なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<列王記 第一 12章19~30節>
牧師:砂山 智
開会聖句
その女はエリヤに言った。「今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある神のことばが真実であることを知りました。」
<列王記 第一 17章24節>
メッセージ内容
Youtube動画
公開が大変遅れて申し訳ありません。
メッセージ動画公開:10/14 PM 6:25
メッセージ原稿を公開しました。
<序論>
・「Ⅰ列王記」からの4回目です。今週と来週の説教ではエリヤを取り上げます。2年ほど前に枚方教会の中村宣子師が来てくださり、同じ17章から「あなたの神、主は生きておられますか?」と題してみことばを取り次いでくださいました。先程、お読みしたように、エリヤは17章冒頭で、本当にいきなり登場します。その出自についての説明も『ギルアデの住民であるティシュべ人』とあるだけです。そして、その最期、退場する際も、火の馬車に乗って竜巻とともに天に挙げられるという(Ⅱ列王2:11)、何とも派手と言うか、鮮烈と言うか、まるで劇画の主人公のような最期なのですが、今月号の「日々のみことば」の執筆者の方が、そのエリヤのことをとても上手に表現しておられましたので、ご紹介したいと思います。
「北王国で最低最悪のアハブ治世を描くにあたり、王ではなく、預言者エリヤに焦点が当てられています。最も暗い時代だからこそ、最も強い光を、主は用意しておられました。」
1.最低最悪の
この「最も強い光」がエリヤということですが、一方で、「北王国で最低最悪のアハブ治世」とありました。ただ、それは「日々のみことば」の執筆者の評価であって(もちろん聖書の評価もそうなのですが)、皮肉なことに、この世的に見れば、このアハブの時代に北王国は全盛期を迎えます。北イスラエルは南ユダとは異なり、王の血統(王朝)が何度も代わります。初代のヤロブアムの王朝は、たった二代で途絶え、次のバシャ王朝、そして、僅か7日間という超短命なジムリ王朝を経て、軍の長であったオムリが王となります。
『ユダの王アサの第二十七年に、ジムリが七日間ティルツアで王となった。そのとき、兵はペリシテ人のギベドンに対して陣を敷いていた。陣を敷いていたこの兵は、「ジムリが謀反を起こして王を打ち殺した」と言われるのを聞いた。すると、全イスラエルはその日、その陣営で軍の長オムリをイスラエルの王とした。オムリは全イスラエルとともにギベドンから上って来て、ティルツアを包囲した。ジムリは町が攻め取られるのを見ると、王宮の高殿に入り、自ら王宮に火を放って死んだ』(Ⅰ列王16:15~18)。
オムリは旧約聖書以外の文献に最初に登場するへブル人の王だそうですが、彼の王朝は約40年続き、北イスラエルは大いに栄えます。このオムリの息子が、今朝のテキストに出てくるアハブなんです。そして、このオムリ・アハブの時代に、北イスラエルでは、カナン土着の宗教との混交がより一層進みます。16章30、31節には次のように書かれています。
『オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目に悪であることを行った。彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻とし、行ってバアルに仕え、それを拝んだ』(同16:30~31)。
2.主は生きておられる
バアルについては、この後の18章に、エリヤがその預言者たちと対決する有名な場面がありますが、当時のカナンにおいて農耕を左右する雨の神として崇拝されていました。ですから、人々は干ばつになるとバアルに雨ごいをしたのです。まぁ平たく言えば、「商売繁盛」の神ですよね。しかし、今朝の場面で、突如、アハブの前に現れたエリヤが語ったことばは、そのようなご利益信仰、偶像崇拝を真っ向から否定するものでした。
『「私が仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによるのでなければ、ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない。」』(Ⅰ列王17:1b)。
この場面を想像した時、私の脳裏には、何者をも恐れない、自信に満ち溢れたエリヤの顔が浮かんできました。「私が仕えているイスラエルの神、主は生きておられる」ということばは、まるで、あの「水戸黄門」で、助さん、格さんが必ず言う台詞「この紋所が目に入らぬか!」のようだなぁ、と思ったのですが、「水戸黄門」では、その後、悪党どもは一網打尽となって、めでたしめでたし、で終わるんですが、今朝のエリヤの場合には、そんな簡単にはいかなかったんですね。
3.烏とやもめに養われて
『それから、エリヤに次のような主のことばがあった。「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。あなたはその川の水を飲むことになる。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」』(Ⅰ列王17:2~4)。
この命令は、もちろん、アハブからの報復を避けるためであったと思うのですが、これも本当に突然で、この時、エリヤがどう思ったのかということも、聖書は何も語っていません。このケリテ川は、ヨルダン川の東とあるだけで、今日も、その具体的な場所は分かっていないのですが、身を隠せとありましたので、それが人里離れた辺鄙な所であったということは想像がつきます。そんな所に身を隠すこと自体、本当に心細かったと思いますが、「烏が俺を養ってくれるって…?」。それはもちろん、烏がではなく、神がエリヤを養ってくださるということなのですが、もし、自分だったら、色々な理由をつけてケリテ川に行くことを拒んだでしょう。しかし、エリヤは、一言の文句も言わずに主のことばに従います。そうすると、何羽かの烏が、朝に夕に飛んで来て、パンと肉を届け、川から水を飲むことができたんですね。けれども、ほっとしたと思ったのも束の間、やがて川の水が涸れてしまい、たちまちエリヤは命の危機に直面します。人間、食べ物がなかったとしても一週間ぐらいは何とかしのげるかもしれませんが、水はそうはいきません。まして、彼がいたのは、中東イスラエルの荒野ですから。そんなエリヤに向かって、神は再び告げられます。
『「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしはそこの一人のやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」』(同17:9)。
ツァレファテというのは、シドンより南13kmにある、地中海に面した町だそうですが、シドンは、アハブの妻イゼベルの出身地であり、バアル礼拝の中心地でした。そんな外国・異教の地で、これまた異邦人の一人のやもめがこの自分を養ってくれる?この時も、エリヤは神に向かって一言も文句を言っていませんが、ある意味、烏が養ってくれると言われた時以上に心細かったのではないかと思います。
<結論>
そして、この後、有名なツァレファテのやもめの奇跡物語が記されています。長くなりますので読みませんでしたが、私は、そのやもめの女性が、自分の大切な一人息子を生き返らせてくれたエリヤに向かって言ったことばがとても心に残りました。今朝の開会聖句です。
『その女はエリヤに言った。「今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある神のことばが真実であることを知りました。」』(Ⅰ列王17:24)。
この「神の人(ヘブル語で「ガブリエル」)」という呼び名は、エリヤだけでなく、旧約に多くの用例があり、それは預言者を指す場合が多いそうですが、彼女はエリヤをそう呼んだ後、「あなたの口にある神のことばが真実であることを知りました」と告白しました。つまり、エリヤ自身が息子を生き返らせたのではなく、エリヤが語った神のことばが息子を生き返らせた。そのみことばが真実であるがゆえに息子は生き返った、ということだと思います。彼女は異邦人で、貧しいやもめであり、この世的には何一つ注目されるような物など持ってはいませんでした。それどころか、今日、明日の命さえ分からないという日々を送っていた人でした。しかし、彼女は、エリヤが語る神のことばに、この世の何物にも代えがたい真実を、確かさを見出したのです。この前の金曜日の有志早天で、藤野先生が「詩篇」119篇からみことばを取り次いでくださいましたが、
その40節に、『あなたの義のわざにより私を生かしてください』
とあります。あのパウロも、
「ローマ」1章17節で、『福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです』
と言いました。私たちを本当に生かし、立ち上がらせてくれるのは、私自身の義、この私がみことばをしっかり守るとか、守らないとかということではなく、神の義を、神のみことばの真実をどこまで本気になって、ある意味、馬鹿みたいになって信じてゆけるかどうかということではないかと思わされました。そして最後に、そのように、みことばの真実が示されたのは、ケリテ川のような人里離れた寂しい所であり、ツァレファテのような異邦人の住む異教の地であったということも、決して忘れてはならないでしょう。神は、私たちをも、そのような場所に導かれて、みことばの真実を知らしめる方なのです。
新聖歌
開会祈祷後:359番、メッセージ後:394番
聖書交読
詩編23篇 1~6節
2023年教会行事
10月11日(水) オリーブいきいき百歳体操 10~11時
#55-2889
Comments are closed