神の時を思う

令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

メッセージ

<伝道者の書 3章11~13節>
メノナイトブレザレン教団 牧師:竹田 満

開会聖句

空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。

<伝道者の書 1章2節>

メッセージ内容

Youtube動画


 
公開が遅れて申し訳ありません。 メッセージ動画公開:10/31 PM 8:22



礼拝メッセージの要約を公開しました。

1.人生は謎めいている

伝道者の書で特徴的な語である空(ヘベル)とは「謎めいた」という意味であり、元来、息や霧、蒸気といったものを指し、擬音語に由来するとも言われている。その意味合いは「存在しないのではないが、捉え難いもの」である。日本語で空と訳されてはいるが、空っぽ、何もないということを示しているわけではない。先に述べたような蒸気を思い浮かべると考えやすい。蒸気は日常生活において一見何もないような印象を与えるが、もちろん実体がある。一方、実体は確かにあるが、通常、手で掴むことはできない。ここでは「空の空」と重ねることで、すべてのことは全くもって謎めいていることが強調されている。

2.本当に「ふさわしい」のだろうか?

そうした文脈の中にある11節前半の直訳は「全てを神はその時において美しくなした」である。「美しい」という語は、美的判断というよりはむしろ「ふさわしい」「適切な」時ということにその意味合いがある。すべてのことには神の時があるが、それは人の時でないばかりでなく、人は神の時を厳密には見出すことはできない。その上で、神の時の中で、食べたり、飲んだり、働いたりする時を得ることは、2:24,25や3:12.13にあるように、肯定的な神の贈り物と見なされている。

3.神の時を思う

被造物にもたらされている「時」は、物事や活動にふさわしい時があるようにと、神によって維持されている(人によってではなく)。今回の箇所は、時間に対する二つの視点を提示している。一方は神の時を見分けることができないということ、他方は、その中で神の時を喜び、その中で食べ、飲み、労働を喜び楽しむことである。時間を司る主(あるじ)は人間ではなく、神である。人間は時間の中で生きているが、時間を支配することはできない。時間という観点から神の主権を思わされる。人間の理性、経験、観察では、神の時を理解することはできない。それでも、いやだからこそ、神の時の中で、神と共に人と共に生きる今の現実を地に足つけて生きるのである。

メッセージ要約のダウンロード(PDF78KB)

新聖歌

開会祈祷後:303番、メッセージ後:330番

聖書交読

詩編90篇 1~12節

2024年教会行事

10月30日(水) オリーブいきいき百歳体操 10時~11時
11月3日(日) 「地図で学ぶ聖書の歴史」(ポール・ローレンス著)学び会 2回目 礼拝後~

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