皆の益のために

北部地区牧師巡回講壇交換

メノナイトブレザレン教団の教会のうち、大阪府北部地区の教会が共に手を携えて、全ての教会をサポートし合う活動として行っており、今回は枚方キリスト牧師の中村 新造先生をお迎えしました。当千里キリスト教会牧師は、寝屋川教会でご奉仕をいたします。

メッセージ

<コリント人への手紙 第一 12章4~11節>
メッセージ:MB枚方キリスト牧師:中村 新造

開会聖句

あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。

<コリント人への手紙 第一 12章27節>

メッセージ内容

Youtube動画

 メッセージ動画公開:7/17 PM 2:17 


メッセージ原稿を公開しました。家庭での礼拝に用いてください。 

中村新造牧師1.キリストと「からだ」(12―26)
1‐3節:キリストの身体である教会は、ご聖霊の働かれるところであって、そこでは「イエスは主です」という告白がある。
4節以降:そして更に御霊は、教会というキリストの身体に賜物をお与えになったということが書かれている。今朝はその部分、賜物についての内容になる。

<本論>
●賜物は、教会に与えられている
賜物は教会に与えられている。大きく見れば、私たち一人一人の存在も賜物(ギフト)になる。賜物とは神の祝福であるため、一人ひとりは教会になくてはならない祝福だと分かる。それが聖書の伝えている視点である。ですから、そのように互いのことを見ていく必要がある。
私たち個々に与えられた賜物もある。つまり、能力とか、持ち味とか、技能とか、そのような人とは違う部分になる。パウロはコリントの教会がそれらを間違った用い方をしていたため、その間違いを指摘した。パウロが教会の本質として伝えた大切な教えは、7節「皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられています。」という言葉にある。特に「皆のために」、すなわち、賜物は、キリストの身体である教会のために与えられた祝福だと教えた。

  
●賜物は、違っている
8節から10節には賜物のリストが挙げられている。これが全てではなくて一部になる。キリストの身体には本当にたくさんの賜物があって、その働きを必要としている。賜物は必ず与えられている。一つ以上は必ず与えられているというのが聖書の教になる。
私たちに与えられている賜物は、顔が違っているのと同じように、違いがある。その違いが、キリストの身体を建て上げていく、皆の益のために仕えていくという、その目的に一致して用いられていく時に、私たちキリストの身体である教会は、互いに愛を増していき、この世に対してもイエス様が言われたように、互いに愛し合う群れとして、イエス様を証ししている教会と更になっていくことになる。
賜物は色々あるが、その目的は皆の益となるために用いられる。つまり教会の益となるために与えられた。ですから、自分のためではなくて、キリストの身体である教会が励まされ、教会が強められていくために、神が皆さんに与えられたものになる。受けるより与える幸いを教えている。

●賜物は、みこころに基づいている
11節「同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。」
賜物は、みこころのままに与えられている。すなわち賜物は、完全に神の意志、選びによって与えられているのである。ですからそれを信仰を持って用いていく時、キリストの身体である教会にとって、必ず益とされていくのである。神が私たちに与えて下さる賜物は、瞬時にその働きを発揮する場合と、ある程度の期間、訓練されて発揮される場合とがあると言われる。また賜物はその必要がなくなった場合には、すたれていくと書かれている。全ては、賜物を与えられる、神のみこころに基づいている。

結論
皆のために、キリストの身体である教会の益のために、賜物によってこれからも仕えていきましょう。

メッセージ内容のダウンロード(PDF39KB)

新聖歌

開会祈祷後:110番、メッセージ後:361番

聖書交読

詩編107篇 1~16節

2022年教会行事

7月29日(水)オリーブ・いきいき百歳体操(10時~11時)

#54-2825

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