御子による救いの完成

メッセージ

<イザヤ書 53章10~12節>
徳本 篤 師

開会聖句

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。

<ヘブル人への手紙 12章2節>

メッセージ内容


序論)
今年一年の締めくくりとして、イザヤ53章から主のみこころについて分かち合えることはとても幸いだと思います。今日のメッセージの主題は「御子による救いの完成」です。とても信じられない、驚くほどの恵みであるキリストの身代わりを思って、もっと自分の人生を大切に生きていこう、という内容です。

パウロもガラテヤ2章で、キリストの身代わりのことを思って次のように語っています。

「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)

本論) 
さて、今日の聖書個所であるイザヤ53章に注目しましょう。
10節には何が「主のみこころ」であったかが語られています。注意して読むと、「主のみこころ」ということばが神の御子が「砕かれる」(十字架で苦しみ死なれる)ことと、「末永く、子孫を見る」(死者の中から復活されて永遠に生きる)ことの両方にかかっています。神は最初からこの両方のことを一つのセットに考えておられます。福音書において、キリストはこのことを弟子たちに幾度も繰り返し強調しておられます。

「成し遂げられる」tsalachとは、<期待されたとおりに実行されて人々の救いが完成させた。>ことをあらわします。従って、人は神が完成されたものに何かを付け加えることも、それから何かを差し引くことも決して許されません。それが完成されたという意味です。パウロが語ったように

「人は、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる」(ガラテヤ2:16)

という真理のことばは、決して揺るぐことがありません。

続いて

11節に「彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。」

と書かれています。「満足する」sabaとは、<結果が期待とおりであることに満足する>ことを示しています。父なる神が御子イエスに期待されたことは、多くの犠牲を乗り越えて十字架と復活を完全なかたちで実現することでした。それは見事に成し遂げられました。さらに、父なる神のもうひとつの期待は、御子の身代わりによって救われた人々の生き方と態度です。

ルカ20章13節~15節に、ぶどう園の主人が、よこしまな農夫たちのところに、自分の愛する息子なら敬ってくれることを期待して遣わしました。ところが、農夫たちはその息子を見て、あれはあと取りだから、あれを殺してしまおう。そうすれば、財産はこちらのものだ。と相談しました。そして、息子を殺してしまいました。そうしたら、ぶどう園の主人は、この農夫たちをどうするでしょう。というたとえ話が語られています。

キリストの身代わりによって、新しいいのちを頂いた私たちですが、救いがすでに完成されたことを理由にして、自分の好きなように生き、神が期待されていることを軽んじるような態度であったなら、神はそれをご覧になって満足されるでしょうか。

「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)

と宣言しているパウロは、かつての自分の生き方がキリストから遥か遠くに離れており、とんでもなく自己中心であったこと、無知で無礼な者であったこと、キリストの思いに逆らってひどく悲しませ、悩ませてばかりいたことを悟ったことのあかしです。キリストの身代わりを思えば、もう二度と以前のような生き方には戻れない。戻りたくないと思うはずです。

応答)
私には7つ年上の兄がいましたが、40代はじめに人工透析を受けるようになり、47歳で亡くなりました。私の腎臓の片方を兄に提供すれば、兄はもっと長生きできたのではないか。それができなかった自分を責める思いに悩んでいました。この経験によって、自分のいのちを身代わりに差し出すことがどれほど難しいことかを思い知らされました。

しかし、キリストは私たちのために十字架で苦しまれご自分のいのちを差し出されたのです。それを思うと、私たちはどれだけキリストに感謝したら良いでしょうか。キリストの尊い犠牲で生かされていることをどれだけ喜んだら良いでしょうか。キリストが期待されていることは、愛に見合うだけの犠牲や代価ではありません。救われた私たちの生き方が変わることです。ご自分が苦しまれた結果が期待とおりであることに満足し、喜んでくださるのです。

あなたはキリストの期待とおりに生きていますか。これが今年最後のメッセージです。

メッセージ内容のダウンロード(PDF59KB)

新聖歌

開会祈祷後:266番、メッセージ前:459番、メッセージ後:467番

聖書交読

詩篇 27篇1~14節

お知らせ

★明日の元旦礼拝は11時からの開始です。
★明日の午後3時から石橋教会にて新年聖会が行われます。
★3日の水曜祈祷会は休みます。10日から再開します。
★1月から主な行事は下記のとおりです。
★療養中およびご高齢の方々の平安と励ましのために祈りましょう。

2018年前半の主な教会行事
※ 曜日の記載が無い限り全て日曜日です。
1月1日(祝・月曜) 元旦礼拝 11時から
1月1日 新年聖会(石橋教会)15時から
1月7日  聖餐式
1月14日 砂山師説教/昼食と交わり/運営委員会
1月21日 年次総会(礼拝後)

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