メッセージ
<ヤコブの手紙 5章13~21節>
牧師:徳本 篤 師
開会聖句
もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
<マタイの福音書18章19節>
メッセージ内容
序文)
今日の聖書の箇所は、特別な人の祈りに病気のいやしを行う奇跡的な力を約束するものとして強調される場合があるところです。私たちの偏見や既成概念にとらわれないで自然な心でこの箇所を読んでみると違ったメッセージが見えてきます。
本論)
確かにこの箇所の中心は祈りのことです。ヤコブはこの箇所で、祈り、讃美、病気の回復、罪の赦し、罪の告白、義人の祈りに働く力、エリヤの祈りの例話、迷い出た兄弟を連れ戻すこと、引き戻すことはたましいを救い、罪をあがなうということが語られています。これらはバラバラに語られているようです。そのままでは意味がつながりません。これらを解き明かすヒントは「教会の長老たち」です。彼らは教会の霊的な指導者であり、信者を代表して奉仕する人々です。彼らの祈りは、教会の祈りです。彼らの祈りの中に働く力は教会の力です。つまり、教会の働きの特徴についてヤコブは語っているのです。
罪の告白と病気のいやしとについて語られていますが、そのあと20節では罪人とは、教会の交わりから離れて行った人、真理から迷い出て人生をさ迷っている人々のことだと言っていますので、どんな罪の告白が求められているかが分かってきます。この箇所で「病む人」とは文字通りに「肉体の病気の人」をあらわしますが、この前後関係から「たましいの病気の人」のことを指しているとも考えられます。
ヤコブがここで取り上げているのは、ユダヤ人の信者たちの中には迫害によって散らされた先での苦難に耐えきれず教会から離れて行った人々、故郷を離れた都会での暮らしの誘惑に負け信仰生活につまずいた人々がいたことです。この人々が再び教会の交わりに復帰できるように、この人々がいやされて信仰を回復する支援を、教会が心を一つにして祈り続けるように命じているのです。ヤコブはそのことが神のみこころを実践することだと語っているのです。
展開)
今日のヤコブのメッセージの背景として、マタイの福音書18章1節~35節で語られたイエス様のみことばが土台になっていることに注目してください。
イエス様が教会に語られた内容は、小さい者に対する教会の姿勢、罪を犯して教会から懲戒処分を受けた兄弟に対する教会の姿勢、さらにはこの後に続く1万タラントの借金を赦した王とそのしもべのたとえとがひとつの根っこでつながっています。つまり、マタイ18章全体は、神が教会に与えられた赦しと回復の力を物語っているものなのです。ヤコブが5章で取り上げられている、教会に与えられた祈りの力が赦しといやしと交わりを回復する力として働くものであることと全く同じものです。この力はとても大きいものです。
3節~14節において、イエス様は天の御国に入るためには次のことを実行しなさいと命じられました。
04節、あなたがた自身も小さい者のように謙遜になりなさい。
05節、あなたがたは小さい者を受け入れる人になりなさい。
06節、あながたたは小さい者をつまずかせてはなりません。
11節、イエス様は小さい者について「迷い出た1匹の羊を探し求める羊飼い」のたとえを語られて、ご自分の小さい者に対する愛をあかしされました。
14節、イエス様は小さい者たちのひとりが滅びることは父のみこころではないと語られました。
15節~20節において、罪を犯した兄弟に対するいやしと回復を祈る教会のあり方を教えられました。
15節、罪を犯した兄弟に対して教会はみことばに従って行動することを命じられました。聖書には、「どんな咎でも、どんな罪でも、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない。」(申命記19:15)と書かれています。その通りに従うことです。
18節、「つなぐ」「解かれる」とは、神は教会に罪を犯した兄弟を交わりから追放すること、交わりに回復させる力を与えらていることを語っておられるのです。「二人が心を合わせて祈るところ」「ふたりでも三人でもキリストの名において集まるところ」とは教会のことです。ともに心を一つにして祈るところが教会です。
教会の指導者(長老たち)は教会に兄弟たちがともに集い、心を一つにし祈り、讃美し、礼拝できる信頼関係を維持確保する務めを託されています。教会は壊れた信頼関係を修復するために悔い改めを求めます。そのように悔い改めた兄弟を赦し、いやす機能を働かせなければならないのです。
21節~35節において、教会が兄弟を赦し、いやす機能を働かせねばならない理由を教えています。
イエス様がそのために一万タラントを赦した憐れみ深い王と借金を赦されたしもべの物語を語られました。
このたとえ話は悔い改めた兄弟を受け入れようとしない教会のかたくなな態度を指摘しています。
結論と応答) ヤコブ5章とマタイ18章の結論そしてわれらからの応答
以上のことから教会(私たち)が互いに罪を言い表して祈るべき内容が明らかに示されてきます。
第一に、教会は悔い改めた兄弟を信頼して受け入れる群れであること。
第二に、教会は自分たちもかつて赦された罪人であるという事実を再確認する必要があること。
この事実確認こそが、悔い改めた兄弟を赦して、いやしを決意する最も強力な動機になります。
第三に、教会は天の父のみこころを知る群れであり、謙遜になってそれに聞き従がう信仰があること。
聖書のみことば) マタイ6章12節「主の祈り」の一部分
「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」
新聖歌
開会祈祷後:20番、メッセージ前:284番、メッセージ後:421番
聖書交読
詩篇 51篇1~19節
お知らせ
★20日の特別讃美礼拝の出席者とゲストのために祈りましょう。
★20日午後から11月度定例運営委員会が開かれます。本年のクリスマス行事・年末年始行事等について検討されます。
★病や怪我の為に伏しておられる兄妹姉妹のために祈りましょう。
2016年度後半の主な教会行事
11月20日(日) 讃美礼拝(マキ&リリー)
11月23日(祝) 教団協議会
12月25日(日) クリスマス礼拝/祝会
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