寛容と不誠実

令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

メッセージ

<列王記 第2 17章24~33節>
牧師:砂山 智

開会聖句

主はホセアに言われた。「行って、姦淫の女と姦淫の子らを引き取れ。この国は主に背を向け、淫行にふけっているからだ。」

<ホセア書 1章2節後半>

メッセージ内容

Youtube動画


動画公開をいましばらくお待ちください。

 
 

 メッセージ原稿を公開しました。  

<序論>
・今朝の「Ⅱ列王記」17章冒頭には北イスラエル滅亡の記事があります。

『ユダの王アハズの第十二年に、エラの子ホセアがサマリアでイスラエルの王となり、九年間、王であった。彼は主の目に悪であることを行ったが、彼以前のイスラエルの王たちのようではなかった。アッシリアの王シャルマネセルが攻め上って来た。そのとき、ホセアは彼に服従して、貢ぎ物を納めた。しかし、アッシリアの王はホセアの謀反に気がついた。ホセアがエジプトの王ソに使者たちを遣わし、アッシリアの王には年々の貢ぎ物を納めなかったからである。そこで、アッシリアの王は彼を捕らえて牢獄につないだ。アッシリアの王はこの国全土に攻め上り、サマリアに攻め上って、三年間これを包囲した。ホセアの第九年に、アッシリアの王はサマリアを取り、イスラエル人をアッシリアに捕らえ移し、彼らをハラフと、ゴザンの川ハボルのほとり、またメディアの町々に住まわせた。』(Ⅱ列王17:1~6)。

「地図で学ぶ聖書の歴史」(ポール・ローレンス著・いのちのことば社)では次のように解説されていました。

「イスラエル最後の王ホセアは結局、アッシリアにとって信頼できる同盟者ではなかった。彼はエジプトの王ソに助けを求め、反乱を起こした。アッシリアの王シャルマネセル五世はホセアを捕らえ、サマリアを包囲した。3年間の包囲の後、紀元前722年の晩夏から初秋にサマリアは陥落した。シャルマヌセル五世は勝利を長く楽しむことはなく、12月に死んだ。新しいアッシリアの王、簒奪者サルゴン二世は、その治世の初めの内紛を隠すことに努め、また治世の初年にこの都を占領したと主張した。「Ⅱ列王」17章6節によると、イスラエル人を捕らえてアッシリアに移住させた「アッシリアの王」は、簒奪者サルゴン二世であったようだ。」
ii 「地図で学ぶ聖書の歴史」ポール・ローレンス著(いのちのことば社)P88

<本論>
1.失われた10部族

今、ご紹介した通り、祖国が滅びた北イスラエルの民は捕囚となってアッシリアの支配下にあった、ハラフ、ハボル川のゴザン、メディアの町々に移住させられます。
聖書はその人数を記録していませんが、サルゴン二世は自身の年代記で、それは27,290人であったと記しており、そのほとんどは北イスラエルで指導的立場にあった人たちと考えられています。ただし、それは当時の全人口の20分の1程度であっただろうと言われていますので、廃墟となったサマリアの町には多くの貧しい一般民衆が取り残されたわけです。サルゴン二世は、そのサマリアに自分の支配下にある国々から多くの異民族を入植させ、イスラエル人の混血化を進めてゆきます。これは、敗戦国を支配するための交換政策と呼ばれていますが、強制移住させた異民族をイスラエル人と結婚させることによって、イスラエルの民族としての独自性(アイデンティティ)と血縁的つながりを失わせ、自分たちへの抵抗の芽を完全に摘み取ろうとしたのです。このようなことは、歴史上、何度も繰り返されてきましたし、現代でも行われています。ボスニアやチベットにおいて、或いはミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャに対する民族浄化など。このアッシリアの政策によって、北イスラエルは「失われた10部族」と呼ばれるようになるのです。そして、これから150年ほど後に、南ユダの国もバビロンによって滅ぼされてしまうことになります。ただ、南ユダの場合には、様々な要因によって、それは神のみこころであったわけですが、かろうじて民族としての、神の民としてのアイデンティティを失わずに済んだので、国を再建することができたんですね。

2.信じるとは

今朝の17章24節以下には、その「失われた10部族」、或いは「サマリア人」と呼んだ方がいいかもしれませんが、彼らが、混在信仰と言うか、多神教的な信仰に陥ってしまったことが書かれていました。
日本には、昔から「郷に入れば郷に従え」とか「長い物には巻かれろ」という諺がありますが、これは、古今東西、そんなに変わりはないようです(「ローマではローマ人のようになせ」)。それは、少数者や新参者、被支配者が生きていくための知恵であり戦略でもあると思うのですが、それと同時に、私たち日本人のメンタリティに根強くある「ご利益信仰」ということも思わされます。それは、あっちの神様、こっちの神様、八百万の神々を信仰することこそ、日本人としてのあるべき姿と言うか、むしろ日本人の寛容さを示す美徳であるというような考え方につながります。キリスト教のような一神教は独善的であり、排他的だということですね。
この前の金曜日に教団の牧師会があって、阪急に乗って石橋まで行ってきたんですが、その電車の中で6人ほどの年配のご婦人たちが座っておられて、何か信仰の話をしておられたんです。「私は、キリスト教も、仏教も、神道も、創価学会も、それぞれにいい教えがあると思ってるから、何か一つだけというんじゃなくて、それぞれのいい教えを取り入れて、自分の生きる上での糧にしてるんです」みたいな。私は、その方の話を目の前で聞いていたのですが、本当に日本人にはそんな考え方の人が多いんだろうなぁ、と改めて思わされました。
榎本先生の本に次のような一文がありました。

「私たちが神を信じるとは、神を利用しようとすることではない。神との交わりの中に生かされることであり、神との人格的な関係に入れられることである。そのときにかけがえのない者として私たちが神に迎えられていることを知ることができるのである。信仰生活のすばらしさはここにある。」
iiii 「旧約聖書一日一生」榎本保朗著(主婦の友社)P358

<結論>

今、神を信じるとは、神との人格的な関係に入れられることである、とありましたが、聖書は、神と私たちとの関係を特別な人格的関係、例えば父と子の関係になぞらえて教えてくれています。そして、時に、夫婦の関係になぞらえて教えている所もあるんです。その代表的な箇所が今朝の開会聖句です。このホセアとは、冒頭でご紹介した北イスラエル最後の王ホセアではなく、預言者のホセアのことです。預言者ホセアは紀元前700年代中頃に活躍した人で、ちょうど今朝の時代背景と重なります。彼は本当にとんでもないことを神から命じられます。

『主はホセアに言われた。「行って、姦淫の女と姦淫の子らを引き取れ。この国は主に背を向け、淫行にふけっているからだ。」』(ホセ1:2b)。

これは、神とイスラエルとの関係を夫婦の関係になぞらえた啓示、みことばだと考えられています。それが実際の話であったかどうかについては様々な解釈がありますが、この姦淫の女と呼ばれるホセアの妻の姿こそ、北イスラエル、サマリア人の姿だと、主は言っておられるのです。夫婦の関係において一番大切なこと。それは誠実ということではないでしょうか。互いに相手を裏切らないという。結婚式でそのように誓約しますよね。そのことと、私たちが寛容であらねばならないということとは、全く別のことです。聖書は、神と人との関係というのは、そういう特別な人格的な関係でなければならない、と言っているのです。否、もっと言えば、私たち人間は、元々そのような存在として造られたのですが、罪が入ったことでそれが失われてしまった。その失われた特別な関係性を回復させるために来てくださったのがイエス様なんですね。
そして最後にもう一つ、聖書は大切なことを教えてくれています。

『私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである』(Ⅱテモテ2:13)。

私たちの希望は常に真実な方であるイエス・キリストにあります。このキリストに信頼して、今週も歩んで行きましょう。

メッセージ原稿のダウンロード(PDF104KB)

会衆讃美

開会祈祷後:新聖歌102番、メッセージ後:新聖歌205番

聖書交読

詩編91篇 1~7節

2024年教会行事

10月9日(水) 都合によりお休みとなります。

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