平安があるように

令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

メッセージ

<ヨハネの福音書 20章19~23節>
MB寝屋川キリスト教会牧師:大山 明

開会聖句

イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」

<ヨハネの福音書 20章21節>

メッセージ内容

Youtube動画

 メッセージ動画公開:10/20 PM 7:01
今回はメッセージ動画が2本に分かれています。上の動画から順にご覧ください。
なお、都合により、一部の区間を編集しております。ご了承ください。


礼拝メッセージの要約を公開しました。

恐れから平安へ(20:19, 20)

今回の聖書箇所には、イエスが十字架にかかって葬られた後の弟子たちの様子が記されています。この時弟子たちは「ユダヤ人を恐れていた」とあります。イエスのように自分たちも捕まると恐れていたのかもしれません。それなら集まらない方が良いはずですが、彼らが集まったのは、その日の朝イエスがよみがえったという知らせがあったからでしょう。
そんな弟子たちの前にイエスが突然現れたのです。イエスの肉体は見た目には以前と同じで、十字架で釘与けにされた手と槍で刺された脇腹の傷跡も残っていました。しかし鍵がかかった部屋に入ってきたわけですから、それまでとは異なる肉体であったのも事実です。その時イエスは弟子たちにこう言いました。「平安があなたがたにあるように」
この言葉は「シャローム・アレイヘム」というイスラエルの日常の挨拶です。しかしこの時の弟子たちにとっては挨拶以上の意味がありました。イエスが確かによみがえって自分たちの前にいたからです。それはイエスとの関係の回復の時でもありました。
なぜなら弟子たちはイエスが逮捕されたとき、イエスを置いて逃げたからです。イエスを裏切ったという思い、果たされなかったイスラエル独立の夢、そんな挫折と失望を感じていた弟子たちに対して、イエスは「平安があるように」と言葉をかけられたのです。それは恐れを感じていた弟子たちの心を和らげ、「お前たちのことを分かっている。受け入れている」という愛に満ちた慰めの言葉でもありました。

2.イエスによる召命と派遣(20:21-23)
同時にイエスは弟子たちに新しい使命を授けます。イエスは自分が父なる神から遣わされたように弟子たちを遣わすと言われました。神であるお方が人のたように人の姿を取ってこの世に来られ、神の救いのご計画を示されました。同じように今度はイエスが示した救いのご計画を広く伝えるために、イエスが弟子たちを遣わそうとされたのです。
聖霊に満たされた共同体(教会)が神の救いのご計画を伝え、人々に罪の赦しと和解をもたらすのです。そして弟子たちが伝える使信を受け入れない者は神の赦しと和解を失います。つまりイエスは、遣わされた弟子たちがこれから成し遂げようとすることを告げたのです。
そのために彼らは聖霊を受ける必要がありました。聖霊が降るペンテコステはこの時から約50日後ですが、この時の弟子たちはイエスがなそうとしたことや神の救いのご計画を十分に理解できたわけではありません。しかしイエスは神の救いのご計画のために、未熟な弟子たちを召して、遣わそうとされたのです。

3.神のシャロームを分かち合う共同体

私たちは大きく変わっていく環境の中で、もどかしさや不安、恐れを感じています。そんな私たちにイエスは「平安があなたがたにあるように」と言われます。イエスは私たちの痛みや苦しみを知り、ともに担ってくださるお方です。イエスがともにいてくださることを知るとき、私たちは神の平安(シャローム)を得るのです。
イエスは最後の晩餐の時に弟子たちに「わたしの平安を与える」と約束しました(ヨハネ 14:27)。この時はイエスが十字架にかかる前で、弟子たちは直後に起こることを何も知りませんでした。しかしイエスは全てを知っていて、この時から弟子たちを励ましていたのです。「あなたがたに平安を与える。わたしが与える平安は世が与えるものとは違うのだ」と。
私たちは不安や恐れを感じるとき、逃げようとしたり別のことで気を紛らわせたりしようとします。また辛い事実を前にすると「神がいるならどうしてこんなことが起きるのだろう」と思います。しかし神は辛い事実を消し去るのではなく、痛みや悲しみを感じている私たちに寄り添ってくださるお方であることを心に留めてください。イエスはそんな私たちとともにいて、ご自身の平安を与えると約束してくださったのです。
またこの言葉の直前にイエスは助け主である聖霊について語っていました(14:26)。助け主である聖霊を受けるとき、聖霊が私たちにイエスの存在そのもの、そしてイエスのことば、教えを思い出させてくれます。それが平安を得る秘訣です。私たちが聖書のみことばを学び、それを自分のものとするときに、イエスご自身がともにいてくださることを体験し、世が与えるのとは違う平安を得ることができるのです。
だから復活したイエスが「平安があなたがたにあるように」と言われた後に、弟子たちに「聖霊を受けなさい」と言われたのです。神の平安を得るために聖霊に満たされる必要がありました。そして聖霊を受けた弟子たちに「神の赦し」を宣言しなさいと命じられました。
私たちも神の赦しと和解をもたらすために遣わされています。それが神の平安(シャローム)をこの世に実現する宣教の働きです。福音は人を変え、社会を変えます。福音が広まれば、傷ついた人が癒やされ、壊れた関係が修復され、不安で満ちた心に平安がもたらされるのです。福音宣教とは教会の維持や成長のためではなく、神の愛と平安をこの世にもたらす働きです。
私たちもイエスのように、悲しみや痛みを覚え、恐れや不安を感じている人たちに寄り添いましょう。そして神がともにおられること、イエスが平安を与えてくださることを伝え、神の和解の使節となってイエスの死と復活を伝え、神の赦しを宣言するのです。それが教会の使命です。
またシャロームは「平安」だけでなく「平和」という意味もあります。神の支配の元で秩序を保って安定した状態がシャロームです。恐れを感じていた弟子たちが聞いた「シャローム・アレイヘム」というイエスの挨拶は、穏やかな、愛と優しさに満ちたものだったでしょう。同じようにイエスは私たちにも「シャローム・アレイヘム」と語りかけているのです。

メッセージ要約のダウンロード(PDF107KB)

新聖歌

開会祈祷後:247番、メッセージ後:303番

聖書交読

詩編93篇 1~5節

2024年教会行事

10月23日(水) オリーブいきいき百歳体操 10時~11時
11月3日(日) 「地図で学ぶ聖書の歴史」(ポール・ローレンス著)学び会 2回目 礼拝後~

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