パリサイ人にまさる義

メッセージ

<ヨハネの福音書 4章1~14節>
メッセージ:牧師:砂山 智

開会聖句

わたしはあなたがたに言います。あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。

<マタイの福音書 5章20節>

メッセージ内容

Youtube動画

 

動画公開が遅れて申し訳ありません。 メッセージ動画公開:1/10 AM 0:04 


メッセージ原稿を公開しました。家庭での礼拝に用いてください。 
 
<序論>  

・「ヨハネの福音書」の特徴の一つは、3章にあるニコデモの記事や、今朝のサマリアの女もそうですが、イエス様との個人的対話の記事が多いということです。そして、そのどれもが、とても興味深く、読む私たちに大切な示唆を与えてくれます。

<本論>
1、サマリアを通って

今朝の箇所の最初の方、3節に、イエス様はユダヤを去って、再びガリラヤに向かわれたとありましたが、それは恐らく、パリサイ人との衝突を避けるためであったと思われます。1章の19節以降に、パリサイ人から遣わされた祭司やレビ人たちが、あのバプテスマのヨハネをしつこく問い質している様子が描かれています。それは、多くのユダヤ人が彼を熱狂的に迎え、バプテスマを授けられているのを見て、これをこのまま放置しておくと自分たちの立場が危うくなるという強い危機感を彼らが抱いたからだと思います。この後、『あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません』(ヨハネ3:30)というバプテスマのヨハネのことば通りに、民衆の支持は次第にヨハネからイエス様へと移って行きます。つまり、イエス様の方がより多くの弟子を作って、その弟子たちが、より多くの人々にバプテスマを授けるようになるのですが、そのことも、やはりパリサイ人にとっては看過できないことでした。それでイエス様は、彼らとの無用な衝突を避けるため、ユダヤを去って、ご自分の故郷であるガリラヤに向かわれたのでしょう。この、言わばユダヤからガリラヤまでの逃避行について、気になることばがあります。

『しかし、サマリアを通って行かなければならなかった』(同4:4)。

当時、ユダヤ人の多くは、南のユダヤから北のガリラヤに行く場合には、その間にあるサマリアを通ることを避け、わざわざ遠回りしてヨルダン渓谷沿いの険しい道を通ったそうです。それは、今朝の9節にあったように、ユダヤ人はサマリア人と付き合いをしなかった。サマリア人が異邦人との混血の人たちであるということで、毛嫌いしていたからですね。しかし、今朝の場面で、著者であるヨハネは、イエス様が、サマリアを通って行かなければならなかった、とあえて書き残しているのです。それは何故でしょうか?残念ながら、その理由は記されていないのですが、イエス様は急いでおられたので、最短コースを選ばれたのでしょうか?或いは、イエス様には、ユダヤ人のような人種的偏見、サマリア人に対する差別意識はなかったので、何も気にせずにそのようにされたのでしょうか?そのどちらもあったかもしれませんが、私は、やはりイエス様は、今朝のサマリアの女1人に会うために、あえてサマリアを通って行かれたのではないかと思うんです。6節には、このサマリアの女が水を汲みに来たのは第六の時であったと記され、脚注に※正午ごろとあります。今の日本では水道の蛇口をひねればきれいな水が流れてきますので、余り実感が湧かないのですが、日常的に水を汲むというのは重労働です。特に、パレスチナのような地域では、そんな仕事は朝と夕の比較的涼しい時間帯に行うのが普通でした。しかし、彼女は、正午ごろに水を汲みに来たのです。それは恐らく、誰とも顔を合わせたくなかったからではないでしょうか。少し後のイエス様のことばを見ると、彼女は過去に、5回も結婚と離婚(その中には死別もあったかもしれませんが)を繰り返し、今はまた、夫ではない男性と暮らしていたようです。「魔性の女」ということばを思い出してしまいましたが、当時のユダヤでは、離婚は、よほどのことがない限り罪とされていました。彼女は「身持ちの悪い女」「罪人」と、周りの人たちから見られていたと思います。そんなことを考えていたら、あの有名なイエス様のたとえ話が浮かんできました。それは、「マタイ」と「ルカ」に出てくる、迷える1匹の羊を探す羊飼いの話です。99匹の羊を山に残して、迷い出た1匹の羊を探し回る羊飼いの姿。それはまさに、サマリアの女のために、あえて、サマリアを通って行かれたイエス様の姿と重なります。

2、ニコデモとサマリアの女

もう、ずいぶん前になりますが、ある年の教団協議会の冒頭にロブ・ペナーという宣教師から、とても印象に残るメッセージを聞きました。彼は、当時、東アジア地域での宣教をバックアップするため、カナダのMBから派遣されていた宣教師でした。その頃、彼は香港に住んでおり、そこから中国の北京を度々訪れ、そこで宣教支援のような働きをしておられたそうです。そんな経験から、ロブ師は、「ヨハネ」3章に出てくるニコデモと、今朝の4章のサマリアの女を対比させ、ニコデモを我々日本人に、そして、サマリアの女を中国人になぞらえて話をされたんです。ニコデモはユダヤ人の指導者でパリサイ人でした。彼は何よりも律法を重んじる宗教的で真面目な人でした。それに対して、サマリアの女は、今も、お話ししましたように、律法とは全く無縁と言いますか、言わば不道徳な女性でした。ニコデモは、夜、こっそりとイエス様を訪ねます。そのニコデモに対して、イエス様は、

「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」(ヨハネ3:3b)

と言われました。しかし、サマリアの女に対しては、真っ昼間に、イエス様のほうから声をかけ、

「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことはありません」(同4:14)、

つまり、「わたしが与える生ける水を飲みなさい」と言われたのです。そして、その出来事を通して、多くのサマリア人が信仰へと導かれました。私も含めて、そのメッセージを聞いた人たちは色々なことを感じたと思います。そのメッセージの後で、ある牧師が祈られたんですが、その牧師は祈りの中で次のように言われました。「確かに、私たち日本人は、表面的には礼儀正しく、倫理的に見えるのかもしれませんが…」。私も、その牧師と同じ思いでした。しかし、カナダ人で、中国で伝道していたロブ師には、そのように映るんだろうな、と。そして、その根底には、日本人特有の「本音と建前」のようなものがあるのではないかということも、改めて思わされたんですね。昨年、礼拝で証してくれた大野兄が、日本における宣教では、日本人に特有の「名誉と恥」という価値観を理解することが大切だ、という話をしてくださいましたが、自己主張が強く、共産主義でありながら拝金主義の影響が強いという中国人に対して、良い意味でも悪い意味でも、ありのままの自分をさらけ出すことを恥じる日本人と言いますか、そのようなものが日本での宣教を難しいものにしているのかもしれません。

<結論>

そして、それはもちろん、私たち、日本の教会、日本人クリスチャンにも言えることだと思うんですね。それは時として、二重生活のような信仰生活につながります。かく言う、牧師なんか一番危ないんですけど。
「ヨハネ」の1章17節に、次のようなみことばがあります。

『律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである』(ヨハネ1:17)。

そのイエス様も、次のように言われました。

『わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです』(マタイ5:17)。

そして、今朝の開会聖句です。

『わたしはあなたがたに言います。あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません』(同5:20)。

パリサイ人にまさる義。それはもちろん、人間の肉の努力で得られるようなものではないでしょう。少なくとも言えることは、先週もご紹介した榎本先生のことばにあったように、キリスト者とは、キリストの教えを忠実に守るとか、キリストのような崇高な生涯を目指す人のことではなく、日々、キリストのいのちに生かされて歩む人のことなんだ、と。そして、それは即ち、「よきおとずれ」今月号の田中先生の巻頭言にありましたが、失敗を恐れず、それぞれに預けられたタラント、新しい皮袋を用いて、私たちの側からイエス様にお応えしていこうとする生き方なのではないでしょうか。

メッセージ内容のダウンロード(PDF107KB)

新聖歌

開会祈祷後:310番、メッセージ後:433番

聖書交読

詩編87篇 1~7節

2022年教会行事

1月12日(水)オリーブ・いきいき百歳体操(10 時~11時)

#54-2798

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