聖霊を悲しませるもの

メッセージ

<エペソ 4章25~32節>
牧師:徳本 篤

開会聖句

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

<エペソ 4章30節>

メッセージ内容

序 言)
聖書は読むものであり、心を開いて静かにみことばに耳を傾け、語られたことに各自が応答するものです。それが命令の形式で書かれていても、ユダヤ人の律法のように扱ってはいけません。「クリスチャンとはこうすべき。こうあるべき。」と考え、それにふさわしくない自分のことを責めたり、苦しい思いをしている人がいたなら、今日、聖霊によるまことの平安と自由を得てください。真理はあなたがたを自由にするものです。

A 「古い人」と「新しい人」という二つの人生の物語
これは私という人間の姿がどのようなものかを描いている物語です。
母から生まれた時から始まった古い物語と、みことばと聖霊によって生まれた時から始まった新しい物語からなっています。

●古い人の物語
父と母からの遺伝として、体型、容貌、好み、癖、性格などを受け継いだ人生が始まりました。
家族や周囲の環境に影響を受けて、あらゆる生活習慣や価値観を身に着けてきました。
聖書が古い人と呼んでいる、生まれながらもった肉の性質や人間性などを受け継ぎました。
これらを絵の具とし筆として私は自分の人生の物語を描いてきました。これが私の古い人の物語です。

●新しい人の物語
イエス・キリストに出会い、聖霊と信仰によって新しく生まれ変わった時から新しい人生が始まりました。
聖書の教えや教会の人々の影響を受けて、讃美すること、祈ること、聖書に聴き従うこと、真心から神を礼拝することなどを学び、身に着けてきました。
聖書が新しい人と呼んでいる、聖霊によって支配されたキリストにふさわしい性格や人間性を受け継ぎました。キリストを信じた時から、私はみことばと聖霊による新しい物語を描いてきました。
これは私の新しい人の物語です。
    
パウロは日ごとに古い人に注意して、それを脱ぎ捨てるよう努めることを命じました。さらに、新しい人に関心と親しみを深め、それを身に着けるよう努めることを命じました。そのようにしながら私は毎日自分の物語を描いているのです。

B 「悪魔」と「聖霊」という二人の主人の物語
悪魔は生まれた時から支配されてきた古い主人であり、聖霊は新しく生まれた時から支配されるようになった新しい主人です。私は二人の主人に同時に仕えることはできません。自分の意思で選び、それに従うことを受け入れなければなりません。

●古い主人の物語
古い主人である悪魔は、怒りという感情で私の心を動かして、私自身の生活を支配しようとします。
怒りには、さらに憎しみ、偽り、ねたみという手下どもがいて、昼も夜もそれらが感情を爆発させ、ののしり、叫びたけりながら、レギオンのように自分の心と身体を傷つけています。
古い主人は暗やみを好ましく思い光を嫌います。みことばと聖霊に聞き従うことを嫌い、避けたがります。

●新しい主人の物語
新しい主人である聖霊は、私が古い主人に仕えることを選び、それに支配されてもがき苦しんでいる姿を悲しまれます。この悲しみが私の心を捕らえ、突き動かして、変化するように迫ります。
聖霊は私がキリストのものであることをあかしし、御国を受け継ぐことの保証であられます。聖霊は私のことばと感情と行いをきよめ、新しく造り変えてくださいます。この方にすべての支配をゆだね明け渡しましょう。

C 「再生」と「完成」という二つのプログラムの物語
私が救われた時から神は二つのプログラムを開始されました。ひとつは神のかたちの失われた部分を復元する再生のプログラムです。もうひとつは、キリストの再臨を目指した完成のプログラムです。

●再生プログラム物語
創世記1章27節に

「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」

と書かれています。罪によって、神のかたちである人間性が傷つけられ、失われてしまいました。祈ること、讃美すること、みことばに聞くことはもとより、神を知らないような状態に陥ってしいました。そこから再び神のかたちを復元し再生させるのが救いの目的です。エペソ4章32節にある

「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」

というみことばは、私たちの復元のレベルをあらわすものです。あなた自身で自分の回復レベルを評価し判断してください。

●完成のプログラム
第一コリント13章12節に

「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。」

と書かれています。私たちの究極のゴールはキリストとの再会の時にそれが訪れます。今は鏡にぼんやり映る程度しか分かっていませんが、その時は顔と顔を合わせて見るようにキリストのみ顔がはっきり見えるのです。

結 び)
キリストのみ顔を身近にはっきりと見ることができるのは、私たちにとって非常に嬉しいことです。その時、キリストは私たちの姿をご自分と同じ栄光のからだに変えてくださいます。しかしパウロが、「私が完全に知られている」と書いているところに注目してください。その時キリストは私たちのことをすべて知られるのです。聖霊を悲しませたまま、その時を迎えることがないように。 

メッセージ内容のダウンロード(PDF14.2KB)

新聖歌

開会祈祷後:165番、聖書朗読後:427番、メッセージ後:415番

詩編交読

詩編40:1~6

お知らせ

★今週からメッセージ内容を掲載いたします。PDFによるダウンロードも可能です!
★来週26日の讃美礼拝は、教会員Yさんと、同じ信仰を持つ演奏仲間であるAさんによるフルートの二重奏です。ご期待ください!

#49-2466

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