祈りは神への供え物

メッセージ

<詩編141篇 1節~10節>
牧師:徳本 篤師

開会聖句

私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように。

<詩編141篇 2節>

メッセージ内容

序文)

礼拝と供え物との関係についてはすでに創世記2章のカインとアベルのささげ物の記録に始まっています。

1)なぜ礼拝にささげ物が必要なのかという疑問が湧いてきます。
ささげ物は人間が神に近づくための儀礼だったことが考えられます。キリストがヨハネ14章6節で

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」

と語られた意味は、ヘブル9章13節、14節で次のように説明されています。

「もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」

すなわち、キリストの十字架の血のささげ物なしに、人間は誰ひとり神に近づくことはできないということになります。もしこのように定められた礼拝の規定が無視されるなら、礼拝は成立しないのです。
そういう訳でカインは自分が収穫した穀物を、アベルは自分が大事に育てた初子の羊をささげ物としてささげました。そこまではどちらも良かったのですが、神はアベルとそのささげ物に目を留められたが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。

2)次に、穀物のささげ物より動物のささげ物の方が良かったのかという疑問が湧いてきます。
ここで問題にすべきことは穀物と動物との違いではなく、明らかに、ささげる人の正しい動機とささげる物の質の高さが問題になっているということです。いつでも神の目はそこに注がれているのです。創世記4章7節では

「あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。」

と神はカインに説明されています。

本論)
本 論)
3)詩篇141篇では、穀物でも動物でもなく祈りがささげ物として扱われていることに注目してください。
詩篇141篇2節の「夕べのささげ物」の詳しい内容について、出エジプト29章に神に仕える祭司たちが毎日2頭の若い雄羊を朝に1頭、夕べに1頭、幕屋の入り口で全焼のいけにえとしてささげるようモーセに命じられている記録があります。きっと、幕屋の入り口周辺には毎日朝と夕べに羊の肉が焼かれる香ばしい香りが漂っていたことでしょう。神は何のためにこのようなことを命じられたのでしょうか。「夕べのささげ物」にどんな意味があったのでしょうか。
それについて出エジプト29章で次のように説明がなされています。

38 祭壇の上にささげるべき物は次のとおりである。毎日絶やすことなく一歳の若い雄羊二頭。
39 一頭の若い雄羊は朝ささげ、他の一頭の若い雄羊は夕暮れにささげなければならない。
42 これは、主の前、会見の天幕の入口で、あなたがたが代々にわたって、絶やすことのない全焼のいけにえである。その所でわたしはあなたがたに会い、その所であなたと語る。
43 その所でわたしはイスラエル人に会う。そこはわたしの栄光によって聖とされる。

4)驚くことに、詩篇141篇では、幕屋から遠く離れた場所でダビデがささげる夕べの祈りは、幕屋で祭司たちがささげていた「夕べのささげ物」と同等に扱われていることです。夕べのささげ物として祈りがささげられるとき、その人は神と会い、神と語り、神の栄光を仰ぎ、きよめられるのです。
今日の詩篇141篇は、私たちの祈りが神へのささげ物となることを明らかにしているのです。

適用)
私たちの祈りは、どちらかといえば「とりなしの祈り」や「嘆願する祈り」が中心ではないでしょうか。ささげる祈りとはどんな祈りなのでしょうか。
神の栄光と御力をたたえる祈り、神のみわざへの感謝の祈り、神の働きをたたえる祈り、私たちの忠誠と献身の祈りetc。その他にはどのような祈りが思い浮かびますか。私たちから神へのささげ物として真心からささげましょう。その時神はあなたに会ってくださると約束されました。

応答)
1度会うより、2度会えばさらに親しくなります。3度が5度になれば会うことが楽しみになります。5度が10度になれば親近感がさらに深まります。互いの愛を育むには会う回数と頻度が需要になります。
私たちは神を愛しているとか、神に愛されているとか、神がともにおられるなどと言うあかしをすることがあります。しかし、実際に会わずにそれは成り立ちません。会うことです。何度でも、できれば毎日会うことです。

神はカインに「あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。」と語られました。モーセが命じたように、
神は毎日朝と夕べに私たちと会うことを願っておられます。ご自分が会う用意をして待っておられます。
あなたの方からも神に近づいて行くなら、神は近づいてくださいます。
ささげ物をたずさえて会いに行きましょう。

メッセージ内容のダウンロード(PDF135KB)

新聖歌

開会祈祷後:280番、聖書朗読後:364番、メッセージ後:367番

聖書交読

詩編1:1節~6節

お知らせ

★今年は千里教会発足50周年に向けて歩む年となります。
★今週6日(水)から水曜祈祷会および聖研祈祷会を再開します。
★今週9日(土)~11日(月)MB青年スノーキャンプが行われます。
★今週5日(火)から福音聖書神学校の授業が再開します。

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