2016年度千里教会年次総会を3月6日(日)礼拝後、イースター礼拝を3月27日(日)、合同記念会を4月3日(日)に予定しています。

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