苦難の中で

    令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
    なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

    メッセージ

    <ヨブ記 1章1~10節>
    牧師:砂山 智

    開会聖句

    そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」

    <ヨブ記 1章21節>

    メッセージ内容

    Youtube動画

     公開が大変遅れて申し訳ありません。
    メッセージ動画公開:11/11 PM 10:15


    メッセージ原稿を公開しました。  

    <序論>  
    ・「ヨブ記」はヨブが経験した苦難の物語で、今の私たちに大切な人生の教訓を教えてくれる「知恵文学」として世界中で愛読されています。榎本先生の「旧約聖書一日一章」の「ヨブ記」の概説には次のように書かれていました。

    「このヨブ記ほど後世に大きな影響を与えた書はない。特に文学や哲学の分野においての影響ははかり知れない。それはこの書が「神義論」を取り扱っているからである。この問題は常に人類にとって大きな問題であり、ヨブの悩みはまたいつの時代にも人間の持つ悩みである。」

    <本論>
    1.天上界の出来事

    今の榎本先生の概説に出てきた「神義論」とは「弁神論」とも呼ばれますが、この世界を創造された神は全能で善なる方であるにもかかわらず、なぜ世界には悪というものが存在するのかという矛盾を解明しようとする学問(神学・哲学)です。また、その問いは、仏教でいうところの「因果応報」という法則は果たして真実なのだろうか?つまり、善行を積めば善いことがあり、悪行を重ねれば悪いことがあるというのは、必然と言えるのだろうか?という問いともつながっているのですが、その答えは、皆さんもよくお分かりのように、そういう場合もあれば、そうでない場合もある、ということでしょう。なぜなら、戦争、自然災害、犯罪被害、病気。この世界には、自分の責任ではないことで苦しんでいる方々が大勢おられるからです。
    実は、私は、この「ヨブ記」には忘れられない思い出がありまして、それは、私が高校生の時、初めて参加した教団の高校生キャンプで、この「ヨブ記」1~2章を題材にして寸劇(スキット)をやらされたという思い出なんです。まだ、「ヨブ記」なんか全く読んだこともなかったのですが…。そして、私がやらされたのは、なんとサタンの役だったんです!先程、読んでいただいた2節にあった「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました」という台詞を、今でもよく覚えています。そして、その時は本当に訳も分からずと言うか、正直、何も感じなかったのですが、後から改めて考えてみて思ったことは、これは、なんという、いかれた話と言うか、奇妙奇天烈な物語だなということでした。まぁ、天上界の出来事とはいえ、神とサタンとが気まぐれで、ヨブを実験台にして面白がっている、そんな風にも読めてしまいますよね。それはしかし、ある意味、私たちの人生で起こってくる様々な“悪”や“不孝”と呼べることのほとんどは、私たちが自ら招いたものではない。つまり、先程も申し上げましたように、原因があって結果があるというような「因果応報」ではない、ということを示しているのではないか、とも思えたんです。

    2.主は与え、主は取られる

    さて、この物語の主人公ヨブの人となりについては、1章に簡単な説明があります。1章1節。

    『ウツの地に、その名をヨブという人がいた。この人は誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていた』(ヨブ1:1)。

    ウツというのは、正確な場所は分かっていませんが、恐らくアラビア半島に近いエドム東部、つまりイスラエルからすれば外国であったと考えられています。ということは、ヨブはイスラエル人ではなく、外国人(異邦人)であったということになるのですが、彼は神を恐れ、道徳的・宗教的に正しく、誠実な人であったようです。また、この物語の時代背景もはっきりしません。内容から見て、恐らく族長時代の話であろうと考えられていますが、実際にこの物語が書かれたのは、もっと後の時代になってからのことだろう、と学者の多くは考えているようです。
    ヨブは、家族に恵まれ、多くの財産を持ち、とても満ち足りた暮らしをしていましたが、決して慢心することなく、1章5節にあるように、いつも神に心からのささげ物を献げていました。そんな敬虔なヨブに突然の不幸が襲います。外敵や天災によって、あっという間に息子や娘たち、そして全財産を失い、今朝の2章では、さらに自分自身が、全身を悪性の腫物で打たれるという重い病にかかってしまうのです。まさに「泣き面に蜂」「弱り目に祟り目」ですよね。2章6節に、彼が土器のかけらでからだを引っかき、灰の中に座っていたとあったのは、その病による痛みがどれほど激しかったかを表しているように思えます。そんなヨブに妻は言います。9節。

    『「あなたは、これでもなお、自分の誠実さを堅く保とうとしているのですか。神を呪って死になさい。」』(同2:9)。

    これは何度読んでも、なんと思いやりのない非情なことばかと思うのですが、ただ、考えてみれば、この理不尽な出来事にもだえ苦しんでいたのは、ヨブだけではなかったでしょう。彼女もまた、ヨブの妻として、夫とともに大きな苦しみと悲しみ、無力感を味わっていたのではないかと思います。夫婦・家族とはそういうものですよね。そう考えると、このことばは、何か第三者的に、冷たくヨブを嘲ることばというよりも、彼女自身の魂の奥底から絞り出した叫びのようなことばではなかったか、とも思うのです。そんな妻にヨブは答えます。

    『「あなたは、どこかの愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」』(同2:10)。

    幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべき。このことばは、今朝の開会聖句の1章のことばと重なります。

    「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(同1:21)。

    <結論>
    このヨブのことばを通して信仰に導かれた方がおられます。横田早紀江さんという方です。北朝鮮による拉致被害者の一人である横田めぐみさんのお母さんですね。早紀江さんは、クリスチャンの友人が勧めてくれた「ヨブ記」のこのみことばを読んだ時のことを次のように述べておられました。

    「めぐみが煙のように消えてから悲しく、苦しい日々を過ごしていた私はある日、旧約聖書の一節に目が吸い込まれた。雪が舞う季節が始まるころだったろうか。娘が失踪後に友人から贈られ、しばらく机に置いていた聖書を初めて手にした。小さな字で埋められた分厚い本など読めるのかしらと不安だったが、友人が薦めてくれたヨブ記から読み始めた。
    「主は与え、主は取られる」。たったこれだけの短い一文が胸に響いた。人の生や死は必然だが、世の中の喜びも悲しみも苦しみも全てを包み込む人知を超えた神が定める運命の深遠さを感じた。信仰深く「義の人」といわれたヨブが、財産や家族を失うなど数々の試練に向き合う姿が自分と重なったのかもしれない。」(毎日新聞より掲載)

    横田早紀江さんの苦難は今も続いています。それがどれほどのものであるか。私なんかには想像もつかないことですが、早紀江さんのことを思った時、ふと、ヴィクトール・フランクルが書いた「夜と霧」という本の中の一節が浮かんできました。

    「強制収容所にいたことのある者なら、点呼場や居住棟のあいだで、通りすがりに思いやりのある言葉をかけ、なけなしのパンを譲っていた人々について、いくらでも語れるのではないだろうか。そんな人は、たとえほんのひと握りだったにせよ、人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない、実際そのような例はあったということを証明するには充分だ」。

    苦難の中にあって、それでもなお、どう生きるのか。その人間としての最後の自由だけは、誰も奪うことはできない。今朝のヨブの姿も、そのことを示してくれているのかもしれません。

    メッセージ内容のダウンロード(PDF110KB)

    新聖歌

    開会祈祷後:474番、メッセージ後:442番

    聖書交読

    詩編27篇 1~6節

    2023年教会行事

    11月8日(水)  オリーブいきいき百歳体操 10~11時

    #55-2893

Comments are closed