イエスの励まし

メッセージ

<ヨハネの福音書 14章1節~9節>
信徒:K

開会聖句

あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになります。 今から父を知るのです。いや、あなたがたはすでに父を見たのです。

<ヨハネの福音書 14章7節>

メッセージ内容

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 メッセージ原稿を公開しました。 
 

<はじめに>  
・3月は卒業式の季節です。そして来月は入学式。水曜日の朝に教会にやって来ると、隣の保育園から、大変賑やかな泣き声が聞こえてきます。新入りさんたちが入園するからです。彼らは朝に保護者と登園し、少ししたら親の姿が見えなくなってしまうことを経験します。先に園に到着した子が大泣きしているので、つられるように来る子来る子が泣き出し、しばらく大合唱です。先輩の子たちは、親が必ず迎えに来てくれることがわかっているので、しぶりながらもバイバイできるのですが、新入りの小さな子はそうはいきません。毎年繰り返され光景で、保護者も後ろ髪を引かれる気持ちを振り切って仕事に行くのでしょう。子どもにしたら、親と引き裂かれる辛い時間ですが、保育士さんはニコニコ見ています。今大泣きしている子どもたちが、「必ず迎えに来るよ」という約束を毎日体験することで、親と離れる寂しさや不安に耐えることを学んでいくことを知っていますから。
イエスさま一人が何処かに行ってしまわれ弟子たちだけが残される、ということばに戸惑う弟子たちに、前回は互いに愛し合いなさいという「新しい戒め」を与えられましたが、この14章では、彼らの励ましや希望につながることばが語られます。後半では助け主として聖霊が遣わされる約束や、イエスさまを一度は捨てて逃げてしまう彼らに、「わたしがあなたがたを選んだ」とイエスさま先手の選びが語られます。今日の主題は「イエスさまの励まし」です。2つの聖句に注目し、そこから私たちも今を生きる励ましをいただきたいと思います。

<本論>
Ⅰ.イエスは「また迎えに来る」と励まされた

今日の聖書箇所は、昨年テレビを通じて世界中のたくさんの人が聞いています。9月のエリザベス女王の葬儀で、イギリスの首相によって読まれた箇所だからです。女王自身が用意されたそうで、自分は神さまの召しで女王として長く国家に仕えたが、今ようやくその召しを果たし終え、神であるまことの父の住まいに戻ることになったという女王の証ですね。

2節の「わたしの父の家には住まいがたくさんあります。」

は文語訳では「わが父の家に住み処多し」。このことばを私は父の葬儀の式次第に選びました。それは、以前に「もうひとりにさせない」副題「わが父の家に住み処多し」という本を読んだからです。著者は奥田知志という北九州でホームレス支援をされている牧師です。NHKの番組でも紹介されたので、ご存知の方もおられるかもしれません。野宿をしている人たちに声を掛け、自立支援に繋げていく活動をされてますが、頑なに支援を拒む人もおれば、支援半ばで亡くなる人も多い。奥田さんは、この世界でやむなく居場所を失なってしまい、孤独の中で死んでいく人たちの葬儀も引き受け、活動仲間の人たちと一緒に弔われるのですが、その時の彼の送ることばがこうでした。「○○さん、私はこの世ではあなたの居場所を見つけてあげることができませんでした。しかし、天のお父さまの家には、住まいがたくさんあるので、きっとあなたの居場所もありますよ。」亡くなった方の信仰はわかりませんが、憐れみ深い天の父に亡くなった方を託す思いが詰まった弔辞です。奥田さんは自分の無力を詫び、私たちの憐れみをはるかに超えた天の父に望みをつなぎます。

「わが父の家に住み処多し」。

これは誰にでも慰めになることばだと思います。

昔フリーゼン先生が、「この住む所を指す単語は、皆さんが思っているより広い場所なんですよ。」と言われました。ウサギ小屋に住むと言われる日本人とアメリカ人の広さの感覚は違うんだなあと思い、その住まいをもっと知りたいと思うのですが、この天の住まいについての話はここ2節だけです。

「わたしの父の家には住むところがたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行くと、言ったでしょうか。」

そして

3節「あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」

と続くのですが、「場所の用意が終わったら、また迎えに来る。」ということばは、まるで親が別れ際に、子どもに言って聞かせる「お仕事があるから、それが終わったらまた迎えに来るね。」に似ています。2節も大切なことばですが、どちらかというと、この弟子たちが必要としたことばは、3節の「また迎えに来る。」という約束のことばではないでしょうか。すでに実現した初臨に対して、再臨とか来臨とか言われています。

彼らがもう一度この約束を聞く場面があります。使徒1:11のイエスさまの昇天の場面です。二人の白い衣を着た人が、イエスさまが消えていった天を見上げている弟子たちに

「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天にあげられたこのイエスは、天に上っていくのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」

と言いました。再臨の希望は初代教会の大きな励ましでした。イエスさまがいない弟子集団は、大変厳しい迫害を経験しますが、彼らを支えたのが「また迎えに来る。」という約束でした。

私たちは、イエスさまに会ったことも一緒にいたこともないので、彼らと同じ思いにはならないのですが、でも再臨の約束は私たちにとっても生きる力です。再臨が示していること。 ①イエスさまは歴史の主で、この世の完成のために来られる。②私たちのからだは優れた完全なものに変えられる。③人生は死で終わりでもないし、生きっぱなしでもなく、最後に評価があること。私の人生に意味があったと報われることです。 これらは、神なんかいない、今が楽しければいい、私さえ楽しければいいという世の風潮に逆らって生きることに励ましを与えてくれます。「また迎えに来る」 これがイエスさまの一つ目の励ましです。では、もう一つを見ましょう。

Ⅱ.イエスは「あなたがたはすでに父を見た」と励まされた

今まで彼らは、イエスさまの行く所について行き、イエスさまに言われることを行なっていました。イエスさま中心の生活です。朝目が覚めれば、イエスさまがいて、イエスさまに従って動いていました。ある意味、全部指示待ち状態です。しかしその指示者がいなくなるのです。どんなことになるでしょうか?今、私たちの日常生活に手放せなくなってきているのがスマホです。私の場合はないと連絡に困るぐらいですが、ある人はスケジュール管理に使ってます。手帳より優れていて、忘れていても知らせてくれます。新聞も時刻表も地図も要りません。便利ですが、これがないとどうにもならない時代になってきています。それだけに、もし紛失したり、故障したりしたら、途方にくれるでしょう。それに似ている状況と思います。これからどうする!!
そんな不安な弟子たちに、イエスさまは

4節「わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っています。」

と言われます。しかし、異議ありと一人の弟子が質問します。彼はトマスという弟子で、ヨハネで2回だけ登場するのですが、かなり疑い深い性格です。「イエスさまはそう仰いますが、自分はイエスさまの行き先は分からないし、だから行く道なんてわかりません。」と正直な気持ちを表わしました。それに対しての返事が、

6節「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」

です。これも有名な聖句ですね。父である神を知るのはイエスさまを通してという意味です。今日はその次の

7節「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになります。今から父を知るのです。いや、あなたがたはすでに父を見たのです。」

を開会聖句にしました。それは、このことばが弟子たちの励ましになったのではと思うからです。

知らないということは恐れを生みます。当然です。イエスさまは行き先を「父の家」と言ったのですが、トマスは何も知らないと、冷静ではありません。それでイエスさまはこう言われました。「あなたは父のことを知らないと言うけれど、実は父のことをもうすでによく知っているのだよ。わたしを知ったことは父を知ったこと。わたしを見たことは父を見たこと。わたしと父は一つだ。」という事実に気づかせようとされます。彼らはもうすぐ今までとは全く違う状況におかれます。しかし、継続するもの、変わらないものがあると。それは父とイエスと弟子たちの関係です。イエスさまのことばもわざも、どれもが父のものでした。その親しい関係に彼らもすでに入れられていることを知ってほしいのです。だからこそ、「今から、父を知る。いや、あなたがたはすでに父を見た。」と最後に言い直されました。「すでに父を見た。」それが、2つめの励ましのことばです。

<終りに>

「また迎えに来る」「すでに父を見た」の2つに注目してきました。私たちには、卒業や入学はありませんが、新しい環境に入れられたり、新しい状況が始まることはあります。それには恐れや不安が伴うこともあるでしょう。でも、イエスさまの励ましが支えになりますように。やがてイエスさまにお会いする日まで、私たちは今までもこれからも、神さまとの交わりの中で生かされていく、その現実に目をとめていきましょう。

メッセージ内容のダウンロード(PDF225KB)

新聖歌

開会祈祷後:20番、メッセージ後:249番

聖書交読

詩編140篇 1~13節

2023年教会行事

3月15日(水)オリーブいきいき百歳体操(10時~11時)

#55-2859

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