なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<ルカの福音書 23章26~31節>
牧師:砂山 智
開会聖句
イエス・キリストのことを心に留めていなさい。
<テモテへの手紙第二 2章8節前半>
メッセージ内容
Youtube動画
公開が遅れて申し訳ありません。 メッセージ動画公開:4/19 PM 11:19
メッセージ原稿を公開しました。
・「ルカ」からの五回目です。今日から受難週に入ります。
<本論>
1.クレネ人シモン
最初の36節はクレネ人シモンの記事です。クレネ人とは北アフリカのキレナイカの首都キュレネ(現在のリビアの首都トリポリ?)出身の離散のユダヤ人のことで、当時、キュレネには多くのユダヤ人がいて、コミュニティーを形成していたようです。シモンは、田舎から出て来たとありましたが、それは、過越祭の巡礼のためにエルサレムにやって来たという意味か、或いは、「使徒」6章9節に、当時、エルサレムにはルベルテンと呼ばれる会堂があって、そこにはクレネ人もいたと記されていますので、その一人で、たまたまこの場面に出くわしたのかもしれません。ただ、聖書の登場人物には、シモンのように、その名前が記されている人と、記されていない人がいますが、それもたまたまということなんでしょうか?シモンは、平行記事の「マルコ」にも登場しますが、
『彼(シモン)はアレクサンドロとルフォスの父で』(マル15:12)
と紹介されています。マルコは使徒ペテロの通訳であったと伝わっていますので、彼は恐らく、シモンのこともペテロからの伝聞を基にして書いたのでしょう。そして、ルカも、この福音書の冒頭で、すべてのことを初めから綿密に調べて(取材して)書いたと言っていますので、シモンやその息子たちの名前は、当時の信者の間ではよく知られていたということは間違いないと思います。そして、それは、「ローマ」16章にある、
『主にあって選ばれた人ルフォスによろしく。また彼と私の母によろしく』(ローマ16:13)
というパウロのことばからも伺えます。パウロは、ルフォスの母、つまりシモンの妻に、以前どこかでとてもお世話になったのでしょう。シモンの息子ルフォスは後にローマ教会の中心的なメンバーになったわけですが、そんなことを考えながら、改めて今朝の26節を読み返してみると、たった1節だけの記事なんですけれども、様々な物語が浮かんでくるように感じます。そして、ルカの描くシモンの姿、十字架を背負わされてイエス様の後を歩いて行ったその姿は、イエス様の有名なみことばを思い起こさせます。
『イエスは皆に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい』(ルカ9:23)。
もちろん、今朝の場面では、シモンは自分が経験したことの真の意味を理解していなかったでしょう。否、むしろ、「自分はなんでこんな目に遭わなければならないんだ」と、自分の不運を呪ったかもしれません。イエス様の身代わりに十字架を負って後に従って行く道は、シモン自身にとっても悲しみの道以外の何物でもなかったと思いますが、後には思いもよらない恵みと祝福とが用意されていたのです。イエス様が言われた自分の十字架とは、自ら選び取って背負うものかもしれませんが、今朝のシモンのように、何かの偶然で、或いは、誰かから無理やり背負わされた十字架であっても、そのことを通して主の憐れみ、主の計り知れないご計画を知るということもあるのでしょう。
2. エルサレムの娘たち
そして、27節以降の話ですが、ここには、無残な姿で引かれて行くイエス様の後を嘆き悲しみながらついて行ったという女性の一群が出てきます。ただ、彼女たちは、ガリラヤからずっとイエス様につき従ってきた女性たちではありませんでした。イエス様のことばにあるように、エルサレムの女性たちでした。そして、その涙も、イエス様を憐れむ真実な思いから流れ出た涙ではなかったんです。当時のユダヤでは、葬儀の際に、笛吹とともに、所謂「泣き女」と呼ばれる女性たちが雇われて、死者を弔うために大げさに嘆き悲しんで見せたそうです。それは当時のユダヤの風習でしたが、この場面に登場する女性たちも、そんな女性たちだったと思われます。そして、「水に落ちた犬は打て」と言われるように、彼女たちは、惨めな敗残者のように刑場に引かれて行くイエス様が既に死んだかのように葬列を作り、その後をついて行ったのです。けれども、イエス様は、そんな彼女たちの偽りの涙にさえ、悪意をもって応えるようなことはなさらず、真実なことばをもって応えられました。もしかしたら、そこにはちょっとした皮肉も込められていたのかもしれませんが。
『「エルサレムの娘たち、わたしのために泣いてはいけません。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのために泣きなさい』(ルカ23:28)。
それは、あのバビロン捕囚の時と同じようなエルサレムの終わりが来る、それが近づいているということですね。先週、お話しした『人の子の日』、つまり終末の出来事を予見させるようなことばですが、この預言は、直接的には、この時から数えて約40年後の紀元70年のユダヤ戦争と、その後の紀元135年の第二次ユダヤ戦争と呼ばれるパル・コクバの乱を預言したものと思われます。この二つの戦争でエルサレムはローマ軍によって徹底的に破壊され、文字通り瓦礫の山となってしまうのです。そして、ローマ帝国は、その瓦礫の山の上に新しいローマ様式の植民都市アエリア・カピトリナを築き上げることになります。そう考えると、この受難週の時期に、イエス様が歩いたと言われる悲しみの道(ヴィア・ドロローサ)には、世界中から大勢のキリスト教徒がやって来て混雑するそうですが、実際にイエス様が歩かれた道というのは、はるか下に埋もれていて、その様子も今とは随分と違っていたのでしょう。ちょうど、今の大坂城が豊臣時代の大坂城の瓦礫の上に築かれたものであるように。
3. 生木と枯れ木
そして、最後の31節。
『生木にこのようなことが行われるなら、枯れ木には、いったい何が起こるでしょうか。」』(ルカ23:31)。
これはちょっと難解なみことばですが、恐らく、当時のことわざであったのではないかと推測されています。その意とするところは、生木であるイエス様、そして、それに従う者たちでさえ、このようなさばきに遭うのなら、枯れ木であるエルサレム、或いは、イエス様を断罪した者たちは、どれほどのさばきに遭うだろうか、ということでしょう。生木は燃えにくいので、それを薪にするというのは理屈に合わないことです。燃えやすい枯れ木を薪にしてこそ、理に適っていると言えます。イエス様は、神のみこころに従って生きてきたこの自分でさえ、このような理不尽な目に遭うのだから、ましてあなたがたも同じような目に遭わないだろうか、と預言されたというか、覚悟するようにと言われたのでしょう。かつて弟子たちに向かって、
『世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました』(ヨハ16:33)
と言われたように。
<結論>
『愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」』(ローマ12:19)。
パウロはその後で次のように言っています。
今朝の開会聖句は、パウロが殉教の死を前にして、若い弟子のテモテに書き送ったことばです。
『イエス・キリストのことを心に留めていなさい』(Ⅱテモ2:8a)。
私たちはよく、自分は正当な扱いを、報いを受けていないとか、なんで自分だけが、と不満に思ったり、思い煩ったりしますが、神のひとり子であるイエス様でさえ、そんな目に遭われたのだから、ある意味、私たちにもそういうことがあるというのは当然のことなんですね。最後に、この後でパウロが引用した初代教会の讃美歌と思われるみことばをお読みして、今朝のメッセージを閉じたいと思います。
『次のことばは真実です。「私たちが、キリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きるようになる。耐え忍んでいるなら、キリストとともに王となる。キリストを否むなら、キリストもまた、私たちを否まれる。私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」』(同2:11~13)。
会衆讃美
開会祈祷後:新聖歌102番、メッセージ後:新聖歌112番
聖書交読
詩編116篇 1~19節
2025年教会行事
4月16日(水) オリーブ・いきいき百歳体操 (10時~11時)
#57-2968